里山悠々録

里山の家と暮らし、田んぼや畑、そして水墨画のことなどを記録していきます

年越しに神棚や輪通しなどの飾り付け

2024年12月31日 | 暮らし

穏やかな年越しとなりました。
昔は年越しの神事は大晦日に全てをやるものとされていたので大変でした。
父健在の頃には小生と手分けしてやったものです。それでも終わる頃には薄暗くなることもありました。
その父が亡くなって30回目の年越しですから正に夢のごとしです。
今は簡素化もしましたし、かなりの部分を前日までに終えるようにしています。
もっとも大晦日に飾り付けるのは良くないと言われることもあるらしい。しかし、昔からの習わしですからそれに従っています。
小生は宗教や信条など深い意味での拘りはありません。これまでの習わしに則り行っているだけです。
まず取り掛かるのは、神棚の飾り付け。
古い飾り付けを外し、お札も替えのきかないお札以外は全て下ろします。


新しい飾り付けに変えるには少々仕掛けが必要です。
これはお幣束(へいそく、御幣)。


過日、我が家も氏子になっている神社の宮司がお出でになり、ご祈祷して置いて行かれたもの。10本ほどあります。
こちらは鯛のきりこ。


これは神社庁から出されている神宮大麻、通称お歳徳神(としとくじん)さんと言われるもの。


篠竹を使って神棚に飾り付けるよう細工をします。


少々面倒ですが、小生がやれるうちは習わしに則って神棚に飾り付けます。


神棚中央にはお札を奉ります。
真ん中にお伊勢様のお札とお幣束、右に鎮守様、氏神様の新しいお札、左に崇敬する神様のお札。
神棚右側に恵比寿様などのお歳徳神さん。鯛のきりこも飾り付けます。
神棚左側には大黒様。両側にはお幣束。
台所にある小さな神棚には五穀豊穣とかまどの神様、火伏せのお札とお幣束を重ねて奉ります。


次は輪通しの飾り付け。
神棚の前に松の枝に輪通しを掛けて奉ります。


玄関にも輪通しを飾り付けます。


近隣でも手作りの輪通しを飾っているのは我が家くらいのものでしょう。
殆ど市販の綺麗なしめ飾りを飾り付けています。ポストなども古ぼけてきたのでお恥ずかしい限り。
そして作業場。そのほか輪通しのみをトラクター、管理機、車に。


次は床の間。


天照皇大神の掛軸に生け花は庭の紅白の梅と南天のみで生けます。
花器は父が太い孟宗竹の根元で自作したもの。
父が健在の頃生けていたのを小生が引き継ぎました。自己流なので全く自信はありません。
鏡餅は何年か前から市販の小さなパッケージものに変えています。
古いお札やお飾りは、小さな祠の山の神様に納めるのが昔からの習わしです。


祠の一部が欠けているのは地震により倒れ傷んだもの。
お幣束と御散供(おさご)を捧げます。御散供とは米が入っているおひねりのこと。
午前の部はここまで。例年とほぼ同じペースです。
午後は、まず鎮守様の鳥居にしめ縄を掛けるのが一番の役割。
その後、水の神様など数カ所にもお幣束と御散供を捧げてお参りします。
今は晴れていますが、多少雪か雨が降るかもしれないとの予報が出ています。

なお、当ブログは主に前日のことを翌朝に記事に纏めています。
しかし、正月行事は少々違和感を感じるので、大晦日と元旦くらいは当日の投稿とします。


年越しに向け輪通しとしめ縄を作る

2024年12月30日 | 暮らし

明日が年越し。
昔は年越しの神事は大晦日に早朝から一日掛け、飾り付けまでの全てをやるものとされていました。
父が亡くなってからは事前に準備するようになり、次第に簡素化もしています。
すでに30年の歳月が流れたわけですから当然とも言えます。
例年と変わらず輪通しとしめ縄を作りました。
まずは輪通し作り。
輪通しは、しめ縄を簡素化したものとされています。今、近隣で手作りしているのは我が家くらいでしょう。
但し正式に習ったものではなく父の作っていたものの見よう見まねです。
3本の藁を1回継ぎ足して綯い、このような輪を作ります。


この輪に五葉松、昆布そして干し柿の3種を挟み込みます。


五葉松(御用待つ)、昆布(喜こんぶ)に、干し柿は(かき入れる)で縁起が良いと昨年知りました
干し柿について父がそこまで知っていた訳ではなく農作物の豊作祈願の印にしたものと想像しています。
五葉松、昆布、干し柿を父はどう挟んでいたかは覚えていません。その時の気分で挟んでいます。
輪に下げる紙を作ります。しめ縄に付ける紙垂(しで)を簡素化したものです。
昔は障子紙を使っていましたが、宮司が普通のA4版用紙で紙垂を作っていると聞き、同じようにしています。
1/4に切って使います。


このように切り込みを入れます。


折り込みます。


これを挟んで出来上がり。


これを6つ作ります。


この輪通しを大晦日に飾り付けます。
次にしめ縄。
鎮守様の鳥居に付けるもので、昔から講中代表をしている小生の役割です。
昔は自分で縄を綯っていましたが、祭典に用いる縄を購入することになり、同じようにすることにしました。
これは大変楽になりました。小正月には取り外すので立派なものでなくて十分です。
縄に下げる紙垂(しで)を作るだけになりました。
これも普通のA4版用紙を半分に切ったものを使うようになりずっと楽になりました。


半分に切った紙を二つ折りにします。


このように切ります。


これを織り込みます。



これで出来上り。


切り込みの幅と深さを調整することで雰囲気が少し変わってきます。
これを5枚作ります。


縄に挟み込めばしめ縄の出来上がり。今年はここで縄に挟んでしまいました。


このしめ縄を大晦日に神社の鳥居に取り付けます。

イチジク「蓬莱柿」の剪定併せてビワの木も

2024年12月29日 | 畑:果実類

イチジク「蓬莱柿(ほうらいし)」の剪定をしました。
天敵のカミキリにやられ、とうとうこの夏にはついに2本になってしまいました。
それでも今年は10月10日前から穫れ始め、10月中下旬がピーク
わずか2本ながら思いのほかよく穫れました。
当地では11月上旬が限界で、遅い年は未熟な果実が多く残され終わってしまうこともあります。
今年は残されたものは僅かでした。
総じて気温が高く、黄葉や落葉も例年より遅くなりました。
この「蓬莱柿」は昔からあった在来種が枯れてしまったため新植し11年目になります。
当地方の在来種は「ブルンスウィック」という品種と分かっていますが、大きく異なります。
「蓬莱柿」は在来種より1ヵ月ほど遅い晩生の秋果専用種でその年に伸びた枝に実が着きます。
春から短期間のうちに新しい枝が背丈を遙かに超えて伸びます。
今年も8月初めには枝を間引きするとともに摘芯しました、それでもさらに伸びます。
在来種の時は剪定も僅かで半放任でした。「蓬莱柿」を放任したら大変なことになります。
まずこのイチジクを剪定します。


今年伸びた枝の大部分は切り戻すことになります
但し、正確なことは未だよく分かっていません。あくまで自己流です。
主要な枝は2、3芽を残して切り戻します。


切りました。


地べたに付きそうな下枝は元から切ります。
最終的に必要な枝の目安は20数本。しかしこの見極めが剪定時には難しいため翌年伸びた後に間引きするようにしています。
剪定後。


別のイチジク。


同様に剪定後。


すっかり丸坊主になってしまうのでどうなることかと不安になります。ようやく慣れてきました。
カミキリムシ対策にほとほと参っています。すでに3本が枯れてしまいました。
剪定しながら針金を差し込んだり薬剤を注入したりしていますが、あまり有効な対策になっていません。
剪定した枝を片付けて終了です。


併せてビワの木も剪定しました。1本だけです。


例年成ったと思っても収穫目前に害獣にやられるのが常態化していました。
それが、昨年、今年と我が家としてはよく穫れました
剪定は木が高くならないようにすることが第一。あとは太陽の光りが入るよう枝を間引きする程度。
剪定後。


剪定量は結構あります。


花が長期間咲いています。


自己流の剪定であとは殆ど放任なので少しでも穫れれば幸いと言ったところ。



アスパラ菜は順調でわき芽(孫茎)が盛り

2024年12月28日 | 畑:花菜類

今年のアスパラ菜は9月半ばと少し遅めの直播き。
11月早々から主枝(親茎)を穫り始め、11月20日頃からはわき芽(子茎)を穫り始めました
わき芽(子茎)が穫れるようになれば最盛期。その子茎もほぼ穫り終わりました。


株がやや疲れてきたのか葉に斑点が目立ってはきました。
12月半ばからわき芽(子茎)から出る孫茎が順調に穫れ始め、今盛りになっています。


なお、小生は分かりやすく子茎、孫茎と呼んでいますが、一般呼称は子茎が1次側枝、孫茎が2次側枝です。
まだ子茎も若干残ってはいるものの伸びているトウの殆どは孫茎です。
12月は気温が下がっていますが、思いのほか進んでいます。
孫茎になると丈は次第に短くなってくるのはやむを得ません。
気温が低くなり、株の力も落ちてくるからで当然と言えます。
しかし、このくらい伸びていれば十分、茎も太くなっています。
主枝(親茎)を収穫する時わき芽(子茎)を数芽だけに制限して切っているからです。
沢山残すと子茎の数は多くなるものの細くなり、当然孫茎も細く短くなりやすい。
子茎は2、3芽で切るようにしています。同様に孫茎も2、3芽残して切ります。
この株を切ってみます。


少し上方から覗くと、切るのはこの3本。


まず花の咲いている1本を切りました。


さらに中央と右の2本を切り孫茎を3本切りました。後ろの方にも隠れており10本余りの切り跡が見えます。


分かりにくいので茎の少なめの株で確認してみます。
切るのは花の咲いているこの1本。


2芽残しで切りました。


切り跡を確認してみます。
①が主枝(親茎)、②が子茎の切り跡4本、3が孫茎でこれから穫るものも含め6本。


隠れているものもあるので切り跡はもっと増えていきます。
孫茎の葉の付け根には、ひ孫の芽が見えています。
アスパラ菜は蕾から花の咲き始めが穫り頃ですが、多少花が咲いても問題ありません。
低温期は少し花が咲いても丈がある程度伸びてから切るようにしています。
数株穫ってみました。長さも太さも十分の孫茎が穫れました。


厳寒期に向かうので凍害が心配ですが、今のところは大丈夫。
ー5℃を下回るような急な強い霜に見舞われるとダメージを受けます。
今の気温の経過なら徐々に耐寒性も増してきます。
こちらは寒咲花菜。


今年は12月早々に穫り始めましたが、主枝(親茎)がまだ大分残っています。
今頃はわき芽(子茎)が穫れるようになるかと思いましたが、思いのほか遅れています。
わき芽(子茎)が穫れ始めれば最盛期入りですが、年明けになるでしょう。


年越しの準備は鎮守様の清掃から

2024年12月27日 | 暮らし

年越しの準備は鎮守様の清掃から始めます。
当集落にある小さな神社ですが、小生が講中の代表を仰せつかっています。
正月を迎えるのに放置はできません。
ささやかな地域奉仕と思い毎年黙々と一人作業を行うのが恒例となりました。
コロナ禍で祭典を中止したり直会を控えるなどしていましたが、ようやく本来の姿で祭典が挙行できるようになりました。
秋の祭典の時には世話人と当番者で境内の清掃はしているものの落葉などの汚れが酷くなっています、
特に参道の石段には大木になった杉の木などから枯れ葉が大量に落ちてきます。
それでも今年は比較的軽いように見えます。強風が少なかったからでしょうか。


しかし、上っていくと次第に多くなってきました。


境内は酷い汚れはありません。ここは夏場の除草がメインです。


境内周りにあった樹齢100年以上の樅の大木を伐採してからずっと楽になりました。
多少の落葉はしょうがありません。


箒で掃き集め綺麗にしました。


本殿周りも綺麗になりました。


拝殿の中も掃除しました。


一番の大仕事は石段の清掃です。


昨年に比べれば楽ですが、それでもこの量です。


上から下にと掃除してきますが何度も上り下りしながらの作業になります。
金を掛けてトレーニングする人間もいるので、金の掛からないトレーニングと思いやることにしています。
酷かった中断から上もまあまあ綺麗になりました。


石段の途中にある出羽三山の石碑の周りも綺麗にしました。


参道の登り口付近も掃除。鳥居周辺の雑木も刈り払いし、片付けました。
もっとも、掃除している最中にも落葉は舞ってきます。
完璧にはできないもののこのくらいで良しとしてもらいましょう。


がっちりと半日掛かりました。
参拝者が清々しい気持ちでお参りしてもらえればやった甲斐があるというものです。
正月まで若干日があります。以前大晦日にも再度掃除したことがありました。しかし、もうそんなことはしないことにしました。
この後は大晦日に鳥居のしめ縄を取り付けるのが小生の役割です。