日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

模様替え

2005年06月17日 | インポート
平成15年9月から公開していた、私の議員活動報告のホームページの模様替えをした。

平成15年9月に、息子が作ってくれた基本のページに、変更・更新・追加の方法だけを教えてもらって、追加・更新を繰り返してきた。

掲載している情報が増えてきたので、見てくれる人が検索しやすくするように、息子に要望を出していたものが、やっと完成した。

息子のこだわりで、ホームページ作成ソフトは使わず、全て手書きのプログラムで作ってくれた。

19歳の息子は、誰かにプログラムの作り方を教えてもらった訳ではなく、自分で本を1冊買ってきて、それを読んで理解したようだ。

いろいろな注文を出したが、ほとんど応じてくれて、イメージ通りのものを作ってくれた。

これで、およそ2年間の議員活動における、一般質問の体系的な分類ができ、自分の備忘録としての活用もし易くなった。

私の一般質問を契機として実施されたと思われる事業結果等の写真や、関連資料等の掲載までには、あと少しの時間が必要だが、それもおいおい載せていくつもりである。

模様替えをすると、なんとなく新鮮な気持ちになれる。

豊田かずき



修理

2005年06月17日 | インポート
購入してから満6年たった洗濯機の調子が、1週間前からおかしくなった。
洗い・すすぎ・脱水と一応進むのだが、脱水の時のモーターの回転音が異状に大きい。

毎日の仕事として、洗濯機を使わなければならない妻にとっては、とても気がかりな事だったようだ。

購入した店に、電話で症状を説明すると、モーターの回転軸の周りの、ベアリングの部分の不具合である可能性が強く、モーターごと交換しなければならないだろうということだった。

3日前に、実際に洗濯機の様子を見に来てもらったが、その音を聞いて、間違いなくベアリングの部分の不具合であると言う。
仕方が無いので、その交換部品を注文してもらうことにした。

購入後、5年以内ならば無償修理をしてもらえるような契約をしていたが、残念ながらその期間が終り、1年程が経過していた。

家電メーカーも、程よい耐用年数での稼動を目標にして、製品を作っているのかなと思ったりもする。

修理の人が、約束どおり、今日の午前10時少し前に、交換部品を持ってやってきた。

てきぱきと作業を進め、洗濯機を裏返しにして、モーター部分の取り外しから交換部品の取り付けと、1時間ほどで完了した。

部品代・修理工賃の総額で、21,500円の支払いだったが、新品を買うよりははるかに安い。
およそ60,000円で購入した洗濯機だったが、6年間は何事も無く動いてくれたので、日割りにすると、約27円づつ支出した計算になる。

これから先、あと5年使えるとすると、11年間使ったことになるので、修理費用の21,500円を加えて、その日数で割ると、1日当りおよそ20円を支出した計算になる。

資源の少ない我が国においては、「修理」をして使うということを軽視してはならないと思う。

豊田かずき




記念日

2005年06月16日 | インポート
生活をしていると、いろいろな記念日が巡って来る。

今日は私にとっては、1ヶ月達成記念日だ。
ダイエットでも禁酒でも禁煙でもない。
このブログ(ウェブログ)を始めて、休まずに1ヶ月が経過した記念日である。

小学生の頃の作文の時間が大嫌いだった。
テーマを与えられても、何をどのように文章にすれば良いのか、全然思い浮かばない。
頭の中で、どうしようかどうしようかと思い悩んでいるうちに、時間だけが過ぎていたような記憶しかない。

作文の授業で、時間内に完結した文章を書いて提出したことは、ほとんど無かったような気がする。

一度だけ、小学校での父兄会(今では、父母会というようだが)から帰ってきた父が、父兄会の中で紹介された作文の一つが、私の書いた作文のようだったと言ったことがある。
「手伝い」をテーマにした作文を、担任の先生が、生徒名を匿名でいくつか紹介されたということで、その中の一つが私の書いた物ではないのかということだった。

タバコを買いに行かされた時に、つり銭を小遣い銭としてもらえると言う内容の作文が、自分たち親子の行状とそっくりだから、お前が書いた物ではないのかと言う事だ。

おそらく私が書いた物だったと思う。
担任の先生が、どのような意図で紹介したのかは分からないが、作文に関して、ただ一つだけ記憶に残っているエピソードである。

二年ほど前に、町会議員にならせてもらってからは、文章を考えて、人前で発表しなければならない機会が、三ヶ月に一回は必ず巡って来る。

それも、町長・助役・収入役・教育長・役場の幹部職員である各課長という、人生の大先輩で、しかも行政経験豊富な人達の前でである。

議会定例会での一般質問だ。
一般質問をする・しないは各議員の自由ではあるが、私は毎回するということを議員活動の基本に置いている。

小さい頃は大嫌いだった作文も、自分が主張したい事や疑問に思う事があれば、案外簡単に文章は書けるものだということが、最近分かってきた。

また、スポーツと同じで、訓練をすれば何とかなる物だと言う事も分かってきた。

そのような訓練の一環として始めたこの「ブログ」であるが、テーマは日常や過去の出来事の中にいくらでも転がっているし、テーマの方が勝手に飛び込んでくる事もある。

今までに、普通の日記を書き始めた事は何回もあったが、長続きしたことがなかった。

パソコンによる文章の作成は、書き換え・入れ替え・削除・コピーなど自由自在であるから、とても気が楽だ。消しゴムも鉛筆も要らない。
字の上手・下手も関係ない。

漢字を忘れていても、ボタンを押せばその候補文字が表示されるから、正しい漢字を形として記憶さえしていれば、あるいは読む事さえできれば、ほとんど間違わずに表現する事ができる。

しかし、手書きの文字を書く機会が少なくなったので、書けなくなっている漢字が多くなった。メモを取る時に出てこない事が多い。

たまには、メールのやり取りだけではなく、自筆の手紙を書いてみるのも悪くはない。

先日久々に、辞書で漢字を確認しながら、二通の手紙を書いてみた。
自筆の手紙の文字には、その人柄がにじみ出るということで、少し緊張しながら書いてみたが、紙の上にはミミズがたくさん這っていた。

記念日だから、ショートケーキをつまみにして、ビールでも飲んでみようか。

豊田かずき



田植えと父親

2005年06月15日 | インポート
事務所の周りの水田に、おとといぐらいから水が引き込まれ始め、昨日ぐらいから田植えが始まった。

この付近の水田耕作のための水は、千鳥川の少し上流を、数箇所の可動堰でせき止めて溜めた水を、必要な季節にだけ、用水路を通じて配水することによって賄われている。

今年は、いまのところ、そのようにして配水するための水に困る事も無く、この付近では順調に田植えが行われつつある。

農家にとっては忙しい時期に入ったが、この季節になると、子どもの頃に感じた両親のことを思い出す。

私が中学生になるぐらいの頃までは、今のように田植え機もなく、稲の苗を苗床で育て、それをかがって、直径10cm程度の束にして、そのような苗の束を各水田まで運び、それを小分けにしながら、全て人力で手植えをしていた。

田植えの季節になると、親類に「加勢人」に来てもらい、苗床の苗かがりをやってもらったり、一枚の田んぼを数人がかりで、中腰のまま田植えをしたりと、とても忙しい日々が始まる。

母親は、朝早くから起き出して、朝食の準備をしたり、手洗いでの洗濯をしたりと、家事一般を済ませた後に、本題の田植えの作業をこなしたりと、休む間もなく働き続ける。

父親は、その日に植える予定の田んぼの代掻きなどで忙しく働きまわり、肉体を酷使せざるを得ない状況が続く。

子どもの私たちは、学校から帰ってからや、学校が休みの日には、必ず田んぼに出て田植えの手伝いをする。

そのような状況が三週間近く続いていた。

肉体を酷使しているものだから、その期間の途中から、両親の機嫌が悪くなり、子どもの私たちは、両親の顔色を伺いながら行動するような日々がしばらく続く。

そして自分の家の全ての田んぼの田植えが終わった日の夕食時に、父親がかならず言っていた言葉があった。

「今年も田植えん、よーよし終わっただい。こいでいつ死んでんよかだい。」と言うのが口癖で、ほっとした穏やかな表情でコップのビールを飲み干していた。

子どもの私としては、そんなに簡単に死なれては困ると、真剣に思ったものだった。

稲作を主体とする農業をしていた父親にとっては、田んぼに苗を植えてしまえば、あとは定期的な少しの管理作業の労働だけで、お日様と水などの自然が稲を育ててくれるという安心感から出ていた言葉であったのだろう。

古来よりの稲作の作業形態は、機械化によって様変わりしてきてはいるが、田植えが終わった時の心持は、昔と同じなのではないかと思う。

「いつ死んでんよかだい。」と言っていた父親は、20年前に59歳で他界した。

戦争にも徴兵され、機械化される前からの、きつい肉体労働の農業を営み、私たち子ども四人を育て上げてくれた、怒ると怖い父親だったが、少し早い旅立ちだったと思う。

しかし、父親が他界した当時、大阪で暮らしていた私と妻子は、父親の他界という出来事が無かったならば、このようにしてこの町で暮らしていたかどうかは分からない。

子育ても自然の多いこの町で出来た事が良かったと思えるし、何よりも自分の心が、父親をはじめ先祖が入っている墓を護っているということで安らぎがある。

田植えの季節になると、ついそのような事を思ってしまう。

豊田かずき


議員の訪問

2005年06月14日 | インポート
昨日から今日にかけて、「議員」という肩書きの人が、5名も、私の事務所を訪問してくれた。

昨日は、島原市在住の4名の人たちで、今日は深江町在住の一人である。
昨日の、島原市の人たちは、佐賀県と諫早市の視察の帰りに、私の所にも立ち寄ってくださった。
諫早湾干拓関係の視察の帰りで、私の諫干事業賛成の立場での考え方を、じっくりと伝えさせて頂いた。

それぞれの方から頂いた名刺の住所から、それぞれの方が住んでおられる地域の推定ができた。

島原市新田町にお住まいの方は、干拓によって造成された地域だということで、高潮被害に対する恐怖を感じながら育ったと言う事だった。(干拓地名。)

島原市津町にお住まいの方は、家の敷地の1m先は海という場所だと言う事で、風が吹くと波が高くなり、恐怖を感じておられるということだった。(海岸地名。)

島原市新山にお住まいの方は、歴史的に比較的新しい住宅造成地で、標高が少し高めの地域の人であろうと推定できる。

島原市上の町にお住まいの知人は、幹線道路か市の中心部より少し上の方の、標高が少し高い地域の人であろうと推定できる。

「新田町」、「津町」、「新山」、「上の町」とそれぞれの地名から、その土地の成り立ちが、ある程度は推定できる。
昔から伝わった土地の地名は、いろいろな情報を教えてくれる、ある種の文化遺産であると考えている。

自然災害に直面している人達にとっては、防災対策というものは、他人事では無い。
私のような、諫早湾岸の低平地域に住んでいる者の、潮受け堤防に対する有益性の肯定の立場の意見も、真剣に聞いて頂いた。
有り難い事である。


今日、私の事務所を訪ねてくれた、議員の肩書きのお客様は、まだ議員になって1ヶ月足らずの人だ。

深江町議員の中で、唯一私が知っている、深江町議会の中では最年少の人だ。
町議選挙の前に貸しておいた、ハンドメガホンを返しに来てくれた。

聞く所によると、新人が4名加わった事によって、いろいろな、議会構成の初期的な段階で、活発な議会になっているとの事だった。

いろいろと話すうちに、彼の6月議会における一般質問のテーマが、じわじわと滲み出て来た。

彼にとっては、人生で最初の一般質問の機会である。
地域住民の期待に沿うような一般質問をして頂きたい。
彼の言動に関しては、多くの町民が注視しているはずである。

堂々と頑張って欲しいと思う。

豊田かずき



遡上と流下・続々諫干工事

2005年06月13日 | インポート
私が住んでいる地域は、低平地と呼ばれる古来よりの干拓によって造成された土地である。

周辺の小字名称にも、古新田(ふるしんでん)・有明新田(ありあけしんでん)・新崎新開(しんざきしんかい)・井川尻(いがわじり)などがあり、干拓によって出来た土地である事を教えてくれる。

もともと標高の低い、潮汐運動による満潮時には海面下にあったような所を、堤防を造る事によって潮の流入を遮断して、耕作地や居住地にしてきた地域だ。

潮汐により運ばれて堆積した潟を利用しながら、少しずつ土地を広げることにより、農作物の生産のための平らで広大な農地を手に入れてきた歴史がある。

だから、最新の干拓堤防には、地区ごとに必ず1箇所か2箇所の「樋門」が設置されている。

この「樋門」の役割は、潮汐運動による潮の遡上に対しては、それを締め切る事により、干拓地域内への潮水の流入を遮断し、干拓地内に上流域から流下する水に対しては、それを開放することにより、干拓地外に排出するということである。

そのような「樋門」の開閉操作をするために、各耕作地単位で「水まわし」役を決めて、その人が「樋門番」という仕事をしていた。
潮汐の時刻に合わせて、一日に二回、その樋門の所まで出かけて、開閉操作をしなければならなかった。

諫早湾干拓の潮受け堤防ができてからは、潮汐による遡上水が無くなったので、それらの樋門は、常時開放されたままになっている。
要するに、流下水を流し出すだけの機能に特定されたということになる。

ここで、「遡上」と「流下」について考えてみる。

私たちが居住する諫早湾周辺の低平地域にとっては、諫早湾干拓の潮受け堤防の水門操作により、潮汐運動による潮水は遡上しなくなった。
このことは、それらの低平地域の、高潮による被害を防ぐという効果が生まれたことになる。
高潮被害が想定される地域に対しての、防災対策効果が発揮される事になる。
であるから、私たちにとっては有益な工事であると受け止めている。
また、地球温暖化に伴う海水位面の上昇の際の低平地域の冠水防止にも、将来的には寄与する事になると想定されるので、そのような見地からも、潮受け堤防の果たす役割は大きいと考えられる。

流下水について考えてみる。

この流下水は、干拓堤防で囲まれている区域の流域から集まる水である。
各干拓区域の「樋門」の所に集中して、そこから堤外地へ排出される。

そのような水であるから、「樋門」を開門した時の通水断面における排水量しか排水する事はできない。

それでは、豪雨等により、その干拓堤防で囲まれている区域の流域から集まる流下水の総量が、「樋門」の排水能力以上になった場合にはどうなるだろうか。

流入水量が排水量より上回るわけであるから、当然のことながら、その干拓堤防で囲まれている区域の内部に水が溜まり、その区域の水位が上昇していく事となる。

このことで分かるように、ある程度までの流下水に対しては、潮受け堤防により潮汐を遮断していることによる効果があるが、干拓堤防で囲まれている区域内の流入水量が排水量より上回るようになった時点で、流下水に対する排水効果は無くなる。
また、調整池に流入して貯留された水の水位が「樋門」の上側水位を超えると、樋門からの排水効果は無くなる。

このような事から、潮受け堤防による高潮に対する防災効果と、低平地域の排水効果は、一定条件の下においてはあると言えるが、必ずしも相関があるとは言えない。

潮受け堤防の内部水位(調整池の水位)と、外海の水位差が30cm以上で、引き潮にならないと、調整池に溜まった水は排水できないので、そのような条件を満たすまで、調整池内部の水位は上がり続ける事になる。
そのような事態になれば、調整池の水は「樋門」から、干拓地の中に逆流することになる。

このようなことを防ぐ方法はただ一つだけに限定される。
「樋門」を常時閉じたままにしておき、調整池からの水の逆流を防ぎ、干拓区域内から流下して集まる水量以上の排水能力を持つ、強力な排水ポンプによる強制排水しか考えられない。

旧干拓地の「樋門」による排水に対しては、本当の意味の防災を論ずるならば、強力な排水ポンプによる強制排水の方法を推進するしかない。

そのような時の、ポンプを稼動させるための電力は、潮受け堤防の水門を開閉して、その時に生じる潮流のエネルギーを利用した、潮流発電によって得られる電力を利用すれば良いと考える。

技術的に研究開発せねばならない事は多々あると思うが、国や県の研究機関や民間企業の知恵を総動員して取り組めば、技術立国である我が国にとっては、可能な事であるはずだ。
そのような事に税金を投入する事については、異論を唱える人は少ないのではないかと推察する。

水門の開閉であるから、潮汐の満潮位までの海水を流入させないで、その3分の1から4分の1程度の水位までの海水の流入と、排出を繰り返して、現在、淡水の下に浸かったままになっている土を、空気に触れさせたり潮水に浸けたりする事を繰り返せば、その潮水に浸かる区域の干潟は必ず回復する。

要するに現在の調整池の水位は、平水時において、標高値マイナス1mに固定されているが、それよりも2mぐらい高い水位である標高値1m程度の水位までしか潮水を流入させないようにし、さらに干潮時には、潮受け堤防が出来る以前の干潮時水位である標高値マイナス1.5mより低い水位になるまで、排出するようにする。

そのような事を潮汐運動に従って繰り返すことによって、現在は悪化した水質の水の下に浸かったままになってヘドロ化している、従来の潟土が生き返り、そこに生物が生息できるようになり、以前の干潟が再生できることになる。

そうすると、潮水と、生きている土である潟の水質浄化作用により、調整池内部の水質も改善される。

干潟が再生されれば、泉水海と呼ばれ、有明海の子宮とも称されていた、諫早湾奥部における水産資源の回復も期待できる。

調整池の岸辺に葦を植えて、それで水質の浄化を図るというような、小手先の方法での解決法では、水質の浄化は不可能である。
調整池の全域に近いぐらいに葦を植えることが出来るのであれば話は別であるが、現実的には有り得ない。

流入させる潮水の水位が低いので、干拓堤防内部に対する台風時等における農作物に対する塩害を受ける可能性も低い。

気象状況により、潮汐による潮水を流入させるかさせないかの判断は、調整池の流域に対する詳細な気象予測システムの研究開発による、システムの確立によって可能である。
その判断によって、潮受け堤防の水門の開閉を調整すれば、低平地域の高潮による被害は防げる。

そのようになった場合に確保しなければならないのは、農業用水であるが、心配はない。

これは、旧干拓堤防の内側の、標高の低い水田区域で、1町歩程度の溜池を数箇所造り、そこに梅雨時に流下してくる淡水を貯留しておいて、ポンプで循環させて使えば良い。

後継者がいないような人達の水田を、干拓堤防の近くの標高の低い所に集め、従来の減反奨励金のような制度を作って、県なり国なりが借り上げて、そこに溜池を掘り、水を循環させるためのポンプ施設と送水管を敷設する。

低平地域においては、梅雨時には、迷惑なほど淡水の流下があり、その淡水をうまく貯留して、農業用水として利用すれば良い。なんら問題は無い。

その貯留水を循環させるためのポンプを動かすための電力も、潮受け堤防の水門の開閉時に得られる潮流発電によって賄えば良い。
当然、ポンプ施設の設置も、送水管敷設工事も、国に予算化してもらって実施する。

ただし、潮受け堤防の水門の開閉によって潮水の出し入れをする前に、国の責任でやってもらわなければならないことがある。

旧来の干拓堤防の補修工事と、調整池の区域内に繁茂したセイタカアワダチソウなどの雑草の根元からの除去と、その区域内の耕うん作業である。
調整池の水位が上昇した場合には、旧来の干拓堤防でその提内地を護るしか方法は無い。
そのために、最優先で取り組まなければならない事柄だ。

雑草の根元からの除去と、その区域内の耕うん作業は、干潟を再生させるために、固くなった土を細かく砕き、土の中に空気を入れて潮水が浸透しやすくするためである。

幸いにも、現在は潮受け堤防により潮水の遡上を遮断しているので、そのような工事の施工がしやすい状況である。
地元の中小規模の建設業者に、工区を細分化して発注するようにすれば、地域経済の活性化にも繋げる事ができる。

さらにもう一つ、重要な事は、周辺漁民への漁業被害に対するしばらくの間の補償を、国の責任で行う事である。

現在水質が悪化している調整池の中の水を、潮受け堤防の堤外へ放出する事になるので、しばらくの間は、周辺漁業への被害が想定される。
国が始めた工事が招いた結果であるから、国の責任で対処しなければならないということは、当然の事であるはずだ。

宝の海が再生されて水産資源が回復したならば、周辺漁民の方々の暮らし向きも、潮受け堤防の建設前の状況に少しずつ戻る事が可能であろう。

農民も漁民も一般住民も、それぞれが少しずつの譲歩をすれば、それぞれがいがみ合う事も無く、以前のように平穏な日常を取り戻す事ができるのではないのか。

そのためには、諫早湾干拓工事に関連した、水門の開閉に向けた工事や、関連技術の確立のための調査・研究のために、国が各種の予算化を決断する事が必要不可欠である。

国の責任で始めた工事であるのであるから。

豊田かずき




防災対策・続諫干工事

2005年06月13日 | インポート
自然災害に対する防災対策は、誰を対象にして考慮されるべきものであろうか。
私は、その自然災害に遭う可能性のある人達や地域に対して策定すべきものであると考えている。
当然の事であろう。

例えば住宅地のすぐ裏手が急傾斜の山で、がけ崩れの可能性が想定される場合には、その想定される特定の住宅群に対して、急傾斜地の保護工が計画される。
それらの住宅群から離れている所に住んでいる人達のために計画される訳では無い。

防災工事に対しては、最初から広い地域における費用対効果を論じるべきでは無く、如何にしたらその自然災害に遭遇する可能性のある地域の人達の、人命や財産を自然災害から護る事が出来るかということが重要な論点であろう。

諫早湾干拓の潮受け堤防に関して、高潮被害の抑止効果が、諫早市街に及ぼす費用対効果を持ち出して、無駄な公共工事であるという論を主張している人達がいるが、私は間違っていると思う。

防災効果というのは、その防災工事の結果によって恩恵を受ける人達のためにあるのであって、そのような災害の影響を受けないような人達のためにある必要は全く無いはずだ。

私達のように、古来よりの干拓によって造成された、低平地域に居住している者にとっては、将来的な地球温暖化に伴う海水位面の上昇時に於ける低平地域の冠水防止対策という意味も含めて、現在における高潮被害の抑止に役立っている潮受け堤防の存在は、間違いなく有効な防災施設であると言える。

環境保護と防災対策について考えてみる。
この二つの事柄は、必ずしも両立しないこともある。

優先順位を付けるとすれば、その防災対策の実施によって、人命や財産を護られる人達にとっては、防災対策の方が最優先すべきであると主張するだろうし、そうでない人達にとっては環境保護が最優先であると主張するのが一般論だと思う。

であるとすれば、第一に防災効果があり、なおかつ環境保護にも繋げる事が可能であるような方法があるならば、そのような方法の選択をするべきだと考える。

諫早湾干拓工事の場合には、工事等の内容を、3つの部分に分けて考えれば理解しやすいし、諸問題の解決の方法も見出せるのではないかと思う。

その3つの部分とは、潮受け堤防、内部干拓、調整池である。

結論から先に述べておく。

潮受け堤防は低平地域に住む者にとっては、明らかに高潮被害に対する抑止効果があり、将来的に想定される、地球温暖化による海水位面の上昇時における低平地域の冠水防止効果も期待できるので、少しだけ工夫をして存続させるべきである。

内部干拓は、既にそのほとんどの工事が完成しており、将来における我が国の食糧危機に対する備えとして、農業後継者数が減少しても、大型農業用機械の使用が可能であるような広大な農地を確保しておくべきであるという観点から、完成させるべきである。
当初の計画より規模を縮小したのであるから、古来より行われている地先干拓として捉えれば良い。

調整池については、現状のままでは、有明海沿岸地域にとってはマイナス要因でしかない。
潮受け堤防によって締め切られた事により、人工的な閉鎖性水域を造り出してしまった。

それも海水の潮汐運動によって保たれていた、呼吸をしながら形成されていた有明海特有の干潟を、流入河川から流下する淡水の下に常時浸けているような現状では、生きていた干潟の潟土そのものが腐ってしまい、調整池の水質が悪化する事は避けられない。

今後、調整池の中の水をどうするのかと言うことについて再検討しなければ、この干拓事業に対する大方の賛同は得られない可能性がある。

解決策はある。
潮受け堤防の水門を開閉することによって、調整池の中に海水を導入して干潟を回復させ、その回復した干潟と潮水による浄化作用により、調整池の中の水質を改善するのである。
潮水を入れると言っても、従来の満潮位の水位まで入れるのではなく、その3分の1から4分の1程度の水位で抑えるようにすると、塩害を受ける可能性も低いはずである。

農業用水は、干拓堤防の内部に溜池を造り、梅雨時の流下水を貯留して、その水をポンプ施設により循環させて使えば良い。

詳細は別稿にて。

豊田かずき



強制排水

2005年06月12日 | インポート
今日は朝から、旧諫早湾干拓地の、「諫早干拓愛野耕作組合」の組合員に対する事業報告があった。

事業報告といっても室内でやる訳ではなく、干拓地の中の「6号ポンプ前」の農道上が「会場」になる。

青空会議場である。
会場設営の心配も、お茶の心配も、駐車スペースの心配もいらない。
農道上が駐車スペースになる。
ただし、雨が降ったら困る。幸いにも曇り空だった。

朝の8時に現地に集合するように、数日前に通知が届いていた。
「会場」まで、車で5分ぐらいなので、8時45分頃家を出たら、集合地点に向かってあちこちの道路から、組合員が軽トラックなどで集まりつつあった。

総勢で140名程度の人に召集がかかっていたが、集まったのは半数ほどだっただろうか。
事業報告の内容は、旧森山町内であった干拓耕作地が、合併により諫早市になったことにより、土地の固定資産税を、直接諫早市に納付するようになったと言う説明。
土地改良区の賦課金は従来通りに農協口座からの引き落としでよいこと。
干拓地内の未舗装の農道600mの区間のコンクリート舗装については、諫早市から原材料支給の形にしてもらうように話がついたということ。
その際に、作業出席者に対して、5,000円程度の日当を出すようにするために、反当り年間で500円ずつ程度を2年間負担する事。
潮遊池(ちょうゆうち)の水をポンプアップして使うためのポンプ施設が、3箇所できて今年から使えるという事。
そのために、今年は、従来稼動していた、地下水によるくみ上げのポンプ施設のいくつかの稼動を停止して、地盤沈下の抑制に繋がるだろうと言う事。
などであった。

その他に、諫早干拓愛野耕作組合長I氏の口から、意外なうれしい発言があった。

旧干拓堤防にある、西と東の排水樋門のうち、我々の耕作地に関係する東の排水樋門に対して、強制排水用のポンプ施設の設置を、諫干事業の中でやってもらうように陳情しているという。

西の排水樋門には、潮受け堤防の造成前から、強制排水用のポンプ施設は設置されていたが、東の樋門にはなかった。

高潮被害の抑止効果と、低平地域の排水不良が別物であると言う事が理解されつつある事がうれしかった。

調整池の水は、外海との水位差が30cm以上で、引き潮の時にしか排水できないという単純な事に気がついて、干拓堤防内部の強制排水が必要であると言う認識を、耕作組合の幹部が持って、強制排水用のポンプ施設の設置を陳情しているということが非常にうれしかった。

1時間足らずの青空会議ではあったが、気持ちのいい寄り合いだった。

豊田かずき



可動堰

2005年06月11日 | インポート
今朝、子どもの頃に住んでいた家の裏の千鳥川を見に行ったら、50mほど上流にある可動堰が立てられて、その下流へは水が流れて来なくなっていた。

例年の事である。
その上流に水を溜めるためだ。
田植えの準備のために、近隣の農業用水路に水を配水するためにそうされる。

今朝の新聞で、九州北部・山口地方では昨日から梅雨入りしたもようであると書かれていた。
昨夜から、少し強い雨が降っていたので、そろそろ梅雨入りだと言う事を実感させられる。

可動堰より下流に住んでいた魚たちは、これから夏にかけて、厳しい生存活動を強いられることになる。

雨が降り、流下する水量が通常の水量よりも多くなり、立てられた可動堰の天端から水が越流する時以外は、ほとんど上流からの水が流れてこなくなり、餌になるものの流下が極端に少なくなる。

流れの無い、溜り水の中での生存となるので、水の中の酸素量も減少して、厳しい住環境を余儀なくされる。

すぐ下流に架かっている「龍宮上橋」の上から川の中を眺めていたら、大きな鯉が三匹と大きなスッポンが一匹、流れの無くなった水溜りの中を、普段と様子が違うと感じているのか、いぶかしげな様子で泳ぎ回っていた。
小さな、ハヤやフナたちも、同じように不安げな泳ぎ方である。

通常に流れている川の中では、体の大きい者が食物連鎖の上位に位置するのであろうが、流れが無くなった水溜りの中では、むしろ体の小さい者の方が、生存していく上では有利ではないのかとも思う。
必要とする餌の量も少なくて済むだろうし、酸素の量も少なくて済むだろう。
しかし、元々の体力が無い。

今、世間では建設業界を初めとして、いろいろな業種で、仕事の流れが少なくなった事による倒産が増えている。
大きい組織が生き残りやすいのか、小さい組織が生き残りやすいのかは、一概には言えないところである。

しかし、可動堰を締め切られて水の流れを遮断され、その下流の水溜りの中で生きていかなければならない魚たちの姿に、それを重ね合わせて考えてみると、なんとなく見えてくるような気がする。

時期が過ぎ、可動堰が開放されて、水の流れが元通りになるまで生き延びる事ができれば、また平穏な日常が待っている。

豊田かずき




にーれいろくにーろくご秒

2005年06月10日 | インポート
にーれいろくにーろくご秒、数字で書くと206265秒である。
私は、「にーれいろくにーろくご秒」という音で覚えている。

1ラジアンのことだ。
半径の長さと同じ円周長を挟む中心角の大きさを表す単位である。

角度は、度・分・秒で表すことが一般的ではあるが、このラジアン単位を使うと便利で計算しやすい事が多い。

測量の誤差や精度を勉強する時に、微小角(1秒とか2秒とかいう秒単位の角度)を扱う場合に便利である。

例えば、1km先にある視準目標を観測して、そこの座標値を算出する場合に、水平角の観測誤差が1秒見込まれる場合の、その目標地点の算出座標に及ぼす影響量はどのくらいか、と言う事を計算するような場合に便利である。

微小角であるから、円の半径と円周長の関係の比例計算で答えが出せる。
その時に、1ラジアンが「にーれいろくにーろくご秒」というのを覚えていれば簡単に計算できる。

水平角1秒が及ぼす、1km先の地点の転移量(例えばxとする):(対)1ラジアンに相当する、1km(1000m)の円周長=1秒:(対)206265秒 という比例式を計算すれば、答えは出せる。

ポイントは、微小角であるから、1秒の角度で挟まれる円周長と直線距離が、ほぼ等しいという概念をイメージすることだ。

上の比例式を見やすく表記すると
 x:1000m=1:206265 ということになる。
比例式においては、内項の積と外項の積は等しいので、 1000m・1=x・206265 ということになる。
これにより、x=1000m÷206265 となり、答えは 0.0048mとなる。
およそ5mmということだ。

1秒という角度の大きさは、分度器の上ではイメージできないが、1km先で5mmの長さを挟む角度である、と言われれば認識しやすいのではないだろうか。

精密な測量用の測角儀では、その程度の角度を測れる仕組みになっている。

36年前の高校1年の時に、測量学の担当だったW先生から覚えて置くように言われて、いまだに覚えている「にーれいろくにーろくご秒」だ。

5月の最終日曜日が、例年、測量士・測量士補の国家試験日だったが、それに向けてそれなりに勉強していた高校生の頃のことが、W先生の顔と共に思い出される。

豊田かずき



しらゆり

2005年06月09日 | インポート
庭の松の木のまわりの「しらゆり」たちが、そろそろ真っ白な花を開いて見せてくれる季節になった。

球根で冬を越し、春になれば芽を出し、お日様の光を浴びて、その茎を少しづつ伸ばしてつぼみをつけ、それから今の季節を迎える。

茎の先端部分が、さらに細い5~6個の茎に分岐していて、その分岐した茎の先端に放射状に真っ白な花弁をつけている。

地面から伸びた、同じ一本の茎の先端で咲いているそれぞれの花が、別々の方向を向いて開きバランスを保っているようだ。

それぞれの花が個性を出して競いながらも、全体ではバランスをとりながら、その美しさを表現している。

根本はひとつであっても、それぞれが個性を持ち、その個性を発揮する事によって均衡が保たれていると言うのが、何事においても必要ではないだろうか。

我が日本国のあり方もそのようにあって欲しいと思う。
他国からの干渉で、考え方の根本をふらつかせるような事があってはならないと思う。
特に指導者の心の持ちようは。

毎年芽を出して花を咲かせてくれる「しらゆり」の咲き誇る姿を見て、今年初めて強くそう思った。

その花言葉を調べたら「純潔・貞操・無邪気・処女性」となっていた。

豊田かずき




続・愛国心的きんぴらごぼう

2005年06月08日 | インポート
中国、町村外相を批判 「歴史問題で間違った見方」
今朝の毎日新聞の見出しの一つである。

以下にその内容を転記する。

中国外務省の劉建超報道副局長は、7日の定例会見で、町村信孝外相の最近の発言に対して「日本の高官は歴史問題で間違った見方をしている」と批判した。
 町村外相は6日の講演で「靖国神社に行ったから日本は軍国主義だとか批判もあるが、とんでもないことだ」と述べた。
また、日本が政府開発援助(ODA)を通じて果たした役割に言及して、中国などをけん制した。
 劉副局長はこの発言について「歴史を正視せず、いろいろと理由をつけてごまかそうとするのは、かえって馬脚を現すだけだ」と指摘。日本の指導者の靖国神社参拝について「日本の軍国主義による侵略の歴史を否定しているのは明らかだ」と述べた。また、町村外相がODAを引き合いに出した事について「日本が援助を提供したことで、アジアの国々を傷つけたという歴史を抹殺する事はできない」と批判した。
 中国各紙も7日、町村外相の発言を取り上げて「アジア各国に事実無根の罪を着せた」「外相がでたらめの弁護」などの見出しで、批判記事を掲載した。

以上が、その記事の全文である。

私は、これは全面的に町村発言を支持する。

そもそも政府開発援助は、いわゆる宗教心的ないたわりの心がなければ実現できないのではないのか。
宗教を国家で禁じていると言われている中国の人達には、その辺の事が、きっと理解できていないのであろう。

靖国神社に首相が行ったから日本は軍国主義だ、などというような考え方自体が根拠の無い言い掛かりだ。

「施し」を受けながら、その援助国の首相の、心の持ちように関する事にまで批判ばかりしている「独立国家」に、日本人が汗水たらして納めた税金をくれてやる必要など全く無いはずだ、と考えるのが「日本人」としての偽らざる想いではなかろうか。

援助をしてもらうのが当然という顔をして、宗教を禁じている国が、他国の人の宗教心的なところまで踏み込み批判する事は間違っている。

我が国の政府の指導者たちが思っているほど、日本国の一般庶民の暮らし向きは豊かではない。

そのような感謝の気持ちも無いような、人類史上ただ一度だけの、核兵器による被爆国である我が国を横目で見ながら、核実験を平気でやっているような「独立国家」に、グチグチと文句を言われながらお金を放出するよりも、自国民のために使った方がはるかに感謝されるはずだ。

長崎・広島で被爆して亡くなられた方々が、敵国人を殺したというのか。
無差別の殺戮ではないか。
人類が史上初めて、悪魔の兵器を手にして使ってみた結果ではないか。
戦勝国の人間は、人道的な戦争をしたというのか。
敵国人を、残虐な方法で多数殺傷しても、戦勝国の人は戦犯とは言われないのか。

本来ならば、国民皆平等が国是のはずの中国で、なぜ貧富の差が大きいのか。
中国四千年の歴史と言われるが、その間にも幾多の戦争があったはずだ。
その歴史は、いわば侵略の歴史であったのではないのか。

明日のおかずの一品には、絶対に国産ごぼうで作った「愛国心的きんぴらごぼう」が加わることになる。

豊田かずき




衛星画像

2005年06月07日 | 日記・エッセイ・コラム
最近のパソコンは性能が良い。
仕事のために、20ミクロン(0.02ミリメートル)単位でスキャンした航空写真画像ファイルを、ほとんど待つ事も無く開いて表示してくれる。
さらに、移動・拡大・縮小・回転なども自由自在にできる。

仕事で使う航空写真の他に、2種類の衛星画像が、パソコンの中に保存されている。
昨日その画像を、初めてこの事務所を訪れてくれたお客様に見てもらった。

一種類は、建物が一軒ずつ識別できるような画像で、もう一種類はかなり粗い画像の物だ。
かなり粗い画像の方は、先日この「点ノ記」で紹介した、教育用画像表示システムSiPSEの画像だが、こちらは標高データと関係づけられているので、三次元的に眺める事ができる。
日本国の地理や、概略の地形を見るには有益だ。

もう一種類の、建物が一軒ずつ識別できるような衛星画像は、単なる平面写真だが、諫早湾干拓地と潮受け堤防の一部が写っている。

吾妻町、愛野町、旧森山町の一部が写っているので、古来よりの干拓により造成されてきた、低平地域と呼ばれる所を、大局的に眺めるには都合が良い。

どこに排水樋門があるのかが一目で分かる。
その衛星画像を見てもらいながら、背の高いバンダナを頭に巻いているお客さんに、常々自分が低平地域の排水不良問題に関して考えている事を説明すると、納得して同調してもらえた。

普段見慣れているイメージと同じような写真画像には、大きな説得力がある。

今日は午前中、「愛野町防災会議」に、防災会議委員の一人として出席した。

町内には、いろいろな自然災害に遭遇する可能性のある危険箇所が想定されている。
このような会議において、そのような場所の三次元画像が、自在に表示できれば、いろいろと有益な防災対策が検討できるのではないかと思っている。

技術の分野では、既にそこまで到達はしているのだが・・・。

豊田かずき



通告

2005年06月06日 | インポート
この原稿を書いている場所は、仕事場であり、後援会事務所であり、時々は寝室でもあり、夏の暑い時には避暑地にもなる。

クーラーを設置しているのはこの事務所だけで、自宅ではいまだに扇風機で涼を取る。
単純に経済的な理由からである。

事務所の玄関から自宅の玄関までは、歩いて13歩の距離であるが、時々事務所のほうに泊まることもある。
最近はその頻度が多くなったようだ。

歳を取って来ると、ちょっと休憩という時に、ごろんと横になれるような場所があると有り難い。
半畳のタタミ表でできた敷物を、2枚床に並べて敷いて、その上にごろんとなり休憩する。
枕代わりの座布団と、毛布を1枚常備しているので、眠たくなればそのまま寝室に早代わりする。

仕事が終わった後に、考え事をしたり文章を書いたりする時には、自分にとっては無くてはならない空間だ。

二年ほど前に町会議員にならせてもらってから、8回の議会定例会があったが、毎回一般質問の席に立ち、その全ての質問原稿は、この空間で考え出した物だ。

最近それらの原稿を、テーマごとに、答弁内容も含めて分類・整理しているのだが、8回分の蓄積となると相当な文書量になる。
議員活動のホームページの模様替えのための作業である。

今日は、6月下旬に開かれる予定の6月議会定例会での、一般質問の通告書を議会事務局に提出してきた。

今回は6月15日までが通告期間であるが、ここのところ何回か続けて、通告書の提出は一番乗りだ。

私の議員活動の基本は、年に4回開かれる議会定例会における一般質問に置いている。

愛野町議会の場合には、一人の議員が一定例議会において、一般質問ができる時間は、質問時間の合計で30分以内ということに決めている。
答弁時間の制限は設けていない。
質問と答弁の合計時間が、一時間を越えるようなことがあっても構わないということだ。

三ヶ月に一度の、自分に与えられた貴重な30分間である。
6月議会と9月議会の、残されたあと2回の私に与えられた機会を大切にしたい。

豊田かずき




わーがち

2005年06月06日 | インポート
子どもの頃の夏休みに、竹の棒の先に針金でワッカを作ったものを結び付け、そのワッカに蜘蛛の巣を絡めた道具を持って、友達と蝉取りに行っていた。

蝉が鳴いている木の下に近づき、最初に蝉を見つけた者が「わーがち」と声を出す。
第一発見者が、自分にその蝉を捕る権利があるのだと言う事を宣言する訳だ。
標準語化すると、「俺の物」あるいは「我が物」ということになる。

子どもの遊びの中での先輩から受け継がれた、すばらしいルールであったと思う。

あまり大きな声で「わーがち」を叫ぶと、蝉は驚いて飛んでいってしまう。
仮に、蝉が停まったままでいたとしても、針金のワッカに巻きつけた蜘蛛の巣の蝉取り道具で蝉を捕ることは非常に難しかった。

まず、その道具を蝉に近づけている途中で蝉に気づかれて逃げられる事が多い。
うまく蜘蛛の巣にくっ付けることができたとしても、下に降ろす途中で飛んで逃げられる事もある。

今思えば、長い地中生活を終えて、やっと地上に出てきて、わずか一週間ほどしか生きていないような蝉を、単なる遊びの一環として捕って楽しんでいたと言う事が、申し訳なかったような気もする。

「ジャーブジャーブジャーブ」というクマ蝉の鳴き声が聞こえ出す頃になると、「わーがち」を思い出す。

領土問題でもめている「竹島」や「魚釣り島」を最初に見つけて、「わーがち」を宣言したのはどこの国の人だったのだろうか。

豊田かずき