日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

続・愛国心的きんぴらごぼう

2005年06月08日 | インポート
中国、町村外相を批判 「歴史問題で間違った見方」
今朝の毎日新聞の見出しの一つである。

以下にその内容を転記する。

中国外務省の劉建超報道副局長は、7日の定例会見で、町村信孝外相の最近の発言に対して「日本の高官は歴史問題で間違った見方をしている」と批判した。
 町村外相は6日の講演で「靖国神社に行ったから日本は軍国主義だとか批判もあるが、とんでもないことだ」と述べた。
また、日本が政府開発援助(ODA)を通じて果たした役割に言及して、中国などをけん制した。
 劉副局長はこの発言について「歴史を正視せず、いろいろと理由をつけてごまかそうとするのは、かえって馬脚を現すだけだ」と指摘。日本の指導者の靖国神社参拝について「日本の軍国主義による侵略の歴史を否定しているのは明らかだ」と述べた。また、町村外相がODAを引き合いに出した事について「日本が援助を提供したことで、アジアの国々を傷つけたという歴史を抹殺する事はできない」と批判した。
 中国各紙も7日、町村外相の発言を取り上げて「アジア各国に事実無根の罪を着せた」「外相がでたらめの弁護」などの見出しで、批判記事を掲載した。

以上が、その記事の全文である。

私は、これは全面的に町村発言を支持する。

そもそも政府開発援助は、いわゆる宗教心的ないたわりの心がなければ実現できないのではないのか。
宗教を国家で禁じていると言われている中国の人達には、その辺の事が、きっと理解できていないのであろう。

靖国神社に首相が行ったから日本は軍国主義だ、などというような考え方自体が根拠の無い言い掛かりだ。

「施し」を受けながら、その援助国の首相の、心の持ちように関する事にまで批判ばかりしている「独立国家」に、日本人が汗水たらして納めた税金をくれてやる必要など全く無いはずだ、と考えるのが「日本人」としての偽らざる想いではなかろうか。

援助をしてもらうのが当然という顔をして、宗教を禁じている国が、他国の人の宗教心的なところまで踏み込み批判する事は間違っている。

我が国の政府の指導者たちが思っているほど、日本国の一般庶民の暮らし向きは豊かではない。

そのような感謝の気持ちも無いような、人類史上ただ一度だけの、核兵器による被爆国である我が国を横目で見ながら、核実験を平気でやっているような「独立国家」に、グチグチと文句を言われながらお金を放出するよりも、自国民のために使った方がはるかに感謝されるはずだ。

長崎・広島で被爆して亡くなられた方々が、敵国人を殺したというのか。
無差別の殺戮ではないか。
人類が史上初めて、悪魔の兵器を手にして使ってみた結果ではないか。
戦勝国の人間は、人道的な戦争をしたというのか。
敵国人を、残虐な方法で多数殺傷しても、戦勝国の人は戦犯とは言われないのか。

本来ならば、国民皆平等が国是のはずの中国で、なぜ貧富の差が大きいのか。
中国四千年の歴史と言われるが、その間にも幾多の戦争があったはずだ。
その歴史は、いわば侵略の歴史であったのではないのか。

明日のおかずの一品には、絶対に国産ごぼうで作った「愛国心的きんぴらごぼう」が加わることになる。

豊田かずき