昨夕、帰宅すると『きいちご』4号が印刷所から届いていました。いつものようにカツヨシさんの力作です。
4号の特徴は中国語の文章とその日本語訳が合わせて5本掲載されていることです。著者は田村さん、松山さん、山崎さん、阿部さん、許さん。中国残留孤児とその夫人です。
昨年10月、「第8回きいちご移動教室」で訪ねた栃木県・足尾と奥日光の旅の感慨を綴っています。
本来なら昨年末に発行した第3号に載るはずだったのですが、翻訳担当の忠幸さんの体調不良のため2ヶ月以上遅れたというわけです。筆者には申し訳ないことですが結果としてはいい『きいちご』が出来ました。
翻訳を加藤さんが担当してくれました。ぼくの文京高校時代の生徒だった人で「ASIAN}というクラブで3年間一緒に活動しました。彼女が今やっている仕事をこの3月で辞め、翻訳や通訳の勉強を本格的に始めるというときに再会したのです。
二つ返事で引きうけてくれ、忠幸さんや高柳さんの助言を受けてしっかりした日本語訳が完成しました。
言うなれば老壮青の新しい協働がはじまったわけで、ぼくにはそれがとても嬉しいのです。
加藤さんが一文を寄せてくれました。
私は10歳の時に母と妹の3人で来日しました。父がその2年前に来日して私たちを呼び寄せました。ただ、私たち家族が日本に来たきっかけはもっと前の世代の影響です。
父方の祖母は日本で生まれました。当時はこどもが多かったため、祖母は中国にいる親戚に預けられ、その後、戦争で日本に戻れなくなりました。祖母が日本の家族と再会したのは国交が回復した1972年になってからなので、40年以上家族とバラバラに過ごしていたのです。
昔、聞いたかも知れない話ですがもうスッカリ忘れていました。お祖母ちゃんは40年も親に会えなかったのです。戦争によって引き裂かれた家族がここにもいたのです。お陰で加藤さんのことをすこし知ることができました。
数年ぶりの再会ですが新しい何かがはじまるかも知れない、そんな気にさせてくれます。
昼前に101通をクロネコ便に載せました。日曜日には会員読者の手元に届くはずです。
「川越だより」を読んでくださる皆さんの中で『きいちご』に関心を持った方が
いましたらご連絡ください。お届けします。
4号の特徴は中国語の文章とその日本語訳が合わせて5本掲載されていることです。著者は田村さん、松山さん、山崎さん、阿部さん、許さん。中国残留孤児とその夫人です。
昨年10月、「第8回きいちご移動教室」で訪ねた栃木県・足尾と奥日光の旅の感慨を綴っています。
本来なら昨年末に発行した第3号に載るはずだったのですが、翻訳担当の忠幸さんの体調不良のため2ヶ月以上遅れたというわけです。筆者には申し訳ないことですが結果としてはいい『きいちご』が出来ました。
翻訳を加藤さんが担当してくれました。ぼくの文京高校時代の生徒だった人で「ASIAN}というクラブで3年間一緒に活動しました。彼女が今やっている仕事をこの3月で辞め、翻訳や通訳の勉強を本格的に始めるというときに再会したのです。
二つ返事で引きうけてくれ、忠幸さんや高柳さんの助言を受けてしっかりした日本語訳が完成しました。
言うなれば老壮青の新しい協働がはじまったわけで、ぼくにはそれがとても嬉しいのです。
加藤さんが一文を寄せてくれました。
私は10歳の時に母と妹の3人で来日しました。父がその2年前に来日して私たちを呼び寄せました。ただ、私たち家族が日本に来たきっかけはもっと前の世代の影響です。
父方の祖母は日本で生まれました。当時はこどもが多かったため、祖母は中国にいる親戚に預けられ、その後、戦争で日本に戻れなくなりました。祖母が日本の家族と再会したのは国交が回復した1972年になってからなので、40年以上家族とバラバラに過ごしていたのです。
昔、聞いたかも知れない話ですがもうスッカリ忘れていました。お祖母ちゃんは40年も親に会えなかったのです。戦争によって引き裂かれた家族がここにもいたのです。お陰で加藤さんのことをすこし知ることができました。
数年ぶりの再会ですが新しい何かがはじまるかも知れない、そんな気にさせてくれます。
昼前に101通をクロネコ便に載せました。日曜日には会員読者の手元に届くはずです。
「川越だより」を読んでくださる皆さんの中で『きいちご』に関心を持った方が
いましたらご連絡ください。お届けします。