6月12日(火)、娘と一緒に、母のいる豊田に行ってきました。いつも母の好きなお寿司を買っていこうと電話をしたが、通じなくって、結局3人前買っていきました。
お嫁さんが仕事から帰って来ていた。母はもう食べていたので、お嫁さんと一緒に食べようとしたが、一口口にしただけで、遠慮をしていた。残ったものは母の夕食にするということである。なんだかやりきれない気持ちになった。
ミシンもいくつかお嫁さんのを母が持ち出して壊してしまうので、また新しく買って隠してあるということです。やはり嫁と姑に確執はどうすることもできませんね。娘としてはあまり聞きたくない話です。母とゆっくりディサービスの話が聞きたかったのですが、7月にまたゆっくり来ると約束して帰りました。
なんだか母が、少し痩せていたように思って尋ねると、69Kあった体重が53キロになっているということである。体に支障がなければいいのだが、なんだか心配になった。
私は、子どもの頃、母があまり好きではありませんでした。母は何かあると、私につらく当たって、よく殴られていました。それがまた私の反抗期には、ひどくなって、大人になってからも、一度は階段の上から、ほうきの柄のほうを持って、私を追っかけてきて、たたくんです。このことはどんなことで怒られたのかはっきり覚えてはいませんが、たたかれて痛かったことだけをはっきり覚えています。
戦後、母が2人の子どものある父のところに、後妻に来て、私が生まれ、弟2人が生まれました。そんな中で、きっと兄や姉を叱ることができなくって、私に怒りをぶつけていたのではないかと、大人になって感じました。
母が91歳になって、年を取って、肩身の狭い思いで暮らしているのだと思うとかわいそうになってしまいます。弟のところに引き取られるときに、お嫁さんは「お母さんにとってうちが長男ですから」といって引き取ってくれたんだけれど、15年も過ぎると、いろんなことがあって、お互いに思いやる心が失うものなのでしょうか。私にとってどんな母も血を分けた娘です。この関係を変えることは出来ません。
母がめっきり弱くなってから、嫁がよく病院に連れて行ってくれると喜んでいます。もうこれから何年生きることができるのでしょうか。老い先短い母に、一言でいいから優しい言葉かけをしてくれるといいのだけれど、むずかしい事なのでしょうか。