里山悠々録

里山の家と暮らし、田んぼや畑、そして水墨画のことなどを記録していきます

鎮守の神社秋の祭典を挙行

2024年11月04日 | 暮らし

昨日、鎮守の神社の秋の祭典を挙行しました。
例年10月に行っていましたが、様々な事情が重なり11月にずれ込んでしまいました。
当神社はいわゆる代参講と言われるもので、小生が講中の代表を仰せつかっています。
集落だけの小さな講中ながら、本社から御分霊を受け120年以上になります。
現在は春の祭典に合わせ代表者が本社に参拝し祈祷を受けることになっています。
実は春の祭典の直前に集落内で続けざまに不幸があり、祭典を中止した経緯があります。
そのため代参も見合わせ、それも特例的に秋に行うことにしたのでした。
コロナ禍のため中止したり変則的な開催となっていましたが、ようやく昨年秋から本来の祭典が復活しました。
祭典と言えば神輿を担いで賑やにと言ったイメージがあるかもしれませんが、そのようなことはやりません。
講中や代参については、いずれ機会を見つけ記したいと思います。
まず、早朝に世話人と当番者が集まり、境内の清掃を行います。
本殿。


拝殿。


特に大変なのは石段。これで綺麗になりました。


本殿を開帳し、拝殿にはゴザを敷きご祈祷に備えます。
態勢が整えば、いよいよ旗揚げ。


鳥居のしめ縄は縄だけを付け、紙垂(しで)は宮司が用意してきます。


ご祈祷の前にお供え物などを準備します。
お供え物は米、水、塩と御神酒、海の幸、山の幸。これは小生の役目です。
自家製の野菜はキャベツとチンゲンサイにしました。甘柿も供えました。
代参人が頂いてきたお札はいったん本殿に奉ります。
9時から宮司にご祈祷いただきます。


代参人の一人が代表してサカキを奉納。合わせて全員で二礼二拍手一礼で拝礼。
ここで御神酒の回し飲みをする慣例がありましたが、コロナ禍を機に取りやめています。
この後は集会所に移動し直会です。代参人は4名で直会の準備も行います。
ここ4年ほど代参を見合わせていたため特例で小生を含め3人の世話人で行っていました。
次回の代参人はくじ引きで決めるのが習わしです。
一巡するのにこれまで当たっていないのは小生も含め残り8人。
当たる確率は1/2でしたが、小生も当選しました。
夕方には当番になっている小生の班が旗降ろしを行い、一連の祭典行事は終了です。

㊗一力遼名人位を奪取し4冠達成

2024年10月31日 | 暮らし

囲碁の一力遼3冠が10月30、31日行われた名人戦第6局で勝利し名人位を奪取、4冠を達成しました。
囲碁の世界戦第10回応氏杯世界選手権優勝に続く快挙です。
一力遼4冠は本県出身。ヘボ碁をたしなむ小生は10代の頃から応援してきました。
囲碁界最高位の棋聖に次ぐ名人、そして天元、本因坊の4冠を併せて保持することとなり、名実ともに第一人者としての地位を不動のものとしました。
同県人として誠にうれしい限り、歴史的慶事です。
日中は岩手県出身の大谷翔平選手所属のドジャースがワールドシリーズ制覇、大いに拍手喝采したばかり。
それに続く夕方の嬉しいニュースとなりました。

名人戦の主催新聞社である朝日新聞から喜びの記者会見の様子が配信されています(朝日新聞デジタル)。
かつては本因坊戦も2日制のタイトル戦で棋聖、名人、本因坊を大3冠と言い、ほんの僅かの大棋士しか達成していません。
囲碁のタイトルは全部で7つ、一力4冠に全タイトル制覇の期待がかかります。
残りは井山裕太3冠が保持しています。井山3冠は全7冠を2度も達成した大きな壁。至難となるでしょう。
以前にも記しているように一力4冠は当県の地方紙「河北新報」創業家の御曹司です。
大学卒業後は同紙記者として棋士との二刀流で活躍、さらに今年の春からは取締役にも就任しています。
明日の同紙には名人戦の結果が大きく報じられることでしょう。
最後に以前記したことをもう一度。
小生は一力遼4冠デビュー前から応援している棋士がおり、それが高尾紳路9段(元名人)です。
高尾9段のブログを愛読していたからgooブログを始めたと言っても良いかもしれません。

勤め人時代の旧交を温める

2024年10月04日 | 暮らし

かつての勤め人時代のOB達が久しぶりに集結、旧交を温めました。
場所は当県南部の大河原町にある「おおがわら天然温泉いい湯」。


いわゆるOB会です。県レベルの組織があり、その下に支部が設けられています。
その支部総会でした。昨年に引き続き同地での開催です。
数年前まで小生が支部長を仰せつかっていました。
3年の任期で無事勤めを終え新しい支部長にバトンタッチしました。
ところがほどなくコロナ禍で3年間開催は見送られ、ようやく昨年再開されました。
支部長から実質1年では申し訳ないと自ら1期延長の申し出があったのでした。
当地は市街地からはかなり離れたところにありますが、送迎バスが利用できます。
小生が支部長時にもここで催したことがあります。
源泉掛け流しの日帰り温泉で豊富なメニューの食事が人気です。
敷地内に「もちぶた館」が併設されています。


ここでは農産物などが直売されています。


目玉は精肉とその加工品。


当日は若干参加者が少なく16名ほどでしたが、気心の知れた方々ばかりです。
この1年の間に鬼籍に入られた会員もおります。
総会の前に亡くなられた方に黙祷を捧げ哀悼の意を表しました。
総会では決算と予算、若干の相談事や情報交換をした後記念撮影。
後は、ゆっくりと懇親を深めました。
何と言ってもここの売りは豚肉。そもそも祖業が養豚業なのです。
こんなモニュメントもありました。


ですから直営農場で育てたブランド「もち豚」を使ったメニューがとりわけ人気。
これが当日の食事。


これに飲み物、デザートが付いて会費4,000円とは有り難い。
十分に堪能させて頂きました。
お互いの近況を確認しながら和やかに過ごし、再会を約して散会となりました。

㊗一力遼3冠ついに囲碁世界戦優勝成る

2024年09月09日 | 暮らし

囲碁の一力遼3冠が9月8日行われた囲碁の世界戦でついに優勝を果たしました。
一力遼棋聖は本県出身であり、10代の頃から応援してきました。
ヘボ碁をたしなむ小生としては、記録に残しておくべき歴史的慶事です。
すでに囲碁界最高位の棋聖に加え天元、本因坊の3冠を保持しているので国内の第一人者と言えます。
しかし、国際戦での優勝はまだなく、正に悲願と言うべきものでした。
かつては常に世界の囲碁界のトップに君臨してきた日本も中国、韓国の後塵を拝するようになって久しい。
日本の囲碁棋士が国際棋戦で優勝するのは19年ぶりになると言います。囲碁ファンにとっても悲願と言うべきものでした。
今回の国際戦は第10回応氏杯世界選手権で4年に1回開催されます。
5番勝負の第3局が中国上海市で打たれ、日本の一力遼三冠が中国の謝科九段を破り3連勝で初優勝を果たしました。
途中まで不利な形勢を一瞬の隙を逃さず逆転勝ち。強さの証明と言えるでしょう。


テレビでは朝からニュースで流されていますが、残念ながら新聞は休刊日。
実は一力棋聖は当県地方紙「河北新報」創業家の御曹司。
大学卒業後は同紙記者として活躍していることでも知られています。
さらにこの春には同社の取締役にも就任、経営の一翼も担う立場となりました。
もちろんオンラインでは直ちに速報で流されました。

明日の同紙の朝刊にはどのように掲載されるのか興味津々です。
現在、一力3冠は同時並行で国内棋戦で名人戦を戦っている最中でこちらも開幕から2連勝中。
あと2勝で名人位も奪取となれば囲碁界でもスター誕生となるのではないでしょうか。
なお、以前にも書きましたが、小生は一力遼3冠デビュー前から応援している棋士がおります。
高尾紳路9段(元名人)です。小生がgooブログを始めたのは高尾9段のブログを愛読していたからです。


お盆にはやはり提灯に灯りを灯す

2024年08月14日 | 暮らし

当地方のお盆はいわゆる月遅れ盆。8月13日から16日までが普通です。
今年も盆の入りの13日の夜には盆提灯に灯りを灯しました。
13日は先祖の霊をお迎えする習わしのあるお宅が多いのではないでしょうか。
我が家の菩提寺は浄土真宗本願寺派のお寺さんです。
浄土真宗ではお盆に先祖の霊が帰るという概念はなく、そもそもはお迎えの必要もありません。
浄土真宗は往生即成仏の教えです。親鸞聖人の名言「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」。
全ての人は亡くなると同時に成仏し極楽に行けるので霊になって迷うことはないと言うのです。
ですから、浄土真宗では故人が成仏できるようにと行う追善供養と言う形式がなく、他宗派で見られる卒塔婆もありません。
このようなことからすると本来はお盆に提灯を飾ることもないはずなのです。
両親が亡くなり、世話人を仰せつかってほぼ30年。
勤め人稼業と野良仕事の二足のわらじ時代には深く考える余裕もありませんでした。
これまでの習わしを何とかこなしていたというのが実状です.
多少考えるようになったのは勤め人稼業リタイヤ後。
父の代わりを務めるようになってから親戚や地域の多数の仏事に関わってきました。
助っ人宅は同宗派ですが、他宗派の方がはるかに多い。
浄土宗、真言宗、曹洞宗、臨済宗妙心寺派、同東福寺派などほぼ同数と言ったところ。
そんな中で浄土真宗は他宗と一目で違うことが幾つかあります。
まず坊さんは剃髪しておられません。
法名は釋〇〇で居士等は付けない(菩提寺では昔は居士、大姉等と付けていました)。
卒塔婆がないので当然墓地には卒塔婆立てもありません。
線香をあげる際には香炉に立てるのではなく寝かせます。
焼香する際はお香は額に押し頂かずにそのまま香炉に(本願寺派は1回)。
仏壇には位牌ではなく過去帳か法名軸を置く(当地では位牌が普通でした。我が家も同様)。
しかし、地域には色んな宗派が混在するため、自然に最大公約数的な習わしが出来上がってきたのでしょう。
当地方では、昔から、親戚間で初盆に盆提灯を送る風習があります。
我が家でも両親が亡くなった折りにいくつか頂きましたし、その前からの提灯もあります。
浄土真宗の教義から言えば本来必要ないものなのかもしれません。
しかし、菩提寺の歴代のご住職は地域の習わしをより大事にし何も仰いません。
幼少の頃は沢山の盆提灯を吊したものでした。
もちろん今はそのようなことはしませんが、今年も例年のように立て型の盆提灯を二つ用意しました。


夕方に灯りを灯します。


迎え火は昔から焚きません。精霊馬等の飾りものも昔からしません。
盆棚は昔は作っていましたが、今は通常の仏壇のままです。
但し、ご飯、お萩、果物、菓子などのお供えをします。
本来これらは故人に捧げるのではなく故人を偲びつつご本尊阿弥陀如来に捧げるのが本旨とされます。
かつて仏壇には所狭しと位牌が置いてありました。数年前、懸案だった過去帳へと変えたため余裕です。
墓参りは14日が習わしでしたが、近年はあまり拘らなくなりました。
我が家でも13日にお参りしました。


周囲を見るとすでに半数はお参りを終えているようです。
昔からみると集落のお参りの風習も大分変わりました。
お供え物は鳥獣に荒らされるので帰る際は必ず片付けるよう申し合わせをしています。
それでも外部から来られる方なのかそのままのケースもまま見られます。
昔、我が家には古い墓地が別にありました。それを父の一周忌を機に皆ここに寄せました。
天明や嘉永などの文字が確認できる墓石もあります。


30年ほども経ち、過去帳も整理したのでシンプルで管理の容易な墓地に改修しようかと思案しているところです。

菩提寺の世話人会

2024年07月01日 | 暮らし

我が家の菩提寺は浄土真宗本願寺派のお寺さんです。
世話人会があり、出席しました。
世話人会は檀徒代表の総会のようなもので年1回開催されます。
父も世話人をしており、亡くなった後、小生がそのまま準総代と言う肩書きを引き継ぎました。
当時はまだ40代半ば。世話人では一番の若輩でした。今は大分年下の方も多くなり中ほどでしょうか。
近隣の別集落の方は父より若干年下で97歳。未だかくしゃく、目も耳も頭も足腰も小生以上の凄い方です。
正面が本堂。


右手に会堂。


こちらは聖徳太子殿。


境内にあるザクロの木。かなりの年数ながら我が家のザクロよりは大分若そう。


花は結構咲いており、実も留まっていました。
本堂内。


ここ暫くコロナ禍によって会の設営も従来とは大分違ったものになっていました。
今年はほぼコロナ禍前に近い設営になりました。
ただ、今年も本堂で全員揃ってのお経の唱和はなく、念仏と礼拝だけでした。
例年、世話人会の内容は前年度と本年度の行事や決算、予算などです。
加えて今年は4月に行われた新住職継職奉告法要について決算等の報告がありました。
本世話人会も先代住職に替わり名実ともに長男の現住職が役割を果たされることになりました。
新住職継職奉告法要については少々大がかりだったので正直負担に感じましたが、今年はその分負担が減ります。
平たく言うと世話人の一番の役回りは必要があれば檀家さんに説明しお金集めをすることなのです。
例年のごとく年会費に当たる維持費徴収用のカップが渡されたので、これから檀家さんに配布し集金しなければなりません。
その維持費も世話人は一般檀徒より高く、準総代、総代はさらに高いのです。
これもささやかな地域奉仕、あまり有り難くない役回りも一つ二つは引き受けないといけません。



菩提寺の新住職継職奉告法要

2024年04月08日 | 暮らし

我が家の菩提寺は浄土真宗本願寺派のお寺さんです。
こちらが通常の本堂。


こちらが会堂。


小生は準総代と言う役割を仰せつかっています。亡父の肩書きをそのまま引き継ぎすでに29年。
昨日、新住職の継職奉告法要なる催しに出席且つ設営スタッフとしてお手伝いに行ってきました。


正確には「第16世住職継職奉告」「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年記念」併修法要と言うもの。
平たく言えばメインは新住職のお披露目式と言ったところです。
新住職は副住職として30年近くの経験を積み、昨年6月には本山にて新住職の辞令を頂いています。
前住職も健在なのですが、85歳になるのを機に長男の副住職に住職位をお譲りになったものです。
すでに住職としての役目を果たされています。この度改めて賑々しく檀家に周知するものと言えるでしょうか。
そのための準備に何度か世話人会が催されました。
そして行事に必要な経費を檀家の皆さんから懇志として頂戴するのが世話人の大きな役目です。
正直なところこれがなかなかの負担です。幸い我が家周辺には難しい檀家はおりませんが、街場の世話人の中には苦労されている方もいるようです。
我々世話人は8時30分にお寺さんに集合、記念撮影をした後、準備を整えました。
本堂には当寺の親族はじめ県内外の来賓のお寺さんや檀徒総代等々。それぞれに役割があります。


我々一般檀徒も多くは本堂に参列しました。入りきれなかった方々は会堂です。
会堂では本堂の様子が映像に映し出されます。
10時に開式。


前住職の退任挨拶、縁戚に当たる山形県のお寺さんの御法話の後、継職法要の儀式。


さらに記念の雅楽演奏。
雅楽の演奏は12名で遠くは奈良県のお寺さんがおられました。雅楽は聞く機会が少ないのですが、風情があります。
最後に新住職の挨拶があり、12時半に閉式となりました。
参拝した檀家の皆さんには我々スタッフがお齋(弁当)と記念品を配布。
世話人は昼食の後、椅子などの後片付けをし、2時前には散会となりました。
記念品は祝酒とケース付き2連腕輪念珠。



出席しなかった檀家さんには世話人から記念品を配布することになります。
取り敢えずは一つの大きな行事が無事終わりました。

㊗一力遼棋聖3連覇、続いてNHK杯も優勝

2024年03月12日 | 暮らし

囲碁の一力遼棋聖が3月7、8日行われた第48期棋聖戦最終第7局を制して3連覇、続くEテレ3月10日放送の第71回 NHK杯テレビ囲碁トーナメント戦でも優勝を果たしました。
これはヘボ碁をたしなむ小生としては、記録すべき歴史的慶事と言うべきもの。
本来なら昨日投稿するところでしたが、鎮魂の日なので控え本日となりました。
一力遼棋聖は本県出身であり、10代の頃から若手有望棋士ということで応援してきました。
すでに囲碁界最高位の棋聖を連覇しており、第一人者と言えますが、挑戦者に井山王座を迎え、その地位を堅持できるかどうかの正念場でした。
井山挑戦者は7冠を達成するなど長くトップの座に君臨してきており、一力棋聖もその壁に何度も跳ね返されています。
今回の棋聖戦は第4局が地元仙台で開催されましたが、残念ながら敗戦。最終戦までもつれ込む大激闘となりました。その最終戦も素人目にも大激戦。しかし中盤以降は着実にリードを広げたようです。難戦を制しての勝利ですから喜びもひとしおでしょう。
【第7局2日目】第48期棋聖戦挑戦手合七番勝負【一力遼棋聖-井山裕太王座】

一力棋聖は記者との二刀流でもあります。「二刀流の棋士 一力遼」の著書も出ており、もちろん小生も持っています。
実は一力棋聖は当県地方紙「河北新報」創業家の御曹司で、大学卒業後、同紙記者として活躍していることでも知られます。
何時も興味深々なのは同紙にどのように報道されるかです。棋聖戦の主催は読売新聞社で、河北新報社は地方数社で碁聖戦を共催しています。他社主催の棋戦は小さく報道されるのが普通ですが、何分にも同社記者で社主御曹司ですから他社主催でも大きく報道されるはず。
これが主催紙読売新聞の記事1面。

社会面。

河北新報は急遽コンビニで購入。その1面。


社会面。


さすがに棋譜こそ掲載されていないものの主催紙同等以上の扱いです。
続いてEテレ3月10日(日曜)放送の第71回 NHK杯テレビ囲碁トーナメント戦では決勝で芝野名人と対決。
戦いに次ぐ戦いで両者早い段階で秒読みに追い込まれる難戦を制し見事優勝。棋聖戦3連覇に花を添えました。
NHK杯は4度目の優勝で早碁には抜群の強さを誇っています。
一力棋聖(3冠)は現在井山王座(2冠)、芝野名人(2冠)とタイトルを分け合っています。二人を続けて退けたことで一力棋聖(3冠)が第一人者としての力を証明したと言えそうです。
将棋界では藤井聡太8冠と言う大スターが誕生し盛り上がっていますが、囲碁界もあやかりたいところでしょう。
今後は国際棋戦での活躍に期待が高まります。かつて常勝を誇った日本も長く中国韓国の後塵を拝している状況が続いているので多くの人が頂点に立つ姿を見せてほしいと願っていると思います。
なお、小生は一力遼棋聖デビュー前から応援している棋士がおります。高尾紳路9段(元名人)です。
小生がgooブログを始めたのは高尾9段のブログを愛読していたからです。その昔は大竹英雄名誉碁聖(元名人)のファンでした。


小正月行事「鳥追い」と「団子刺し」

2024年01月15日 | 暮らし

当地方では1月14日から15日がいわゆる小正月です。
そして、14日夕方に行う正月行事が「鳥追い」。
1月14日までがいわゆる松の内でしめ縄や松飾りを下ろします。
一般的には、それを神社の境内や広場で行われる「どんと祭」で燃やすのが普通です。
一方、「鳥追い」とはその名の通り鳥を追い払う行事のこと。
農村では農作物が害鳥に荒らされないよう「鳥追い」をすることで豊作祈願をするのです。
もともと、我が家では下ろした松飾りを御神木と定めた杉の木にしめ縄で括り付け納めます。
その納めに行く時に、「ヤー、ホイ、ホイ、ホイ」と大声で繰り返し叫び、鳥を追い払うのです。
これがその御神木、実は2代目ですが括り付けるのが甚だ困難となりました。


脇のケヤキと大木同士がピタリとくっつきしめ縄が通せなくなってしまいました。まだ痕跡が残っています。
そこで昨年から山の神様に納めることにしました。
我が家では昔から前年の古いお札や飾りものは、大晦日に山の神様に納めるのが習わしです。
ですから、新年の松飾りを納めても何の問題もないと考えました。
これが下ろした松飾り。大した量でもなく納めるのは全て朽ち果て自然に帰るものだけです。


この山の神様に納めるのは今年2年目となります。


本当は納めに行く途中に「ヤー、ホイ、ホイ、ホイ」と大声で叫ばなければならないのですが。
さすがにこれは恥ずかしい。小声で唱え豊作祈願、家内安全、世の平穏を念じました。
そして、小正月のもう一つの習わしが「団子刺し」です。
小正月は女の正月とも言われます。「団子刺し」は、小正月らしい華やかさを感じさせる行事です。
「団子刺し」は、通称団子の木に団子を刺して飾り付けます。
これが団子の木。中央にすっと立っている木です。正式名はミズキ(水木)。

ミズキはこけしを作る材料として知られる重要な樹種です。
当県には弥治郎系、遠刈田系、作並系、鳴子系など著名なこけしの産地があります。
その重要な樹種も当地ではごく普通に団子の木と呼ばれます。
それほどに小正月の「団子刺し」は重要な行事だったと言えるでしょう。
ミズキは枝がなめらかでするっと伸びます。赤みを帯びた美しい肌をしており、枝先は団子が刺しやすい。


「団子刺し」は、昔から続く豊作や家内安全・家内繁栄を祈願する習わしです。
これは助っ人が作ってくれたもの。


ミズキの枝先に紅白や緑の団子を刺し、縁起物の飾りをぶら下げ、神棚や部屋に飾り付けます。


今はほんの形ばかりですが、昔々は大きなミズキに部屋中一杯団子の花になるほど飾ったものです。
幼少の頃、15日の夜明け前に囲炉裏に大きな鍋を掛け「暁(あかつき)団子」を食べたことを思い出します。
様々な正月行事も次第に姿を消し、昔の風習を知る人間も少なくなりました。


正月祈祷と元旦とろろに二日餅

2024年01月02日 | 暮らし

この度の能登半島地震で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
本県だけで1万人以上の犠牲者を出した東日本大震災の悪夢が蘇ります。
一日も早い普通の日常が戻ることを願うばかりです。
翻って、当地の今年の正月は穏やかです。
昔の正月は色々な習わしがありました。今は大分簡素化し、シンプルになったと思います。
第一の行事と言えば正月祈祷です。宮司からご祈祷を頂きます。
この宮司の神社は数集落の住民が氏子になっており、旧村時代のいわば氏神様といった位置づけです。
かつては我が家の正月祈祷は1月4、5日頃でした。
たまたま近隣に毎月一日に元日祈祷を行うお宅がありました。
そこで、我が家もお願いし正月祈祷を元旦にしてもらうことになったのです。
両親が亡くなった後、勤め人稼業の身としては有り難いことでした。
ご祈祷の前にはこのようにして待ちます。
お燈明、お清めの塩と水、そしてお初穂(ご祈祷料)をテーブルに準備しておきます。


お出でになったのはお昼近くでした。これがご祈祷後です。
正月祭のお札を置いて行かれます。このお札は神棚に奉ります。


食事の習わしもあります。おせち料理とは別物です。
昔から我が家では元旦に餅は食べず、とろろ飯です。
正月にとろろを食べる風習は多く、三日とろろはよく聞きます。
元旦は珍しいようですが、何故なのかは分りません。
神棚や仏壇にとろろ飯をお供えします。
これは形式的なもので、お供え用の皿で少量のご飯の上にとろろを僅か乗せたもの。


餅を食べるのは二日。
昔は、大きな臼で何臼もついたものですが、近年はいくらも食べなくなりました。
少量なので今は助っ人宅で纏めてついて貰うようになりました。
小振りのブロックにして貰い、それを我が家で切っています。


神棚や仏壇にも切り餅を焼いてお供えします。皿に少々乗せお供えするだけです。


かまどの神様にもお供えします。


なぜこのような習わしになったのか不明なのですが、近隣同じかと言えばそうでもありません。
助っ人宅では三が日とも餅を食べるのが習わしと言います。
現代では意味がないとも言える習わしですが、止めるのも意外に心に掛かるものです。
この後、馴染みの農機具店と農業資材店の初売りに顔出しするのが2日の恒例です。

新年の初めは鎮守様への元朝参りから

2024年01月01日 | 暮らし

新しい年を迎えました。明けましておめでとうございます。
当地、暖かい穏やかな元日となりました。
年末から気温が高く、年明け後も気温が高い予報が出ています。
ただ昨夜は少しだけ雨が降りました。雪でなく雨になることが珍しい。
小生、まずは鎮守様への元朝参りからスタートするのが恒例となりました。
初日の出を拝むよう神社の境内に7時過ぎに着くようにしています。
当県の日の出時間は7時前ですが、山から昇るので数分のタイムラグがあります。
もちろん初日の出が見られるのは天候に恵まれればの話しで、綺麗に見える確率は高くありません。
まずは鳥居の前で一礼。
小生が講中の代表を仰せつかっており、大晦日の午後にしめ縄を掛けました。
毎年、気になるのがしめ縄が無事かということです。
紙垂(しで)は小生の手作りしたもので甚だ弱く、三が日もってくれれば良しと思っています。
何度か破れた紙垂を付け替えたことがあります。今は破れても何もしないと決めています。
昨夜の雨でどうなることかと思いましたが、耐えたようです。


集落内の方は大半が元旦にお参りするので、取り敢えずは大丈夫でしょう。
過日掃除した石段も、あまり汚れていないので良かったです。


石段の途中に出羽三山の石碑があります。
大晦日にお幣束(へいそく)と御散供(おさご)を捧げお参りしました。
元旦にも御散供を捧げてお参りします。


これが夕べ作った御散供。米を包んだおひねりです。


大した手間でもないので続けていますが、今、御散供を捧げる方は多分いないでしょう。
他には山の神様、水の神様などにも御散供を捧げます。
止めたところでどうと言うこともありませんが、自身の精神安定のためのようなものです。
拝殿ではお賽銭を捧げ、二礼二拍手一礼でお参りします。


安寧な一年になることが一番ですが、自身のことも幾つか念じました。
こちらが本殿。


好天に恵まれれば、境内からご来光を拝むことが出来ます。
少し雲がありましたが、今年は見ることができたので良かったです。


元旦の午前中には宮司がお出でになり、正月のご祈祷があります。
その後は例年のごとく来客があります。


年越しに神棚と輪通しの飾り付け

2023年12月31日 | 暮らし

暖かい年越しとなりました。
年越しにやらなければならないことは多々あります。
昔は準備から始まって全てを大晦日に行うので大変でした。
父健在の頃には小生と手分けしてやっていましたが、それでも朝から遅くまでかかったものです。
早いもので父が亡くなって29回目の年越しとなります。
今は簡素化もしましたし、準備はできるだけ前日までに終えるようにしています。
まずは神棚の飾り付け。
古い飾り付けを外し、掃除をして新しい飾り付けに変えます。
お札も替えのきかないお札以外は全て取り外します。


これはお幣束(へいそく、御幣)。鯛のきりこもあります。


過日、我が家も氏子になっている神社の宮司がお出でになり、ご祈祷して置いて行かれたもの。
この宮司には鎮守様の宮司をお願いしており、同時に講中の一員にもなって頂いています。
これは神社庁から出されている通称お歳徳神(としとくじん)さん。


これを神棚に飾り付けます。
我が家の神棚では篠竹を使って仕掛けをします。昔からやられてきた習わしに則って飾り付けをします。
神棚中央にはお札を奉ります。
真ん中にお伊勢様のお札とお幣束、右に鎮守様、氏神様のお札、左に崇敬する神様などのお札。


神棚右側に恵比寿様などのお歳徳神さん。ここに鯛のきりこも飾り付けます。


神棚左側に大黒様。両側にはお幣束。


台所にある小さな神棚には五穀豊穣の神様とかまどの神様、そして火伏せのお札を重ねて奉ります。


次は輪通しの飾り付け。
神棚の前は松の枝に輪通しを掛けて奉ります。


玄関。


近隣でも大概のお宅は市販の綺麗なしめ飾りをしており、手作りの輪通しを飾っているのは我が家くらいでしょう。
そして作業場。そのほかトラクター、管理機、車は輪通しのみ。


次は床の間。


掛け軸は天照皇大神の掛軸。
生け花は、庭の紅白の梅と南天のみで生けます。
花器は父が太い孟宗竹の根元で自作したもの。
父が生前生けていたので小生が引き継ぎました。全くの自己流です。
鏡餅は数年前に自前のものから市販の小さなパッケージものに変えました。
古いお札やお飾りは、小さな祠の山の神様に納めるのが習わし。


お幣束と御散供(おさご)を捧げてお参りします。御散供とは米が入っているおひねりのことです。
例年のごとく、ここまででお昼となりました。
午後は、鎮守様の鳥居にしめ縄を掛け、お参りします。
その後、水の神様など数カ所にもお幣束と御散供を捧げてお参りします。
今は日差しもありますが、夕方から雨の予報も出ているので少し心配です。
なお、現在当ブログは主に前日のことを翌朝に記事にしています。
しかし、これだと正月行事は多少の違和感があり、大晦日と元旦くらいは当日の投稿とします。


年越しのための輪通しとしめ縄

2023年12月30日 | 暮らし

年越しのための輪通しとしめ縄を作りました。
昔、年越しの神事は大晦日に早朝から取りかかり飾り付けまでの全てをやるものとされていました。
父が亡くなってからは準備はできるだけ事前にやるようになり、簡素化したものもあります。
まずは若干手間の掛かる輪通し。
輪通しは、しめ縄を簡素化したものとされています。今、近隣で手作りしているお宅はないと思います。
父の作っていたものの真似で、改まって教わったわけではありません。
3本の藁を1回継ぎ足して綯い、このような輪を作ります。



この輪に五葉松、昆布そして干し柿の3種を挟み込みます。


五葉松は御用待つ昆布は喜こんぶだと思いますが、干し柿は分りません。
この時期我が家の重要な1品だったことから豊作祈願の印にしたのかもしれません。
そう言えば、正月に干し柿はかき入れるで商売では縁起が良いとテレビで報じていたのを思い出しました。
五葉松、昆布、干し柿を挟む位置は定めてはいません。
下げる紙を作ります。しめ縄に付ける紙垂(しで)を簡素化したものと思います。
昔は障子紙を切っていましたが、今は普通のA4版用紙を使っています。
1/4に切ります。


このように切り込みを入れます。


これが出来あがり。


これを6つ作ります。


この輪通しを大晦日に主要な所に飾ります。
次にしめ縄。
鎮守の神社の鳥居に付けるものです。これは講中代表をしている小生の役割です。
以前は、自分で綯っていました。
それが、祭典に用いる縄を購入することになったことから、合わせて年越しの縄も同じものに変えました。
縄綯いが下手なので、これは有り難かった。
安い細縄ですが、祭典用の手綯い風左より縄と言うもの。
小正月には取り外すのでそんなに立派なものでなくて良いのです
縄に下げる紙垂(しで)は5枚作ります。
以前はやはり障子紙を切っていましたが、今は普通のA4版用紙を半分に切ったものを用います。
宮司がA4版用紙を使っていると聞いたので、そうしています。これもずっと楽になりました。


これを二つ折りにし、このように切ります。


これを織り込み。


出来上り。


切り込みの幅と深さを調整すると趣が少し異なったものが出来ます。
これを5枚作り、縄に挟み込めばしめ縄の出来上がりです。


このしめ縄を大晦日に神社の鳥居に取り付けます。

年越しを前に鎮守の神社を清掃する

2023年12月27日 | 暮らし
年越しが迫ってきました。
当集落には小さな鎮守の神社があります。
小生が講中の代表を仰せつかっているのです。
年末の恒例行事となった清掃を行いました。黙々と一人作業です。
コロナ禍で祭典を中止したり直会を取りやめたりしていましたが、今年秋の祭典は本来の姿で挙行しました。
秋の祭典の時に世話人と当番者で境内の清掃はしています。しかし、その後の汚れが酷い。
とりわけ参道の石段です。


参道両側に立っている杉の木などから沢山の枯れ葉が落ちるのです。
この時期、強風が吹くことが多く半端な量ではありません。


中段脇の杉の木は腐れが入り何本か伐採しましたが、それでもこの量です。


年末年始に向け放置は出来ません。
この時期早朝の作業というわけにもいかず、日程の調整が煩わしいので一人でやることにしています。
それでも、石段を何度も上り下りしながら作業しなければならないので容易ではありません。
支障ない程度に綺麗になれば良しとします。
参道登り口付近。このくらいになれば問題ないでしょう。


落ち葉の甚だしかった中段も十分綺麗になりました。


もっとも、作業している間にも落ち葉は飛んできます。
この程度で最難関の石段は終りにします。


石段の途中にある出羽三山の石碑の周りも綺麗にしました。


拝殿周りは大きな汚れはなく、箒で掃いた程度で終わりました。


本殿周りも大したことがありませんでした。


数年前、懸案だった境内周囲にあった樅の大木を伐採したので良くなりました。
その前は枯れ枝なども落ち大変でした。屋根に上がって取り除いたこともあります。
拝殿の中も掃除。


少々伸びていた鳥居周辺の雑木も伐採し、片付けました。


伐採作業中にバラのトゲが刺さり痛い目に遭いました。
朝から取りかかり遅いお昼となりました。穏やかな日だったのは幸い。
正月まで若干日がありますが、この後の多少の落ち葉は勘弁願います。
この次は、大晦日に鳥居のしめ縄を取り付けるのが小生の役割です。

鎮守の神社秋の祭典は本来の姿で挙行

2023年10月23日 | 暮らし

昨日、鎮守の神社の秋の祭典を挙行しました。
旗揚げから直会まで全てを本来の姿で行うのは4年ぶりになります。
コロナ禍で春秋3回の祭典は完全に中止に。
昨年秋の祭典は行いましたが、旗揚げや直会は行いませんでした。
今年の春の祭典も同様です。
集落だけの小さな講中ながら、本社から御分霊を受け120年余り。
小生が講中の代表を仰せつかっています。
いわゆる代参講と言って、本来は代表者が本社に参拝し祈祷を受けます。
現在、代参は年1回春だけになりました。
講中については、いずれ機会を見つけ記したいと思っています。
秋は郵便祈祷という制度を使い、小生が手続きをして講中のお札を送って頂きます。
まず、早朝に世話人と当番者が集まり、境内の清掃を行います。


清掃で一番大変なのは石段。
綺麗になりました。


本殿を開帳。拝殿も清掃し、拝殿にはゴザを敷きご祈祷に備えます。
この後は旗揚げ。


これまで密な作業になると言うので自粛していました。
鳥居のしめ縄は縄だけを付け、紙垂(しで)は宮司が用意してきます。


ご祈祷の前にお供え物などを準備します。
米、水、塩と御神酒、海の幸、山の幸をお供えします。


宮司が来られてから正式に配置し直します。
自家製の野菜は今年初めてブロッコリーにしました。甘柿も供えました。
9時から宮司にご祈祷いただきます。


小生が代表してサカキを奉納。全員で二礼二拍手一礼で拝礼。
本来なら代表するのは代参人です。
慣例では御神酒の回し飲みをするのですが、さすがにそれはなしに。
この後は集会所に移動し直会です。
直会の準備は本来代参人が行うことになっています。今回は小生を含め3人の世話人で行いました。
直会の際に改めて来年春には代参を行う事を申し合わせました。
夕方には当番になっている小生の班が旗降ろしを行い、一連の祭典行事は終了です。