Nori log

日常のちょっとした出来事を写真で残しています
3年の上海駐在を終え、今は日本の良さを再認識中

田原坂

2015-01-12 21:08:05 | お出かけ九州

先週は風邪気味で体調が悪かったうえに、連休明けの仕事は超多忙で ヘトヘトだった。
それでも無理して金曜日にトレーニングで泳いでみたが、その反動で土曜日はダウンして一歩も外出できず。
日曜日は回復の傾向が見えたので、あまり無理をしないようにと久しぶりの Brompton でポタリングに出かけてみた。

目的地は自宅から10kmと程近い 田原坂(タバルザカ)
国内最後にして最大の内戦 「西南の役」 の激戦地であり、今は公園化されているが熊本最凶の心霊スポットでもある。

 
何故ここに戦火が集中したのか?
それはこの坂道にあった。

北から熊本城を目指して南下する官軍(政府軍)の大砲が通れる道は、幅的に当時はこの田原坂だけ。 
当然迎え撃つ薩軍(鹿児島軍)はここをなんとしてでも死守したい。
雨中の攻防戦はこの丘だけで4000人もの戦死者を出したとのこと。

その中には十数歳の子供達だけで編成された 「少年抜刀隊」 なる部隊もあったらしい。
近代火器で武装した官軍に日本刀で挑む果敢さとはかなさを想うと、柄にもなく目頭が熱くなる。
(最近歳のせいか涙腺が少々緩くなってきたようだ)

(この銅像はちと わざとらしいが ・・・)

双方の戦没者を合同で弔う慰霊碑が公園の中央に建っている。

官軍 6923名、 薩軍7186名  合わせて14109の名が背後の壁に印されていた。


慰霊碑から西側に目を向けると ここが複雑な地形の丘上にあることが分かり、難攻な要害だったことが容易に想像できる。 


弾痕の家

これは写真を元に復元されたものらしいが

帰路の道すがら、薩軍と官軍の墓地にも寄ってみた。

薩軍の墓地は平野の畑の中にあり、オープンな雰囲気が感じられる。
豪楽な薩摩隼人(サツマハヤト)の気質がそうさせているのか


対象的に官軍の墓地は竹薮に囲まれており、一種異様な空間となっていた。

死しても尚ピンと背筋を伸ばし、剛直に整列し続けているような


雨は降る降る じんばは濡れる こすにこされぬ 田原坂



いつもとはちと趣が違うポタリングになったな

コメント
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