2011年3月11日の東日本大震災から間もなく10年。
この節目に大きな被害を受けた地を訪ねてみることにしました。
当県の大震災による死者行方不明者は1万人を超えます。
そのほとんどは津波による犠牲者です。土地や建物の被害も津波による被害が圧倒的に多い。それに比べれば内陸部の被害は相対的に軽いと言えます。
とはいえ、我が家も無傷というわけにはいきませんでした。家屋や農地さらにはライフラインと自らのことで精一杯でした。
それ故に大被害を被った沿岸部への貢献は何らできていません。これまでも足が遠のいていました。
今回は、県南の沿岸部数カ所を訪ねてみました。
この節目に大きな被害を受けた地を訪ねてみることにしました。
当県の大震災による死者行方不明者は1万人を超えます。
そのほとんどは津波による犠牲者です。土地や建物の被害も津波による被害が圧倒的に多い。それに比べれば内陸部の被害は相対的に軽いと言えます。
とはいえ、我が家も無傷というわけにはいきませんでした。家屋や農地さらにはライフラインと自らのことで精一杯でした。
それ故に大被害を被った沿岸部への貢献は何らできていません。これまでも足が遠のいていました。
今回は、県南の沿岸部数カ所を訪ねてみました。
仙台市若林区荒浜。
慰霊塔。すぐ向こうが太平洋です。
右の慰霊碑に犠牲者の名が刻まれています。
ここには知人夫婦の名があります。
集落は根こそぎ消滅しました。
震災遺構として住宅の基礎がそのまま残されています。
集落は根こそぎ消滅しました。
震災遺構として住宅の基礎がそのまま残されています。
大津波の様子が書かれています。
遠くに見える白い建物が震災遺構として残されている荒浜小学校。
津波は2階まで到達したものの多くの人がここに避難して難を逃れました。
一帯は災害危険地域に指定され、住民が全て転居しているため未だ荒涼たる風景は否めません。
ここから南下。
名取市閖上。
2019年4月グランドオープンした「かわまちてらす閖上」。
2019年4月グランドオープンした「かわまちてらす閖上」。
復興の象徴的な閖上地区の新しい商業施設。
木造平屋建ての3棟には飲食店や海産物の店などが軒を連ねています。
この左手の川が名取川。すぐ河口です。
このすぐ近くに知人宅がありました。震災当時知人本人はすでに鬼籍に入られていました。すでに転居されています。
港の方まで足を伸ばしてみました。水産加工場や住宅施設も多くなり、当地では復興が実感できました。
港の方まで足を伸ばしてみました。水産加工場や住宅施設も多くなり、当地では復興が実感できました。
亘理町荒浜。
ここは入り江になった特殊な地形の鳥の海地区。
ここは入り江になった特殊な地形の鳥の海地区。
かさ上げされた堤防から見る入り江。
昔は周辺に大型のプールなどもあり賑わっていましたが、未だ整備途中のようです。
この建物は「わたり温泉 鳥の海」
日帰り温泉施設です。
日帰り温泉施設です。
オープン3年目くらいで震災に遭い、しばらくして復活しました。3年ほど前に訪ねていますが、その時はまだ不十分な印象でした。
今度はレストランも綺麗に整備されており、ここで昼食をとりました。
当地の名物は「はらこ飯」ですが季節的に品切れ、寿司セットをいただきました。
ここから海岸線近くを山元町まで南下したかったのですが、昔とは道路が大きく変っており、イメージ通りには行けませんでした。
亘理町から山元町の海岸線沿い、通称浜街道にはイチゴのパイプハウスが林立していましたが、津波で壊滅。イチゴ農家の知人も命を落としました。
今度はレストランも綺麗に整備されており、ここで昼食をとりました。
当地の名物は「はらこ飯」ですが季節的に品切れ、寿司セットをいただきました。
ここから海岸線近くを山元町まで南下したかったのですが、昔とは道路が大きく変っており、イメージ通りには行けませんでした。
亘理町から山元町の海岸線沿い、通称浜街道にはイチゴのパイプハウスが林立していましたが、津波で壊滅。イチゴ農家の知人も命を落としました。
現在は大型の近代的な施設が建ち並び、イチゴ産地として目覚ましい復興を遂げています。
山元町坂元。
震災遺構の中浜小学校。
震災当時の姿がそのまま残されています。
向こうが太平洋。
右上2階天井付近に津波到達点の目印があります。
児童や地域住民らが屋上に避難し、90人の命が守られました。現在は防災教育・震災伝承の場として一般公開されています。
これは「幸福の黄色いハンカチ」をイメージしたモニュメントでしょうか。
復興のシンボル的な直売施設「夢いちごの郷」。
多くの地元産品が並び、賑わっていました。
何といっても目玉は特産のイチゴ。
これは当県のオリジナル品種「もういっこ」。
大粒で、甘味と酸味のバランスが良く日持ちもする美味しいイチゴです。
駆け足ではありましたが、復興の現状を知るいい機会となりました。
行きたいと思っていた所でした。
周囲のガランとした風景は、生々しい震災の傷跡でした。
コメントありがとうございます。
震災復興の地を訪ね、亡くなった方々への哀悼の念を新たにしました。