このところ気温も高く天気もいいのであちこちに出かけています。17日(火)は秩父・両神の四阿山(あずまやさん)を歩き福寿草見学、18日(水)は上尾・丸山公園までサイクリング。土手の菜の花が美しくなってきました。
両神の行き帰りに歌を歌っているといろいろな疑問にぶち当たります。
ひとつ目がこの歌の「クダカケ」です。早起きが苦手な妻は昔からこの歌は苦手です。しかし、母親から「くだかけ」は「鶏(にわとり)」だと教えられたそうです。
『朝は再びここにあり』http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/asa.htm
島崎 藤村 作詞 (作曲 小田 進吾)
(1) 朝は再び ここにあり
朝は我等と ともにあり
埋もれよ眠り 行けよ夢
隠れよさらば 小夜嵐(サヨアラシ)
(2) 諸羽(モロハ)うち振る 鶏(クダカケ)は
咽(ノンド)の笛を 吹き鳴らし
今日の命の戦いの
装(ヨソオ)いせよと 叫ぶかな
(3) 野に出でよ 野に出でよ
稲の穂は黄に実りたり
草鞋(ワラジ)とくゆえ 鎌を取れ
風にいななく 馬もやれ
≪疑問1≫ 鶏(にわとり)がなぜ「くだかけ」といわれたのか?
答えはここにありました。
NPO法人「くだかけ会」http://www17.ocn.ne.jp/~kudakake/rekisi.htm
親鶏がひよこに心を「砕く」「懸ける」からとはこじつけ気味のような気もしますね。妻は落語『千早振る』みたいだね、と一席やってくれました。
世の中には素晴らしい仕事をしている方が居られるものです。このHPをごらんになってください。代表の方が私たちの大学の後輩にあたることもわかりました。
≪疑問2≫ぼくが二番の歌い出しを「朝羽うち振る鷲鷹の…」と覚えているのはなぜだろう?
その秘密の鍵はどうもこれです。
秋風の歌 島崎藤村http://2style.net/misa/fuguruma/touson/touson_w35.html
朝羽(あさば)うちふる鷲鷹(わしたか)の
明闇天(あけぐれそら)をゆくごとく
いたくも吹ける秋風の
羽に声あり力あり
高校生時代に読んだ『若菜集』の詩の一節と混同して覚えてしまったのでしょう。どちらも七五調です。「朝は再び」が藤村の作品とは気づいていなかったはずですが面白いですね。
藤村も信州(木曽・馬籠)の出身ですが私たちが訪ねる飯山を舞台に小説『破戒』を書いています。ぼくは青春期に藤村の作品をたくさん読みました。ぼくを信州につないでくれた人です。晩年には川越にも遊びに来たようです。妻だった人の墓が中院にあります。
両神の行き帰りに歌を歌っているといろいろな疑問にぶち当たります。
ひとつ目がこの歌の「クダカケ」です。早起きが苦手な妻は昔からこの歌は苦手です。しかし、母親から「くだかけ」は「鶏(にわとり)」だと教えられたそうです。
『朝は再びここにあり』http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/asa.htm
島崎 藤村 作詞 (作曲 小田 進吾)
(1) 朝は再び ここにあり
朝は我等と ともにあり
埋もれよ眠り 行けよ夢
隠れよさらば 小夜嵐(サヨアラシ)
(2) 諸羽(モロハ)うち振る 鶏(クダカケ)は
咽(ノンド)の笛を 吹き鳴らし
今日の命の戦いの
装(ヨソオ)いせよと 叫ぶかな
(3) 野に出でよ 野に出でよ
稲の穂は黄に実りたり
草鞋(ワラジ)とくゆえ 鎌を取れ
風にいななく 馬もやれ
≪疑問1≫ 鶏(にわとり)がなぜ「くだかけ」といわれたのか?
答えはここにありました。
NPO法人「くだかけ会」http://www17.ocn.ne.jp/~kudakake/rekisi.htm
親鶏がひよこに心を「砕く」「懸ける」からとはこじつけ気味のような気もしますね。妻は落語『千早振る』みたいだね、と一席やってくれました。
世の中には素晴らしい仕事をしている方が居られるものです。このHPをごらんになってください。代表の方が私たちの大学の後輩にあたることもわかりました。
≪疑問2≫ぼくが二番の歌い出しを「朝羽うち振る鷲鷹の…」と覚えているのはなぜだろう?
その秘密の鍵はどうもこれです。
秋風の歌 島崎藤村http://2style.net/misa/fuguruma/touson/touson_w35.html
朝羽(あさば)うちふる鷲鷹(わしたか)の
明闇天(あけぐれそら)をゆくごとく
いたくも吹ける秋風の
羽に声あり力あり
高校生時代に読んだ『若菜集』の詩の一節と混同して覚えてしまったのでしょう。どちらも七五調です。「朝は再び」が藤村の作品とは気づいていなかったはずですが面白いですね。
藤村も信州(木曽・馬籠)の出身ですが私たちが訪ねる飯山を舞台に小説『破戒』を書いています。ぼくは青春期に藤村の作品をたくさん読みました。ぼくを信州につないでくれた人です。晩年には川越にも遊びに来たようです。妻だった人の墓が中院にあります。