昨日の「川越だより」への訪問者は195名で近頃では最多でした。ありがとうございます。一日中、風が強く『大地の子』などを読んで過ごしました。
昨日は5月9日からの「第9回きいちご移動教室」の参加希望者の締めきり日でもありました。42名が登録してくれました。募集定員は45名です。忘れている常連さんも居られるかと思いますので45名にはなるでしょう。今回のバスはとびきり上等の大型バスで55名まで乗れます。
皆さんの中で参加をご希望の方が居られたら遠慮なく問い合わせてください。大自然の懐に抱かれ、魅力ある人に出会う旅です。一泊2食付きで5100円です。
さて、花の季節になりました。きいちご基金の花見は3月31日です。10時、JR日暮里駅北口集合です。どなたもお弁当とレジャーシートを持ってお集まりください。
昨年はバスで大房岬に言ったのですが今年は都心です。5月に北信濃に花の旅をするからです。退職、就職、人生の区切りの日を迎える方も居られます。
さて、再び、歌詞への疑問です。花見といえば「花」ですね。
花
作詞 武島羽衣 作曲 滝廉太郎
春のうららの 隅田川
のぼりくだりの 船人が
櫂(かい)のしずくも 花と散る
眺めを何に たとうべき
見ずやあけぼの 露浴びて
われにもの言う 桜木を
見ずや夕ぐれ 手をのべて
われさしまねく 青柳(あおやぎ)を
錦(にしき)織りなす 長堤に
暮るればのぼる おぼろ月
げに一刻も 千金の
眺めを何に たとうべき
出典(曲)http://www5a.biglobe.ne.jp/~ada-kazu/new_page_136.htm
【疑問①】中国から来た人たちとの花見の時に歌詞の意味をどう伝えようかと思いながら謳っていて妻が気づいたことです。
「櫂(かい)のしずくも花と散る」です。櫂といえばボートのオールのようなものを思い浮かべます。今、千鳥が淵あたりには確かにボートをこぐ風景が見られます。そんな風景が隅田川にあったのでしょうか?
屋形船など和船であれば漕ぐのは「櫨(ろ)」ではないか。しずくが花と散るような櫨こぎがあるのでしょうか?どんなに下手でもそれは無理でしょう。
妻の結論はこれは「盥船(たらいぶね)」しかないね、というもの。このころ隅田川にはどんな船が行き来していたのでしょう?
近頃あちこちで青柳が風に吹かれる景色に出会います。「手をのべて、われさしまねく」の意味がようやく理解できるようになりました。
もう一つは「荒城の月」です。
「荒城の月」
土井晩翠作詞・滝廉太郎作曲
春高楼(こうろう)の花の宴(えん)
巡(めぐ)る盃(さかずき)かげさして
千代(ちよ)の松が枝(え)わけ出(い)でし
昔の光いまいずこ
秋陣営(じんえい)の霜の色
鳴きゆく雁(かり)の数見せて
植うる剣(つるぎ)に照りそいし
昔の光いまいずこ
いま荒城の夜半(よわ)の月
替(かわ)らぬ光たがためぞ
垣に残るはただ葛(かずら)
松に歌うはただ嵐(あらし)
天上影は替らねど
栄枯は移る世の姿
写さんとてか今もなお
嗚呼(ああ)荒城の夜半の月
去年訪ねた九戸城址(岩手県二戸市)にも古い目立たない詩碑がありました。土井晩翠の詩想は青葉城(仙台市)に由来するというのが通説かも知れませんが、ぼくには嬉しい発見でした。
出典(曲)
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/koujouno.html
【疑問②】「植うる剣」とは?
これは昔から疑問のままでした。検索してみるとぼくと同じように疑問を持った人が少なくないようです。答えも実に様々です。皆さんはどうおもいますか?ネット検索で研究してみてください。
昨日は5月9日からの「第9回きいちご移動教室」の参加希望者の締めきり日でもありました。42名が登録してくれました。募集定員は45名です。忘れている常連さんも居られるかと思いますので45名にはなるでしょう。今回のバスはとびきり上等の大型バスで55名まで乗れます。
皆さんの中で参加をご希望の方が居られたら遠慮なく問い合わせてください。大自然の懐に抱かれ、魅力ある人に出会う旅です。一泊2食付きで5100円です。
さて、花の季節になりました。きいちご基金の花見は3月31日です。10時、JR日暮里駅北口集合です。どなたもお弁当とレジャーシートを持ってお集まりください。
昨年はバスで大房岬に言ったのですが今年は都心です。5月に北信濃に花の旅をするからです。退職、就職、人生の区切りの日を迎える方も居られます。
さて、再び、歌詞への疑問です。花見といえば「花」ですね。
花
作詞 武島羽衣 作曲 滝廉太郎
春のうららの 隅田川
のぼりくだりの 船人が
櫂(かい)のしずくも 花と散る
眺めを何に たとうべき
見ずやあけぼの 露浴びて
われにもの言う 桜木を
見ずや夕ぐれ 手をのべて
われさしまねく 青柳(あおやぎ)を
錦(にしき)織りなす 長堤に
暮るればのぼる おぼろ月
げに一刻も 千金の
眺めを何に たとうべき
出典(曲)http://www5a.biglobe.ne.jp/~ada-kazu/new_page_136.htm
【疑問①】中国から来た人たちとの花見の時に歌詞の意味をどう伝えようかと思いながら謳っていて妻が気づいたことです。
「櫂(かい)のしずくも花と散る」です。櫂といえばボートのオールのようなものを思い浮かべます。今、千鳥が淵あたりには確かにボートをこぐ風景が見られます。そんな風景が隅田川にあったのでしょうか?
屋形船など和船であれば漕ぐのは「櫨(ろ)」ではないか。しずくが花と散るような櫨こぎがあるのでしょうか?どんなに下手でもそれは無理でしょう。
妻の結論はこれは「盥船(たらいぶね)」しかないね、というもの。このころ隅田川にはどんな船が行き来していたのでしょう?
近頃あちこちで青柳が風に吹かれる景色に出会います。「手をのべて、われさしまねく」の意味がようやく理解できるようになりました。
もう一つは「荒城の月」です。
「荒城の月」
土井晩翠作詞・滝廉太郎作曲
春高楼(こうろう)の花の宴(えん)
巡(めぐ)る盃(さかずき)かげさして
千代(ちよ)の松が枝(え)わけ出(い)でし
昔の光いまいずこ
秋陣営(じんえい)の霜の色
鳴きゆく雁(かり)の数見せて
植うる剣(つるぎ)に照りそいし
昔の光いまいずこ
いま荒城の夜半(よわ)の月
替(かわ)らぬ光たがためぞ
垣に残るはただ葛(かずら)
松に歌うはただ嵐(あらし)
天上影は替らねど
栄枯は移る世の姿
写さんとてか今もなお
嗚呼(ああ)荒城の夜半の月
去年訪ねた九戸城址(岩手県二戸市)にも古い目立たない詩碑がありました。土井晩翠の詩想は青葉城(仙台市)に由来するというのが通説かも知れませんが、ぼくには嬉しい発見でした。
出典(曲)
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/koujouno.html
【疑問②】「植うる剣」とは?
これは昔から疑問のままでした。検索してみるとぼくと同じように疑問を持った人が少なくないようです。答えも実に様々です。皆さんはどうおもいますか?ネット検索で研究してみてください。