本日の号外です。パンダの飼育を担当してきた服治くんの写真付きのニュース記事がありました。去年のこの時期は抗ガン剤治療で入院中だったためか見落としていました。TVで見たという方もいます。
青い文字をクリックすると服治くんのあのやさしい顔が出てきます。ぼくは去年の同窓会で久闊を叙しました。この記事にも書かれている退職の日はもうすぐです。30日に会えるのは何かの縁です。ありがたいことです。
http://sankei.jp.msn.com/photos/life/trend/080430/trd0804302222013-p2.htm
「ゆっくり眠って」とリンリンの飼育係
2008.4.30 21:53(産経)
東京・上野動物園(小宮輝之園長)で1頭だけ飼育されていたジャイアントパンダ「リンリン」(雄、22歳7カ月)が30日午前2時ごろ、高齢のため亡くなった。動物園1番の人気者として愛される一方、子作りのために人工授精を繰り返し、何度も海外へ旅立つなど苦労も多かったリンリン。長い間寄り添った飼育員や来園者は、感謝の思いを口にした。
「おちゃめでおおらか。みんなを楽しませてくれた」。飼育に7年間携わった、飼育係主任の杉本服治さん(59)はそう話す。他のパンダは機嫌が悪いと飼育員にかみつくなど、気性が荒いところがあったが、リンリンは名前を呼ぶといつも自分から歩いてきて、体をすり寄せてきたという。
「『なでて』なんて言うのはあいつくらい。でもね、飼育員がいたずらで餌を隠すと、プイって横を向いてすねるんだ。本当に愛らしかった」
30日は午前7時に飼育舎に行った。いつものように名前を呼んだが、リンリンは歩いてこなかった。「仰向けで大の字になって、安らかな顔で眠っていた。大往生だった」
上野動物園によると、リンリンは世界で飼育、血統登録されている雄の中では5番目に高齢で、国内では最高齢。4月中旬から腹部と下半身にむくみがみられ、29日から一般公開を中止していた。死因は心不全で血液が体中に漏れ、腹腔(ふくこう)に約37リットルの腹水がたまっていた。
リンリンが上野動物園にやってきたのは平成4年。集客に加え、重い使命が課せられた。雌パンダ「ホアンホアン」と「トントン」との子作りだ。だが、「周囲の期待がすごくて、飼育員も緊張する日々が続いた。不幸にも相性はよくなかった」(杉本さん)といい、自然繁殖も人工授精も結果は出なかった。
13年からは計3回、メキシコの動物園に輸送され、現地で繁殖を試みた。吉報は届かなかったが、飛行機に何度も乗ったことから、「フライングパンダ」とも。小宮園長は「世界で一番飛行機に乗ったパンダ。大変苦労をかけたと思う」と思いやった。
人間なら70歳相当の高齢とあって、最近は動きが鈍くなり、食欲も減退していた。来園者がカメラのフラッシュをたくと、ストレスがかかるのか、前足で目を隠すようなしぐさをしていたという。
この日、パンダ舎にはリンリンの遺影が飾られ、来園者が続々と記帳に訪れた。「リンリン、バイバーイ」。子供たちから声が飛んだ。「みなさんに愛してもらい、心からお礼をいいたい。リンリンには『お疲れさま、ゆっくり眠って』といいたい」。来年3月で定年を迎える杉本さんは静かにそう話した。
■日本飼育のジャイアントパンダ
日中国交正常化を記念し、昭和47年10月、「ランラン」と「カンカン」が中国から上野動物園に贈られたのが最初。同動物園では「リンリン」を含め9頭の飼育実績があるが、36年間続いたパンダの展示は途切れた。現在、国内で飼育されているのは神戸市立王子動物園の2頭と和歌山県白浜町のアドベンチャーワールドの6頭。だが、いずれも中国から借りているもので、日本所有はリンリンが最後だった。
還暦を迎えた卒業生http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/d/20081013
http://blog.goo.ne
還暦祭を祝う.jp/keisukelap/d/20081011
青い文字をクリックすると服治くんのあのやさしい顔が出てきます。ぼくは去年の同窓会で久闊を叙しました。この記事にも書かれている退職の日はもうすぐです。30日に会えるのは何かの縁です。ありがたいことです。
http://sankei.jp.msn.com/photos/life/trend/080430/trd0804302222013-p2.htm
「ゆっくり眠って」とリンリンの飼育係
2008.4.30 21:53(産経)
東京・上野動物園(小宮輝之園長)で1頭だけ飼育されていたジャイアントパンダ「リンリン」(雄、22歳7カ月)が30日午前2時ごろ、高齢のため亡くなった。動物園1番の人気者として愛される一方、子作りのために人工授精を繰り返し、何度も海外へ旅立つなど苦労も多かったリンリン。長い間寄り添った飼育員や来園者は、感謝の思いを口にした。
「おちゃめでおおらか。みんなを楽しませてくれた」。飼育に7年間携わった、飼育係主任の杉本服治さん(59)はそう話す。他のパンダは機嫌が悪いと飼育員にかみつくなど、気性が荒いところがあったが、リンリンは名前を呼ぶといつも自分から歩いてきて、体をすり寄せてきたという。
「『なでて』なんて言うのはあいつくらい。でもね、飼育員がいたずらで餌を隠すと、プイって横を向いてすねるんだ。本当に愛らしかった」
30日は午前7時に飼育舎に行った。いつものように名前を呼んだが、リンリンは歩いてこなかった。「仰向けで大の字になって、安らかな顔で眠っていた。大往生だった」
上野動物園によると、リンリンは世界で飼育、血統登録されている雄の中では5番目に高齢で、国内では最高齢。4月中旬から腹部と下半身にむくみがみられ、29日から一般公開を中止していた。死因は心不全で血液が体中に漏れ、腹腔(ふくこう)に約37リットルの腹水がたまっていた。
リンリンが上野動物園にやってきたのは平成4年。集客に加え、重い使命が課せられた。雌パンダ「ホアンホアン」と「トントン」との子作りだ。だが、「周囲の期待がすごくて、飼育員も緊張する日々が続いた。不幸にも相性はよくなかった」(杉本さん)といい、自然繁殖も人工授精も結果は出なかった。
13年からは計3回、メキシコの動物園に輸送され、現地で繁殖を試みた。吉報は届かなかったが、飛行機に何度も乗ったことから、「フライングパンダ」とも。小宮園長は「世界で一番飛行機に乗ったパンダ。大変苦労をかけたと思う」と思いやった。
人間なら70歳相当の高齢とあって、最近は動きが鈍くなり、食欲も減退していた。来園者がカメラのフラッシュをたくと、ストレスがかかるのか、前足で目を隠すようなしぐさをしていたという。
この日、パンダ舎にはリンリンの遺影が飾られ、来園者が続々と記帳に訪れた。「リンリン、バイバーイ」。子供たちから声が飛んだ。「みなさんに愛してもらい、心からお礼をいいたい。リンリンには『お疲れさま、ゆっくり眠って』といいたい」。来年3月で定年を迎える杉本さんは静かにそう話した。
■日本飼育のジャイアントパンダ
日中国交正常化を記念し、昭和47年10月、「ランラン」と「カンカン」が中国から上野動物園に贈られたのが最初。同動物園では「リンリン」を含め9頭の飼育実績があるが、36年間続いたパンダの展示は途切れた。現在、国内で飼育されているのは神戸市立王子動物園の2頭と和歌山県白浜町のアドベンチャーワールドの6頭。だが、いずれも中国から借りているもので、日本所有はリンリンが最後だった。
還暦を迎えた卒業生http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/d/20081013
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還暦祭を祝う.jp/keisukelap/d/20081011