川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

人生の出会いと学び  

2011-06-15 07:58:59 | 友人たち

6月14日(火)曇

 朝、大崎博澄さんからメールが届きました。勝手ながら紹介します。

 「お変わりありませんか。嬉しいメールをありがとうございます。とてもとてもうれしいです。

 今、コニヤンの本を作っています。不登校問題のバイブルになるような、すごいものができそうです。
 
その後、ぼくの詩集「おとなになっていくあなたへ」を作る予定です。百万部売るのが目標!!ですが、自信が湧きました。

 昔の生徒さんに、どうぞよろしくお伝えください。」

 「昔の生徒さん」とは巣立ちゆく娘さんに大崎さんの詩「おとなになっていくあなたへ」を贈った幸月さんのことです。大崎さんはよっぽど嬉しかったようですね。「自信が湧きました」とまで書いているのです。そう遠くない日に大崎博澄詩集『おとなになっていくあなたへ』が出版されるのに違いありません。100万人に読まれる大ベストセラーになるのかな。そうなればこの国に静かな革命が起きていくことでしょう。

 「よろしく」伝えたことは言うまでもありません。それへの返信で幸月さんの精神形成の歩みを少しだけ知ることができました。勝手ながら紹介します。

 「なんだか照れくさいです。有難うございました。

 詩集発売になったら教えてくださいね。

 小学校4年生の時に担任だった先生とも交流があり、50歳ちょっとで退職され、今、障がい児教育の勉強のために大学へ通ってらっしゃいます。
 先日お話しし、ゆくゆくはそういう子たちの施設運営も考えていらっしゃるようです。
長期休みの間には、育児放棄などで施設に入り、家に帰ることの出来ない子供さんを預かったりしているそうで、頭がさがります。

 アメリカの児童心理学者のトリイ・ヘイデンという方の本が好きで、沢山読みましたが、この方の本を読んでいると、勝手にその先生と重ねてしまいます。
本当はちょっと違うのかも知れないけれど…
(略)

 素晴らしい先生方に出逢えて、幸せです。」

 大崎さんの詩がどんなに優れていてもそれを受け止める力が私たちの内側に備わっていなければ猫に小判です。幸月さんが出会った先生方や著作との出会いを大切にしながら歩んできた人生を想像してさすがだなあと思ったことでした。「トリイ・ヘイデン」とは初めて聞く名前です。どんな人だろうかと少し心が動いてきました。

 げに、私たちは出会った人に知らず知らずのうちに影響を受けて自己形成をしているものですね。そのことに気づいて自ら学び始めた時から魅力ある人格が形成されていくのでしょう。そんなことを思わされました。

 大崎さんの人格がどうやって形成されたか。ご自身の「出会い」と「学び」を語った講演記録があります。時間を作って読んでみてください。この人の魅力の秘密に迫ることができます。

 

< 読書と人生 > 大崎博澄

       2006/7/29 全国学校図書館職員学習交流集会記念講演(高知城ホール)

 <私の生い立ちから>

 みなさん、こんにちは。お招きいただいてありがとうごさいます。こういう場でお話しするのは得意じゃないのですが、ほかならぬ、ぼくが一番お世話になった学校図書館職員の皆さんの交流会ということで、出てまいりました。ご紹介をいただきました、高知県教育委員会の大崎と申します。よろしくお願いいたします。今日は、格別のことはよう話しませんが、自分の育ち方と読書との切っても切れぬ関係を中心にお話します。

 ぼくの家はすさまじい山奥のとても貧乏な農家でした。なぜかぼくは子どもの頃から本が好きでしたが、家には子どもが読めるような本は一冊もなく、年に二回墓参りにやって来る親戚のおじさんがくれる、ぼくにとっては大金の百円の小遣いで漫画の雑誌、冒険王とか漫画王、おもしろブックといった付録に漫画の本がたくさん付いている雑誌を買い、繰り返し大切に読み続けました。

 ある日、偶然に、ネズミの糞だらけの押入れの中で、ぼくの年の離れた兄か姉が読んだものであろうスチーブンスンの「宝島」を見つけました。物のない時代に作られたらしく、粗悪な紙に青いインクがにじんだ粗末な本でしたが、他に読むものがないので、少し難しい漢字の混じったこの本を繰り返し読みました。今も、本の手触りや挿絵を覚えています。これがぼくの最初の読書体験になるかと思います。このように、小学生の時代は本に飢えていました。

 中学校に上がると、階段の踊り場のような場所に小さな図書室があり、ほぼ無人の状態で解放されていました。当時にしては蔵書の質は良く、比較的新しい大人の本ばかりが揃っていて、ぼくはそこに入り浸り、ほぼすべて読んでしまいました。濫読の時代、貧乏で修学旅行にも行けませんでしたが、高校進学など夢のまた夢でしたので受験勉強に追われることもなく、好きな本に読みふけることができ、そういう意味ではとても幸せな中学校時代を過ごすことができたと思います。

 中学校を卒業したらすぐ都会に働きに出るつもりでした。苦労している母親に早く仕送りをして喜ばせたい一心でした。ところが、中学三年生の時、ある数学の先生に出会いました。貧乏で勉強もできない、ものも言わない、そういう置き去りにされてきた生徒達に、「やりゆうかえ」と土佐弁で初めて声をかけてくれた先生でした。先生が初めて自分に声をかけてくれた、これは感激でした。この出会いがぼくの人生の転機になりました。ぼくはこの先生に習った一年間だけ、数学が得意科目になりました。そして、この先生のお世話で、家から十二、三キロ離れた定時制の仁淀高校に進学できることになりました。

 <いじめも競争もない平和な学校>

 この定時制高校には、僕の目にはとても立派な図書室がありました。蔵書がやや古いのが難ですが、ここにも番人がいなかったので、ほとんどぼくだけが入り浸って、心静かに本を読むことができました。いじめもなければ競争もない、とても平和な学校でのんびりと本を読んで過ごすことができ、幸せな高校生生活でした。

 この学校は四年制なのですが、三年生で試しに就職試験を受けたら合格したので、なんのためらいもなく学校をやめて就職し、高知に出ました。当時の高知市民図書館や県立図書館は、まだ古い木造の建物でしたが、ぼくにとっては初めての本格的な立派な図書館で、休日には図書館に出かけて本の海をさまよいました。そこから、ぼくの読書の旅が始まりました。

 相変わらずの濫読でしたが、この頃好んで読んだのは、芥川龍之介、宮沢賢治、河上肇などです。特に河上肇は、県立図書館にあった獄中書簡集を読み、すっかりファンにかりました。この街の図書館が、貧乏で大学に行けなかったぼくの大学だったかなと思います。

 <君は自由だ、選び給え>

 その後、高校卒業はしておきたいと思い、働きながら学べるということで、小津高校の通信制課程に編入させてもらいました。ところが、通信教育で勉強するには、強固な意思がいるのですね。意志薄弱で勉強嫌いのぼくには、なかなかの苦行です。その上、最初に提出したレポートで、こんな勉強の仕方ではダメ、とこっぴどく添削された先生に叱られ、あえなく挫折しました。そこで一年後に、高知商業高校の夜間部に入れてもらいました。仕事を終えてあわただしく学校に駆けつけるのも大変ですが、夜間なら、否応なく通わざるを得ません。そして、ここに、またしても運命の出会いが待っていました。熱心で若く美しい国語の先生がいたのです。

 ぼくは今でこそいっぱしの物書きのつもりですが、中学・高校を通じて作文が苦手でした。作文には生活の真実を書かなければならない。貧乏で多くの劣等感を引きずっている思春期のぼくには、到底貧乏暮らしの真実は書けない。そのジレンマがあったからです。ところが、この若い国語の先生との間に知らず知らずの間に形作られた信頼関係が、この壁を乗り越えさせてくれたのです。ある日の作文に、ぼくはなんのためらいもなく、これまで書けなかった恥ずかしいこと、隠しておきたいこと、自分の劣等感をあらいざらい吐き出すことができたのです。

 この時から、ぼくは自分の真実を表現するために書く、弱い人間である自分を励ますために書く、ということを始めました。詩人大崎博澄の誕生です。これは本当に運命の出会いでした。

 夜間高校を卒業後、高知市にあった小さな夜間大学に入りました。ぼくは幸せな人間ですね。ここにも、運命の出会いが待っていました。うつむいて、ぼそぼそした小さな声で、へたくそだけど内容のある講義をしてくれる哲学の先生がいたのです。先生は、ある日の講義で、サルトルを紹介しながら、ぼくの運命の言葉「君は自由だ。選び給え」というエピソードを話してくれました。それはぼくにとって、大きな衝撃と救いでした。

 この頃ぼくの中には、母親を貧乏から救い出したいという思いと、貧乏を生み出す不条理な社会を変えるために自分は戦わなければならないと言う思いがありました。この二つの思いはぼくの中では両立せず、もし戦いに身を投ずれば、母親を悲しませることになるかも知れないという不安がありました。稚拙な悩みですが、その頃のぼくにとっては、生きるか死ぬかに等しい悩みでした。この悩みに、サルトルは明快な答えをくれたのです。「君は自由だ。選び給え」、これは「実存主義はヒューマニズムである」という著作に出てくる言葉です。ぼくはこの言葉を、人間として十分に苦しんだ末に意思決定をくだすのなら、どちらの道を選んでも許される、そんな風に解釈しました。この言葉は、その後のぼくの人生の歩みに大きな支えとなりました。  

 <よき人生と読書の師に出会う>

 夜間大学を卒業して、県庁の職員になりました。最初の赴任地が旧中村市でした。ここでも、職場の先輩に大変な読書家がいて、大きな影響を受けました。時々先輩の下宿にお邪魔して、読書や宗教の話などをぽつりぽつりとお聴きする静かな時間を過ごすのが楽しみでした。この先輩は、給料のほとんどを本の購入に充てていました。先輩は、「大崎くん、本ちゅうものはのう、買うて置いとくもんじゃ」、つまり、いつか読むべき時が来るまで「つん読」でよいと言ってくれたのです。ぼくも先輩にならって「つん読」に熱中しました。

 中村市では、もう一つ、児童詩との出会いという人生のエポックがありました。詩人たらんとしていたぼくは、子ども達の書く詩から大きな影響を受けました。幡多作文の会という作文教育に情熱を傾けている先生方の組織があり、その協力をいただいて、子どもの詩集を編集発行するようになりました。この時、ぼくと教育との最初の接点ができました。ぼくは教室の中で何も言えない、何も書けない子どもでした。なればこそ、自分をしっかり表現する力を持った子どもを育てることが、彼らの幸せにつながるという確信がぼくの中に生まれました。これがぼくの教育観のバックボーンです。

 <何を読むか、いつ読むべきか。>

 学校訪問をする時は、図書室を見せてもらうのが楽しみです。図書室を見ると、その学校が良い学校か、良くない学校かが、百パーセント分かります。良い図書室を備えた学校は、子ども達が大切にされている良い学校です。良い図書室は、お金かけなくても工夫と愛情で作ることが可能です。そこがいいですね。そこに本の好きな人がいて、その人が子ども達のことも好きであれば、よい図書室はできます。

 子どもはそれぞれ違う個性を持っています。だから、子どもに本を押し付けてはいけません。読書教育の鉄則です。子ども自身が本を選ぶ力を身に即けられるう援助することが、私達がして良いことの限界だと思います。

 ぼくは、読書は習慣だと思っているので、大切だけれど読みにくい本は、トイレに置いています。集中して読めるので理解できます。学校で取り組んでくださっている朝の読書も、子ども達に読書の習慣がつくのならば、良いことだと思います。一番良いのは、寝る前の読書ですね。眠くなるまでの睡眠導入剤として、また、夜中に目が覚めて眠れない時は読書のチャンスだと思えばいいです。

 こんな風にして、ぜひ子ども達を読書中毒にしてあげたいですね。読書の面白さはテレビゲームの比ではない。深く、広く、果てしない。子ども達をそこに導いてあげたいですね。東大へ行くことよりも、一冊の本と出会うことの方が大切です。一期一会が人を成長させるからです。そして、人間として成長し続けようという志を持つ時、人は自分が幸せだと感じることができるのです。

 <ぼくのお守り>

 ぼくの二人の子どもが心の病で苦しんでいて、その看病に疲れて家内もうつ病になっています。なかなか大変な人生のピンチです。ぼくは無神論者ですが、あまりに不幸が続くので、手製のお守りを持つようになりました。その中身をお見せしましょう。ぼくの秘書席へ臨時職員として来てくださっていた方が退職される時にくれた小さな手紙です。

 「苦境の中にあっても、いつも朗らかな教育長を尊敬しています。小さくて弱い人達を守ってあげてください」

 自分のやろうとしていることの本質を、ほんの短い時間一緒に仕事をしただけのこの方が、しっかり理解してくれていた、そのことが嬉しくて、自分の知らないところで、いろいろな人が自分を支えてくれている、そのことに感謝して、これをお守りにしています。皆様のお仕事が実り多いことをお祈りしています。

        出典●http://sky.geocities.jp/hirosumi1945/kouenn4.html


嬉しい報せ続く一日

2011-06-14 10:33:16 | 友人たち

6月13日(月)曇

 嬉しいことが続いた一日です。

①古い柱時計が再び時を刻み始めました。

 何年か前に故障して動かなくなった柱時計を二階に上る階段に置いてあったのですが、どういうわけか近頃動き始めたようなので元の柱にかけてやりました。大きく狂うこともなく順調に時を刻んでいます。地震の揺れか、はたまた昇り降りする娘の足音の衝撃を受けて目覚めたのでしょう。40年も前に買って、油を注したこともない安物の柱時計。吉兆のような気がします。

②石巻市河南町に住む慶子さん(86年3月卒業・池商フォーク)の元気な声を聞きました。

 お連れ合いは高福寺という寺の住職です。石巻とはいっても海や北上川からはかなり離れた丘の上の寺なので津波の被害はなかったといいますが被災してなくなった方々の葬儀で大変な日々が続いたようです。卒業以来かな?、お子さんは大学生になって家を離れているといいます。元気な声を聞いて何よりです。今度石巻を尋ねるときにはきっと会えるなあ。

③川越公園の池のまわりの花菖蒲が見事です。

 綺麗だと言って本屋の包装紙に鉛筆でデッサンをしている同世代の男性がいました。絵心のある人はいいなあ。「スイセン」だと思っていたようですが‥。

 

花菖蒲

    出典●http://ameblo.jp/mitsui/entry-10917945803.html

④幸月さんから嬉しいメールが届きました。

去年長女が高校卒業する時に手紙を書いて渡しました。

先生がブログで紹介されていた、高知県教育長されていた方の「おとなになっていくあなたへ」という詩を最初に書き、「私の思いそのままだ」と書いたのですが、卒業式へ向かうバスの中で読んで、泣いてしまったそうです。
私もあの詩は何度読んでも涙が出ます。

素晴らしい詩を教えていただいた事に感謝しています。」

 慶子さんと同時期のフォーク部の部長だった人です。慶子さんの話のなかに名前が出てきたので僕が出したメールへの返信の中にあったことばです。

 この親にしてこの子あり。僕も本当に嬉しくなって早速大崎さんに転送しておきました。

 大崎博澄「大人になっていくあなたへ」●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/0f8d8b2ee6329e2e86a8710d092d5365

 

 

 

 


川越だより

2011-06-13 05:47:32 | 川越・近郊

先日訪ねた鶴ヶ島運動公園は泰山木の花盛り。どういうわけか今年はヤマモモは実を付けていません

【川越だより】のアクセス・ランキング

過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)

 

日付閲覧数訪問者数ランキング
2011.06.12(日) 1112 PV 281 IP 3471 位  / 1595308ブログ
2011.06.11(土) 2137 PV 408 IP 1818 位  / 1594876ブログ
2011.06.10(金) 1003 PV 324 IP 2737 位  / 1594441ブログ
2011.06.09(木) 1124 PV 373 IP 2679 位  / 1594064ブログ
2011.06.08(水) 1988 PV 420 IP 1858 位  / 1593701ブログ
2011.06.07(火) 1177 PV 396 IP 2387 位  / 1593259ブログ
2011.06.06(月) 1644 PV 409 IP 2198 位  / 1592594ブログ

 

過去3週間の閲覧数・訪問者数とランキング(週別)

 

日付閲覧数訪問者数ランキング
2011.06.05 ~ 2011.06.11 10706 PV 2762 IP 2211 位  / 1594876ブログ
2011.05.29 ~ 2011.06.04 10253 PV 2453 IP 2900 位  / 1591668ブログ
2011.05.22 ~ 2011.05.28 9179 PV 2305 IP 3505 位  / 1588236ブログ

 

トータルアクセス数

<form style="padding: 0px; margin: 0px;" action="http://blog.goo.ne.jp/admin/access_count/#access_total" method="POST"></form>

 

トータル閲覧数(PV) <input style="font-size: 12px;" name="accesst/accesst_pv_user" type="text" value="606523" /> PV
トータル訪問者数(IP) <input style="font-size: 12px;" name="accesst/accesst_uu_user" type="text" value="198015" /> IP


菅首相へ 「脱原発」宣言を!

2011-06-13 05:12:24 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

6月12日(日)曇

 菅首相が孫正義さんなどを招いて自然エネルギーの推進について懇談する様子をインターネット中継で見る機会が有りました。

 出席者はこんな方々です。

枝廣淳子 環境ジャーナリスト
岡田武史 元サッカー日本代表監督
小林武史 ap bank代表理事
坂本龍一 ミュージシャン (ビデオメッセージによる参加)
孫正義 ソフトバンク社長
司会
藤沢久美 シンクタンク・ソフィアバンク 副代表

 「朝日」の報道です。

 

首相、自然エネルギー拡大の懇談会開催 政権運営に意欲

2011年6月12日23時2分

印刷印刷用画面を開く

ブログに利用このエントリをブログに利用

このエントリーをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録

 菅直人首相は12日、太陽光や風力など自然エネルギーの利用拡大を語り合うため、首相官邸に著名人を集めて懇談会を開いた。首相への退陣圧力が強まるなか、自らこだわり国際公約に掲げたテーマで政権運営への意欲をアピールした。

 懇談会はソフトバンク社長の孫正義氏や元サッカー日本代表監督の岡田武史氏らのほか、ミュージシャンの坂本龍一氏もビデオメッセージで参加し、1時間半余にわたり開かれた。

 首相は電力事業に対する国民の関心を高める手法として「投票権と同じようにエネルギーに参加する権限を(国民に)与える。そういう輪が広がっていけばいい」と提案。自然エネルギー普及に向けては「自然エネルギー推進庁などをつくって専門家を集めれば、10年どころかもっと早い時期にやれる」などとアイデアを披露した。

 菅首相の表情が明るく生き生きしています。メモを見ることなく自分の考えを率直に国民に語りかけている様子に好感を持ちました。いつもとはだいぶ違います。
 
 僕は菅政権には発足以来否定的です。政権の命脈も尽きようとしています。しかし、この日の話を聞いてこの人に脱原発を宣言してやめてもらうのがこの人のためにも日本のためにも一番いいのではないかと思ったりしました。
 
 原発利権に巣食う連中に脅かされて右往左往しているのか、この政権のやっていることは中途半端で「脱原発」とは程遠いのが現状です。せめて「福島の子供たちを集団疎開させる」などの決断をして原発被害から人々の健康を守る決意を示して欲しいものです。自然エネルギーへの転換はそのような決意の表明があればその本気度が国民にも伝わっていくでしょう。
 
 非常の時の宰相としてメルケルさんのような決断をする勇気はないのでしょうか。
 
時間がある方は懇談の様子をご覧になってください。日本の民主主義を一歩でも前進させるためにこのオープン懇談会という形式は貴重だと思います。

 http://live.nicovideo.jp/watch/lv52951096






6・11デモ in新宿

2011-06-12 17:31:04 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

6月11日(土)曇

 2時半過ぎに地下鉄を降りて新宿中央公園につく。人の流れについていった広場で集会?が続いていた。隅にビニール袋を敷いて腰を下ろしデモの始まるのを待つ。女子高校生と思われるグループの歌声が聞こえてくる。

 都庁の裏の淀橋浄水場跡が公園になっていることは知っていたが思っていたより樹木も豊かで広大だ。巨大な都庁の二つのビルが目前に聳えている。こんなところで集会?をするとは夢にも思わなかった。集会といってもステージがあるわけではなく参加者の多くには何をやっているのか良くはわからない。ファイル:Magnolia in the Shinjuku Central Park by tata aka T.jpg

 3時過ぎからデモが始まった。気づいたら僕は第二梯団の先頭部にいた。警察がデモ隊を勝手に分断して長い列を作らせないのだ。隣には赤ちゃんを背負った若い女性が2才位の男の子の手を引いて歩いている。家族の自然なふるまいが僕にはとても心地よい。

 格別のリーダーもいないせいか、見ず知らずの人々がほとんど無言で歩くだけである。たまに「原発反対」「子どもを守れ」などと声を挙げる老夫婦がいるくらいのものである。

 警察車両から流れる指揮官の甲高い声とおびただしい数の警察官の壁がデモ隊を威圧する。前線の指揮をしている警察官に抗議をしてみた。意外にも「申し訳ございません」「市民の表現の自由を威圧する結果になってしまった」という返事が帰ってきた。

 赤ちゃん連れの女性をはじめとして原発の放出する放射能に危機を感じる人たちが市民として静かに抗議の意思を示している。初めてデモに参加したと思われる若い人が多い。こういう事態に直面して警察当局の目論見が狂ったのだろう。「お巡りさんも非番の時はデモに加わってください」という声も聞こえてくる。

 警察官になった同じ年頃の元生徒たちのことを思い出しながら、警備のあり方を考え直してねと言ったら、「わかりました」と言う返事が笑顔と共に帰ってきた。

 交通量の多い新宿の繁華街を行くのだから仕方がないのかもしれないが歩くよりは立ち止まっている時間の方がはるかに長い。目的地の東口広場についたのは6時くらいか。3時間もかかった。

 デモの最中に安哲さんがやってきて声をかけてくれた。45年前、(伊豆)大島高校での旧先輩同僚。デモ終了後、誘われるままに寿司屋へ。

 デモのなかに僕を見つけて嬉しかったと言ってくださった。?10年ぶりに意見交換をした。私たちは未曾有の危機のただ中にいる。年はとっても市民の一人としてどう生きたら良いのか、話は尽きない。帰宅はちょうど零時ころ。日頃の鍛(きたえ)のせいか、それほどの疲れはない。

 ●6・11反原発デモhttp://www.youtube.com/watch?v=qx4D4VJHJJo&NR=1

 こういう元気のいい人たちと僕たちは切り離されていたことがわかる。

 


石巻・日和山公園からの風景

2011-06-11 05:44:22 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

 昨夜、石巻にボランティアに行った埼玉県の女性のブログで日和山公園から遠望した街の様子を見た。これがあの石巻か。言葉を失うばかりである。

 写真を見ただけである。実際にこの場に立ってみたらどういうことになるのだろう。

僕はこの40年の間に東北の港町を好んで訪ねた。八戸・宮古・釜石・気仙沼・鮎川・石巻・塩釜・松川浦・小名浜‥。遠い昔、祖父たちが世話になったという思いがあった。その港町がことごとく壊滅的打撃を受けた。

 石巻は一昨年秋、息子夫婦と訪ねたばかりで日和山公園のこの場所から旧北上川が海に入る風景を堪能した。

    川越だより「石巻・日和山公園」●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/def419571d917a98a953efb6e01c08fe

 気楽な旅人の話し相手になってくれた方々はご無事だろうか。世話になった水澤屋旅館の方々の消息はブログで確かめられたが‥。

僕のようなものでも受け入れてもらえるようになったら是非また訪ねて被災の現実の一端くらいは脳裏に焼き付けておきたい。

 3月11日から3箇月がたった朝です。亡くなられた方々の冥福と復興に立ち上がる人々の健康を祈ります。

 

 今日は午後から新宿に出かけ「原発やめろデモ」に参加します。天災はどうしようもありませんが人災は防ぐことが出来るはずです。

 11時から全国各地のデモの中継があるようです。参加できない方はこちらをご覧になってみてください。

   『6.11脱原発100万人アクション』完全ライブ中継プロジェクト 発進!

           ●http://chukeisimin.info/611/

 

 

石巻ボランティア体験石巻ボランティア体験

出典 ●石巻・日和山公園http://wada.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-6ea0.html


あすはデモに!  「年寄りの暇つぶし」いろいろ

2011-06-10 06:01:36 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

福島原発の復旧作業のボランティアに年寄りたちが名乗りを上げたというニュースを読んだ。60から上の元技術者などが「暇つぶし」にやるのがいいといっている。

 定年退職後の年寄りは暇である。もちろんあれこれと忙しいかたもおられるだろうが暇を持て余して途方にくれている人も少なくないような気がする。僕などはもともと無趣味なところに来て病気を体験したので責任のある社会的活動も敬遠するようになった。だから暇である。

 抗がん剤の後遺症で体にしびれがあるので家にいると横になりたくなり、横になると眠くなる。これでは病人になってしまう。だからサイクリングや散歩に出る。時には旅行。動けばいくらでも?動けるのである。そんな日はあっという間に?一日が終わってしまう。

 退職時に娘がブログをやれるようにしてくれた。短い記事をかくにも2・3時間はかかる。読んでくれる人がいると思えば社会とつながっている気がして日課となった。これがなかったらどうなっていたのだろうかと思う。

 僕が暇つぶしでやっていることはこんな具合だがもう少し出来ることはないかとあれこれ考えてみることもある。出来ることで社会の役に立ちたいと思うのだがなかなか成案はない。

 今できそうなのはデモに参加することだ。有り余っている思いを少しでも行動に移した気になれる。歩いて体を動かせる。だから明日のデモに参加するのが楽しみだ。若い人たちが敷いてくれたレールを歩けばいいのだからなんの苦もない。

 暇つぶしに原発でボランティアをしようなどと考えることが出来る人は凄い。羨ましい気もする。

 年寄りだとはいっても社会の一員だ。「暇つぶし」に自分に合ったことをしよう。

 あすは100万人デモの一人になって歩こう!

    僕のスローガン。「福島のこどもたちを集団疎開させよう」「乳児と母親の避難を公費で保障しよう」「脱原発の政府を作ろう」

 同じ思いを持つ方と出会えるかな。

   ●6・11デモhttp://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/1f4aa2fbd23ff5a284642a17d7b404be


 放射線下の作業は「年寄りの暇つぶしに限る」 暴発阻止行動隊、語る

NCN 2011年6月8日(水)21時00分配信

福島原発暴発阻止行動隊 放射線による被害は細胞分裂の活発な若い人ほど大きいとされ、福島第1原発の復旧に当たる作業員たちの健康状態が心配されている。そんな中、「将来を担う若い世代に、放射能被ばくのリスクを負わせられない」と、シニア世代が立ちあがった――。2011年6月3日のニコニコ生放送「緊急特番 これが福島原発の現場だ!」には、「福島原発暴発阻止行動隊」のメンバーが出演し、復旧作業に向けた意気込みを語った。

 福島原発暴発阻止行動隊は、現役を退いた60歳以上の元技能者・技術者を中心としたボランティア組織。若い世代に比べて被ばくによるリスクが少なく、現役時代の知識・経験も動員できるという強みを活かして、原発の復旧作業に当たることを目的としている。現時点ではまだ、福島原発の現場に入る許可は下りていないが、細野豪志首相補佐官は「なんらかの可能性がないか探っていきたい」と、力の活用に前向きな姿勢を見せている。

 発起人の山田恭暉さん(72歳)は、

「原発の復旧作業では非常に汚れた場所で仕事をしないとならない。『これでどうするんだよ』と昔の技術屋仲間と話していたら、『やっぱりこれは年寄りがやるしかねえな』という結論が否応なしに出てきた」

と結成のいきさつを語る。友人を中心に呼び掛けたところ、多くの賛同者が集まり、現在では270人以上が参加。その中には、京都大学の小出裕章助教ら、原発の専門家も含まれている。とはいえ、原発の冷却には年単位の時間が必要とされているため、まだまだ人手が足りない。十分な仕事をするには、千単位の行動メンバーと、万単位のサポーターが必要になるとし、組織作りにも力を入れている。

■復旧作業は「年寄りの暇つぶし」で

 メンバーの1人、伊藤邦夫さん(72歳)は、「誰かがやらないといけない。やるとしたらやっぱり、年寄りの暇つぶしでやるのが一番良い」と冗談めかして言う。他のメンバーも「意気込みは特にない。さらりとやっていこうかな」(家森健さん・59歳)、「肩に力を入れず、できることをやっていく」(森哲雄さん・72歳)、「やるべきことを淡々と」(篠田えみ子さん・60歳)と、あくまでも自然体だ。

 山田さんは言う。

「我々は手を挙げた口ですけど、手を挙げないという選択も非常に大事だということを強く訴えたい。参加したから尊いということはない」
「現場は、映像よりもはるかにきついところだと思いますし、そこでためらいが生まれることもあると思う。それは非難しないし、受け入れる。ためらって逃げることも許すという前提でやりたい」

 そこに、特攻精神やヒロイズムはない。しかし、だからこそ、こんなにも頼もしく、大きく見えるのかもしれない。

(野吟りん)

     出典●http://news.nicovideo.jp/watch/nw72700


アコーディオンを弾く人

2011-06-09 06:25:03 | 川越・近郊

6月8日(水)曇りのち晴れ

 昼前、小畔川をさかのぼって御伊勢塚公園を散歩。池のほとりでアコーディオンの響きがするので近寄ってみた。同世代の方が「カチューシャ」を弾いている。母親とおばあちゃんに見守られながら乳母車に乗った子供が曲に合わせて手を叩いている。

  カチューシャhttp://www.youtube.com/watch?v=1TrWtBtTWRw

 思わず僕も同調して手を叩いた。

 毎日のようにここにやってきてアコーディオンを弾いておられるのだという。9時頃から3時間。働き盛りの30年間封印していたアコーディオンを退職後取り出して楽しむようになったという。

      赤とんぼ  ふるさと  早春賦  青い山脈  青春時代 などなど。

 どの歌も馴染みのある曲だ。老人ホームの慰問では戦前戦中の歌のリクエストが多く、応えられないこともあるらしい。僕よりはやや若い団塊の世代の方かな。

 中国の大連の公園でよく見かけた風景だが日本では珍しい。こういうのっていいなあと僕も思う。川越では近隣の迷惑になるので弾けるのはここぐらいだという。

 別れ際にビラを一枚もらった。

 第1回 みんな歌おう会  

  誰にもある心のうた、青春のうた、 懐かしい歌を思いっきり歌おう

 6月25日(土)午前10時~12時

 伊勢原公民館の2階・音楽室

 300円(会場費・資料代など) 

交通:

JR川越線「的場」駅下車、徒歩約15分。
東武東上線「鶴ヶ島」駅から東武バスいせはら団地行き、またはサイボクまきばの湯行き「近隣センター」下車、徒歩約5分。
西武新宿線「本川越」駅から西武バス霞ヶ関団地行き「的場1丁目」下車、徒歩約15分。
川越シャトルバス11系統「伊勢原2丁目」下車、徒歩約5分。

伊勢原公民館の地図 
◆所在地〒350-1108川越市伊勢原町5丁目1-1

-お問い合わせ-
教育委員会教育総務部 公民館 伊勢原公民館
Tel 049-237-5676
Fax 049-237-5677
E-mail isehara-cc@city.kawagoe.saitama.jp

 これはいいものをもらった。左肺摘出以来、思いっきり声を出すことができなくなってきている。歌はますます下手になるばかりだ。思いっきり歌ってみるか。ぼけ封じにもなるかもしれない。

「 呼びかけ人」は「大橋昌次(伊勢原公園でアコーディオンを弾く人)」となっている。いい方と出会ったなあ。

   

     


 集団疎開と山村留学

2011-06-08 10:32:45 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

山村留学を推進してきたNPOや自治体が震災被害にあったこどもたちを積極的に受け入れているようです。僕も訪ねたことのある長野県泰阜(やすおか)村は村を挙げての取り組みを表明しています。

 

 

東日本大震災で被災された皆様へ


                   長野県泰阜村の震災支援について
                   被災児童の山村留学受け入れ(長期:数ヶ月~最長3年)

   泰阜村長 松島貞治

 このたびの「東日本大震災」にて被災されました皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。また、震災により尊い命を無くされました皆様のご冥福を謹んでお祈りし、ご遺族の皆様に深くお悔やみを申し上げます。
 長野県泰阜村は長野県南部に位置する人口1900人の小さな山村です。在宅福祉政策を「共助」の仕組みと位置づけ、村民皆で支え合う村づくりを展開しています。
 このたびの東日本大震災におきましても、このような支え合いによって成り立つ村が、村内の資源を総動員して微力ではありますが支援をさせていただきたいと強く思っております。
 ご両親は仕事や復興で居住地を離れられないが、こどもだけでも安心して生活させたいと感じられている方、ご希望があればご連絡をいただければ幸いです。4月1日現在、すでに2人の被災児童の受け入れが決まっております。
泰阜村は、阪神大震災の時は、村内のNPO、小学校、役場、村民が協働し、被災児童を3年間山村留学にて受け入れました。経験と実績もありますのでどうかご安心してご連絡をいただければ幸いです。
最後になりますが、一日も早く普段の生活に戻れますよう、皆様のご無事を心よりお祈り申し上げます。
 
1.被災児童の山村留学による受け入れ
  ・生活受け入れ:NPOグリーンウッド:暮らしの学校「だいだらぼっち」
  ・学校受け入れ:泰阜小学校・中学校
  ・経費負担:泰阜村
  ・期間:受け入れ開始時点から数ヶ月~1年間(2012年3月31日まで)
   ※復興状況及び村の方針により、最長3年間
  ・人員:残り3人(4月1日現在2人決定済み)
 

  詳しくは●http://blog.goo.ne.jp/gwshien/c/2927f8989cdad3aa8db16842296bea6f

 NPOグリーンウッドが中心になって展開してきた山村留学の実践が土台になって村民・学校が一体となって受け入れ態勢を作っています。

 山村留学の取り組みは全国各地で行われています。泰阜村以外でも震災被害者の受け入れがすすんでいるのかもしれません。

      ●http://www.sodateru.or.jp/blog/jimukyoku/archives/2011/03/post_34.html

 

 福島県の郡山市や福島市などのこどもたちを集団疎開させるべきだという声が強まっています。経済力をはじめ条件に恵まれたこどもの多くは既に避難しています。こどものことを考えるなら疎開を早期に断行すべきだと考えられます。蒸し暑い教室に閉じ込めてどうやってこの夏を乗り切るのでしょう?

 文部科学省と福島県教育委員会は検討を進めているのでしょうか?山村留学の実践の体験を持つNPOや自治体の知恵と力を借りながら、国を挙げてこどもを守り育てる取り組みに立ち上がる時ではありませんか。

 予算がないという声が聞こえてきます。そういうことを言っている時ではありませんが、あえて言うなら子ども手当に所得制限を設けたり高校無償化をやめてその金を使えばいいのです。私学助成もやめればいいと僕は思います。

 こどもたちの健康を守るためです。誰もが反対はしづらいでしょう。民主党政府のメンツも立ちます。

 非常の時だと言ってただ疎開させればいいというわけではありません。こういう時にこそ、私たちの教育力を総動員してこどもたちに終生忘れることのできない体験をプレゼントしましょう。人のぬくもり、人間への信頼、自然への恐れと感動、労働の喜び、などなど。

 私たちが体験してしまった大震災と原発事故は人類史を画する大事件です。この体験を心に深く刻んで新たな生き方(哲学)を打ち立てなければ人類に未来はありません。

 未来に生きる子供たちに何としても希望の種を残さなければなりません。

 川越だより●「山村留学を国策に」http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/3640b42b594788f6670639b40abca9b4


国旗国歌強制問題最高裁判決  宮川光治裁判官の少数意見を支持する

2011-06-07 06:58:20 | こどもたち 学校 教育

5月30日に続いて6日、国旗国歌の強制命令に関わる最高裁(第一小法廷)の判決があった。判決は「間接的制約」なるものを認めつつも、国歌斉唱は「慣例上の儀礼的な所作」にすぎず、教員なら従うのが当然であり、思想信条の自由を侵害するとは認められないという。

 「教員は国家の下僕に過ぎない、その分をわきまえよ」という居丈高な判決である。こんな文章を臆面もなく書ける連中が日本の司法を牛耳っているのだ。第一小法廷を構成するのは<裁判長裁判官 白木 勇  裁判官 宮川光治  裁判官 櫻井龍子  裁判官  金築誠志  裁判官 横田尤孝>であるという。

 判決の後半にある宮川光治裁判官の少数意見を読んでみた。原告らの訴えに真摯に向き合おうとする人間の臭いを感じた。多数派の裁判官とは明らかに違ってその職責を果たそうとする誠意を読み取ることができた。最高裁にもこういう人がいたのか。

 読者はどう思われるだろうか。一読をおすすめする。

 参考資料●http://miso.txt-nifty.com/shinsa/miyakawa.html

 

 宮川光治裁判官の少数意見

 

1 国旗に対する敬礼や国歌を斉唱する行為は,私もその一員であるところの多

くの人々にとっては心情から自然に,自発的に行う行為であり,式典における起立

斉唱は儀式におけるマナーでもあろう。しかし,そうではない人々が我が国には相

当数存在している。それらの人々は「日の丸」や「君が代」を軍国主義や戦前の天

皇制絶対主義のシンボルであるとみなし,平和主義や国民主権とは相容れないと考

えている。そうした思いはそれらの人々の心に深く在り,人格的アイデンティティ

をも形成し,思想及び良心として昇華されている。少数ではあっても,そうした人

々はともすれば忘れがちな歴史的・根源的問いを社会に投げかけているとみること

ができる。

 上告人らが起立斉唱行為を拒否する前提として有している考えについては原審の

適法に確定した事実関係の概要中において6点に要約されている。多数意見も,こ

の考えは,「『日の丸』や『君が代』が過去の我が国において果たした役割に関わ

る上告人ら自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上ないし教育上

の信念等ということができる」としており,多数意見は上告人らが有している考え

が思想及び良心の内容となっていること,ないしこれらと関連するものであること

は承認しているものと思われる。

 上告人らが起立斉唱しないのは,式典において「日の丸」や「君が代」に関わる

自らの歴史観ないし世界観及び教育上の信念を表明しようとする意図からではない

であろう。その理由は,第1に,上告人らにとって「日の丸」に向かって起立し

「君が代」を斉唱する行為は,慣例上の儀礼的な所作ではなく,上告人ら自身の歴

史観ないし世界観等にとって譲れない一線を越える行動であり,上告人らの思想及

び良心の核心を動揺させるからであると思われる。第2に,これまで人権の尊重や

自主的に思考することの大切さを強調する教育実践を続けてきた教育者として,そ

の魂というべき教育上の信念を否定することになると考えたからであると思われ

る。そのように真摯なものであれば,本件各職務命令に服することなく起立せず斉

唱しないという行為は上告人らの思想及び良心の核心の表出であるとみることがで

き,少なくともこれと密接に関連しているとみることができる。

 上告人らは東京都立高等学校の教職員であるところ,教科教育として生徒に対し

国旗及び国歌について教育するということもあり得るであろう。その場合は,教師

としての専門的裁量の下で職務を適正に遂行しなければならない。しかし,それ以

上に生徒に対し直接に教育するという場を離れた場面においては(式典もその一つ

であるといえる。),自らの思想及び良心の核心に反する行為を求められるという

ことはないというべきである。なお,音楽教師が式典において「君が代」斉唱のピ

アノ伴奏を求められる場合に関しても同様に考えることができる。

 国旗及び国歌に関する法律の制定に関しては,国論は分かれていたが,政府の国

会答弁では,国旗及び国歌の指導に係る教員の職務上の責務について変更を加える

ものではないことが示されており,同法はそのように強制の契機を有しないものと

して成立したものといえるであろう。しかしながら,本件通達は,校長の職務命令

に従わない場合は服務上の責任を問うとして,都立高等学校の教職員に対し,式典

において指定された席で国旗に向かって起立し国歌を斉唱することを求めており,

その意図するところは,前記歴史観ないし世界観及び教育上の信念を有する教職員

を念頭に置き,その歴史観等に対する否定的評価を背景に,不利益処分をもってそ

の歴史観等に反する行為を強制しようとすることにあるとみることができる。本件

各職務命令はこうした本件通達に基づいている。

 本件各職務命令は,直接には,上告人らに対し前記歴史観ないし世界観及び教育

上の信念を持つことを禁止したり,これに反対する思想等を持つことを強制したり

するものではないので,一見明白に憲法19条に違反するとはいえない。しかしな

がら,上告人らの不起立不斉唱という外部的行動は上告人らの思想及び良心の核心

の表出であるか,少なくともこれと密接に関連している可能性があるので,これを

許容せず上告人らに起立斉唱行為を命ずる本件各職務命令は憲法審査の対象とな

る。そして,上告人らの行動が式典において前記歴史観等を積極的に表明する意図

を持ってなされたものでない限りは,その審査はいわゆる厳格な基準によって本件

事案の内容に即して具体的になされるべきであると思われる。本件は,原判決を破

棄し差し戻すことを相当とする。

 

 

 

 

 

2 上告人らの主張の中心は,起立斉唱行為を強制されることは上告人らの有す

る歴史観ないし世界観及び教育上の信念を否定することと結び付いており,上告人

らの思想及び良心を直接に侵害するものであるというにあると理解できるところ,

多数意見は,式典において国旗に向かって起立し国歌を斉唱する行為は慣例上の儀

礼的な所作としての性質を有するものであり,その性質の点から見て,上告人らの

有する歴史観ないし世界観それ自体を否定するものではないとしている。多数意見

は,式典における起立斉唱行為を,一般的,客観的な視点で,いわば多数者の視点

でそのようなものであると評価しているとみることができる。およそ精神的自由権

に関する問題を,一般人(多数者)の視点からのみ考えることは相当でないと思わ

れる。なお,多数意見が指摘するとおり式典において国旗の掲揚と国歌の斉唱が広

く行われていたことは周知の事実であるが,少数者の人権の問題であるという視点

からは,そのことは本件合憲性の判断にはいささかも関係しない。

 前記歴史観ないし世界観及び教育上の信念を有する者でも,その内面における深

さの程度は様々であろう。割り切って起立し斉唱する者もいるであろう。面従腹背

する者もいるであろう。起立はするが,声を出して斉唱しないという者もいよう

(なお,本件各職務命令では起立と斉唱は一体であり,これを分けて考える意味は

ない。不起立行為は視覚的に明瞭であるだけに,行為者にとっては内心の動揺は大

きいとみることもできる。他方,職務命令を発する側にとっても斉唱よりもむしろ

起立させることが重要であると考えているように思われる。)。しかし,思想及び

良心として深く根付き,人格的アイデンティティそのものとなっており,深刻に悩

んだ結果として,あるいは信念として,そのように行動することを潔しとしなかっ

た場合,そういった人達の心情や行動を一般的ではないからとして,過小評価する

ことは相当でないと思われる。

 

 3 本件では,上告人らが抱いている歴史観ないし世界観及び教育上の信念が真

摯なものであり,思想及び良心として昇華していると評価し得るものであるかにつ

いて,また,上告人らの不起立不斉唱行為が上告人らの思想及び良心の核心と少な

くとも密接に関連する真摯なものであるかについて(不利益処分を受容する覚悟で

の行動であることを考えるとおおむね疑問はないと思われるが),本件各職務命令

によって上告人らの内面において現実に生じた矛盾,葛藤,精神的苦痛等を踏ま

え,まず,審査が行われる必要がある。

 こうした真摯性に関する審査が肯定されれば,これを制約する本件各職務命令に

ついて,後述のとおりいわゆる厳格な基準によって本件事案の内容に即して具体的

に合憲性審査を行うこととなる。

 

 

 4 平成11年8月に公布,施行された国旗及び国歌に関する法律は僅か2条の

定義法にすぎないが,この制定に関しては,国論は分かれた。政府の国会答弁で

は,繰り返し,国旗の掲揚及び国歌の斉唱に関し義務付けを行うことは考えていな

いこと,学校行事の式典における不起立不斉唱の自由を否定するものではないこ

と,国旗及び国歌の指導に係る教員の職務上の責務について変更を加えるものでは

ないこと等が示されており,同法はそのように強制の契機を有しないものとして成

立したものといえるであろう。その限りにおいて,同法は,憲法と適合する。

 これより先,平成11年3月告示の高等学校学習指導要領は,「入学式や卒業式

などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよ

う指導するものとする。」と規定しているが,この規定を高等学校の教職員に対し

起立斉唱行為を職務命令として強制することの根拠とするのは無理であろう。そも

そも,学習指導要領は,教育の機会均等を確保し全国的に一定の水準を維持すると

いう目的のための大綱的基準であり,教師による創造的かつ弾力的な教育や地方ご

との特殊性を反映した個別化の余地が十分にあるものであって(最高裁昭和43年

(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁参

照),学習指導要領のこのような性格にも照らすと,上記根拠となるものではない

ことは明白であると思われる。

 国旗及び国歌に関する法律施行後,東京都立高等学校において,少なからぬ学校

の校長は内心の自由告知(内心の自由を保障し,起立斉唱するかしないかは各教職

員の判断に委ねられる旨の告知)を行い,式典は一部の教職員に不起立不斉唱行為

があったとしても支障なく進行していた。

 こうした事態を,本件通達は一変させた。本件通達が何を企図したものかに関し

ては記録中の東京都関連の各会議議事録等の証拠によれば歴然としているように思

われるが,原判決はこれを認定していない。しかし,原判決認定の事実によって

も,都教委は教職員に起立斉唱させるために職務命令についてその出し方を含め細

かな指示をしていること,内心の自由を説明しないことを求めていること,形から

入り形に心を入れればよい,形式的であっても立てば一歩前進だなどと説明してい

ること,不起立行為を把握するための方法等について入念な指導をしていること,

不起立行為等があった場合,速やかに東京都人事部に電話で連絡するとともに事故

報告書を提出することを求めていること等の事実が認められるのであり,卒業式等

にはそれぞれ職員を派遣し式の状況を監視していることや,その後の戒告処分の状

況をみると,本件通達は,式典の円滑な進行を図るという価値中立的な意図で発せ

られたものではなく,前記歴史観ないし世界観及び教育上の信念を有する教職員を

念頭に置き,その歴史観等に対する強い否定的評価を背景に,不利益処分をもって

その歴史観等に反する行為を強制することにあるとみることができると思われる。

本件通達は校長に対して発せられたものではあるが,本件各職務命令は本件通達に

基づいているのであり,上告人らが,本件各職務命令が上告人らの有する前記歴史

観ないし世界観及び教育上の信念に対し否定的評価をしているものと受け止めるの

は自然なことであると思われる。

 本件各職務命令の合憲性の判断に当たっては,本件通達やこれに基づく本件各職

務命令をめぐる諸事情を的確に把握することが不可欠であると考えられる。

 

 

 5 本件各職務命令の合憲性の判断に関しては,いわゆる厳格な基準により,本

件事案の内容に即して,具体的に,目的・手段・目的と手段との関係をそれぞれ審

査することとなる。目的は真にやむを得ない利益であるか,手段は必要最小限度の

制限であるか,関係は必要不可欠であるかということをみていくこととなる。結

局,具体的目的である「教育上の特に重要な節目となる儀式的行事」における「生

徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式典の円滑な進行

を図ること」が真にやむを得ない利益といい得るか,不起立不斉唱行為がその目的

にとって実質的害悪を引き起こす蓋然性が明白で,害悪が極めて重大であるか(式

典が妨害され,運営上重大な支障をもたらすか)を検討することになる。その上

で,本件各職務命令がそれを避けるために必要不可欠であるか,より制限的でない

他の選び得る手段が存在するか(受付を担当させる等,会場の外における役割を与

え,不起立不斉唱行為を回避させることができないか)を検討することとなろう。

 

 6 以上,原判決を破棄し,第1に前記3の真摯性,第2に前記5の本件各職務

命令の憲法適合性に関し,改めて検討させるため,本件を原審に差し戻すことを相

当とする。

 

  出典●判決全文http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110606165018.pdf


桑の実

2011-06-07 05:09:00 | 父・家族・自分

6月6日(月)晴れ

 真夏を思わせるような一日。川越公園を歩いたあと、久しぶりに川越温泉に入った。公園では桑の実をとる家族の姿を見た。ジャムにするのだという。娘や息子たちと桑の実をとって食べた日があったことを思い出す。

 前日、大学の先輩の和田さんを訪ねた帰りにお伊勢塚公園のヤマモモがだいぶ大きくなっているのにきづいた。来週あたりには食べられるかな。我が家のキイチゴはみなつぐみに食べられてしまった。

こんなサイトがあるのに気づいた。全国各地で脱原発を目指す人々の地道な運動が続けられている。ドイツでは福島での事故を受けて脱原発の国策が決まったという。この国の政府も国民もなぜこのような決断ができないのだろう。情けない。100万人デモを実現させて局面を打開しよう。    脱原発系イヴェント情報http://datugeninfo.web.fc2.com/


ナターシャ・グジーさん

2011-06-06 05:46:30 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

6月11日(土)には東松山の原爆の図・丸木美術館では「WITh YOU」と題した東日本大震災チャリティーコンサートがあるそうです。

【東日本大震災チャリティーコンサート with You】

2011年6月11日(土)14:00~(13:30 開場)
出演:ナターシャ・グジー 謝 雪梅 津田雄三 Guelb er Richat ensemble
前売 \2,500 当日 \2,800 5日との通しチケット\4,000[全席自由]
*原爆の図 丸木美術館の入館料は、チケット代に含まれます。
このコンサートの収益は、東日本大震災による、原発被害を含む震災被災者への支援金として送られます。

  詳しくは ●http://www.cc9.ne.jp/~nihei-1817/with_you110605.html

ナターシャさんは6才のときチェルノブイリで被曝した体験を持つ歌手・弦楽器(バンドゥーラ)奏者だといいます。この日、僕は新宿のデモに参加するのでナターシャさんの声を聞くことはできません。妻や娘はこちらの方です。よろしかったら是非どうぞ。

 

【川越だより】のアクセス・ランキング

過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)

 

日付閲覧数訪問者数ランキング
2011.06.05(日) 1633 PV 432 IP 1777 位  / 1592047ブログ
2011.06.04(土) 1369 PV 363 IP 2386 位  / 1591668ブログ
2011.06.03(金) 1506 PV 368 IP 2487 位  / 1590893ブログ
2011.06.02(木) 1293 PV 334 IP 3105 位  / 1590419ブログ
2011.06.01(水) 1637 PV 333 IP 3114 位  / 1589911ブログ
2011.05.31(火) 1239 PV 355 IP 2890 位  / 1589474ブログ
2011.05.30(月) 1758 PV 362 IP 2957 位  / 1589099ブログ

過去3週間の閲覧数・訪問者数とランキング(週別)

 

日付閲覧数訪問者数ランキング
2011.05.29 ~ 2011.06.04 10253 PV 2453 IP 2900 位  / 1591668ブログ
2011.05.22 ~ 2011.05.28 9179 PV 2305 IP 3505 位  / 1588236ブログ
2011.05.15 ~ 2011.05.21 9403 PV 2463 IP 2950 位  / 1584329ブログ
トータル閲覧数(PV) <input style="font-size: 12px;" name="accesst/accesst_pv_user" type="text" value="596338" /> PV
トータル訪問者数(IP) <input style="font-size: 12px;" name="accesst/accesst_uu_user" type="text" value="195404" /> IP

原発卒業しよ? 6・11原発やめろデモ

2011-06-06 05:11:27 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

 きのう、9箇月になる赤ちゃんを育てているJさん(文京高OG)と久しぶりに交信した。原発事故以来、沖縄で生活しているが一時帰京中

だとのこと。電話の向こうからつかまり立ちをしているという大雅くんの元気な泣き声が聞こえてくる。まだ会ったことはないが、思わず「こん

ばんわ」と挨拶した。

 Jさんと大雅くんは諸条件に恵まれて沖縄に避難することができた。被曝のおそれがある以上賢明な判断だろう。東電と政府はすべての

母親と赤ちゃんにこのような機会を保障しなければならないと思う。

 福島県の一部地域の小中高校生については早期に集団疎開をさせるべきだ。窓を締め切った教室でどうやって夏を過ごさせるというの

か。

 福島第一原発はコントロールができない状況が続き、そのもたらす災厄は計り知れない。

11日(土)には全国各地で「原発やめろデモ」が計画されているという。5月に続いて僕も歩きに行こうと思う。

 こんな日本を孫たちに残すことになってしまった私たちよ、老人たちよ、デモに参加するくらいのことはしようぜ。100万人くらいになれば東

電も政府も無視はできなくなるだろう。「こどもを疎開させろ!」「原発をやめろ」。本当に思っているのなら声にしよう。

孫やひ孫から尊敬はされないのはもはやどうしようもない。だが「年金泥棒!」などと貶められ、恨まれる人生だけにはしたくないと思う。

 

 ●6・11新宿 原発やめろデモhttp://611shinjuku.tumblr.com/

   14:00 新宿中央公園・多目的運動広場に集合

   15:00 新宿1周・超巨大サウンドデモ出発
   18:00 原発やめろ広場!!!!!(アルタ前)

 

  

  KAZUHA  原子力は人間の扱える技術じゃなかった。平和利用なんて嘘だった。そのことを沢山勉強した。だからもう卒業!

KAZUHA 原子力は人間の扱える技術じゃなかった。平和利用なんて嘘だった。そのことを沢山勉強した。だからもう卒業!

    出典http://nonukeart.org/


嘘をつけない若者は辞めるしかないのか  東電社員の証言

2011-06-05 07:09:00 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

先日、パソコンで福島原発の近くから高知県四万十市中村に避難してきた木村さんという元東電社員の話を聞く機会があった。4月29日のデモの後の交流会で語られたものだという。

4/29 内部告発 高知県に避難した元・東電社員の証言http://ameblo.jp/hilooooooooooooo/entry-10899035544.html

 TVをはじめとするメディアや学者を買収することに長けている東電は若い社員の良心も買収して内部告発を封じ込めている様子がよくわかる。嘘の報告書を作るために何日間も電話会議をやる社員たちの熱意。嘘をつくことができない若者は社風に馴染めず、辞めるしかないのか。

 日本という国はこんな会社に電力の独占を認め、今日の地獄を招いてしまった。菅内閣は東電労組の笹森清元委員長を特別顧問にして政権運営にあたってきたという。思えば恐ろしいことばかりである。


 




短くお話ししますと、僕は福島原発、第一原発から15キロ真西に住んでました。標高は550ぐらいあったんで、津波は全く問題なく、家も束石方式の基礎の古い家に住んでたんで、平屋の、で、屋根も軽くて、ちょうど本震が来たときは薪の仕事をしとって、で、一服しようかなと思って、3時前だけど、まあ、いっかなと思って、ココアを、薪ストーブに火入れて、ココア飲んで、で、たまたま午前中にデジタル放送のテレビの難聴区域だったんで、光ファイバーみたいなのを大熊町が引いてくれて、その工事が終わって、で、別にテレビとか、全然見たくないんだけど、子供とかがいるんで、テレビ見れるようにしたんですけど、で、ぱっとテレビつけたら、どーんと緊急地震速報が出て、で、これだと思って、すぐ外出て、で、ココア持ってたんだけど、薪割り台のとこに置いて、で、2分、3分弱ですか、本震があって、その間、山がもう、ごーってずっとうなってて。で、ココア、ほとんどこぼれました。そのぐらい。でも、立ってられて、別に這いつくばって腰抜けるようなほどでもなくて、薪ストーブにちょうど火入れたばっかりだったんですけど、中の煙突がちょっと外れたぐらいで、ひっくり返りもせず、何の被害もなかったです。


 


で、次の日、爆発したんですね、1号機が。その爆発までは、僕はもう、地震、津波、炉心溶融というのはもう予測してたんで、で、嫁はちょっと離れたとこに、たまたまちょっといたんで、迎えに来てくれて、土曜日、で、常葉町っていう35キロのところに嫁の実家があったんで、そこに逃げて、で、2日ほどして、まあ、子供もまだ小学校2年生の女の子なんで、もうちょっと逃げようかって話になって、さらに嫁の親戚筋をたどって、栃木県の那須、70キロぐらいですね。まで逃げて、で、そこに3週間ぐらいいたんですかね。で、高知県の県庁が県営住宅の無料開放を宣言してもらったんで、もともとナカムラのほうに、ほうばい?がおったんで、僕、サーフィンやるんですけど、サーフィンブラザーズがいて、県営住宅あれば、余計行きやすいかなと思って、4月の頭にこっちまで逃げてきました。


 


実際、じゃあ、放射線、どのぐらい浴びたのかなってぱっと計算したんですけど、20ミリシーベルトありました。放射線量率って単位時間当たりのマイクロシーベルトとか、ミリシーベルトで表示されてますけど、僕は一応、原子力、学校合わせると20年いて、国の日本原子力研究所ってとこで大学の原子炉工学コースのさらに短時間濃縮コースみたいのを半年ぐらいトレーニングを受けた人間なんで、ちょっとした線量率の計算とか、あと、どのぐらい積算で浴びるのかって簡単な計算方法はもう自分でできるんで、で、こっち来て、落ち着いて、計算したら20ミリシーベルトを大体浴びてて。


 


結局、具合悪くなりました。はっきり言うと。栃木の那須に逃げて、すぐ、だから、4日目ぐらいからもう鼻水、どろどろの鼻水が出て、で、鼻血もとまんなくて、のども痛い。これが低線量障害ってやつなんですね。


 


だから、実際、100ミリまで行かなくても、恒常的に常に浴びてれば、何らかの障害というのは出てきて、で、国も政府も、当然、原子力安全委員会も、東電も、全く問題ないって言い方してますけど、全く問題あります。というのが1つ、僕の生の証言です。


 


一応、今日あんまりコピーしてこなかったんですけども、単位時間当たりの線量率をどうやって積算にするのかという計算式を書いたメモ、すごい汚い字なんですけど、書いてきたんで、欲しい方はどうぞ持ってってください。


 


で、0.24マイクロシーベルトパーアワーって書いてありますよね、新聞に。1時間当たり0.24マイクロ、それを1年間ずっと浴び続けると、2ミリシーベルト、1年間当たり浴びるんです。


 


ICRPって国際放射線防護委員会が勧告してるのは、一般公衆の被曝線量限度ってのは1ミリシーベルト、わかりますか。その20倍をたった1カ月もたたない3週間ぐらいで浴びちゃったんです、僕は。


 


で、僕はもう今年47歳なんで、そんなにもう細胞分裂もしてないからいいんですけれども、子供、子供はもう細胞分裂、活発で、自分の原本のDNAをコピーして体でっかくしてるわけですから、壊れたDNAをコピーすることによって発がん率ってのは高まりますんで、まあ、子供もすぐこっちまで避難させたっていういきさつなんですけれども、そんな、ちょっと生々しい感じの話になっちゃんですけど。


 


で、もう1つ言わせてもらうと、僕は10年前に東電やめたんですね。で、何でやめたかって皆さん、聞いてくるんだけど、理由はね、ほんとに簡単なこと。もう、うそ、偽りの会社、ひどい会社。で、偉くなれるのは東大の原子力出てきた人間、技術系だったら、もしくは東大の法学部出てきた人間が社長とかになりますから。で、もう、そういうエリート官僚主義の最先端行ってるとこなんですね。最先端っていうのかどうかわかんないんだけども。


 


で、うそばっかついてて、例えば、あるものが壊れましたと、このハンドルが壊れました、壊れた理由は、例えばこうやって日に出しといて、紫外線で劣化して壊れたっていうのが普通の理由なんだけれども、それを経産省、昔でいうと通産省、で、今でいうと保安院と原子力安全委員会に説明するにあたって、自分たちが説明しやすい、しかも、結果ありきでつじつまが合うようにストーリーをつくって、それで保安院に報告してプレス発表するわけです。それを専用のテレビ回線を使って、トラブルをちゃんと収束するまでの間、テレビ会議で延々と、昼夜を問わず、1週間缶詰とか、2週間缶詰は当たり前の中で、どうやって壊れた、ハンドルが壊れた原因を役所で説明しようかってことをやってるわけです。


 


で、僕はもう17のときからサーフィンやってて、レゲエの神様のボブ・マーリーが大好きで、で、そのせいで、そういううそ、偽りに気がついて、僕は会社いるときにバランス崩しちゃってですね、そういう世界にいたから。いつも自然と触れてて、レゲエが大好きで、ビールも大好きで、で、友達といい波乗って、おいしいビール飲むっていう生活と、その東電のその組織の中での役割っていうギャップですよ、真逆ですから、はっきり言って。


 


で、それでバランス崩して、もうやめたいって表明して、やめるのに3年かかりました。3年です。もう引きとめに引きとめて、で、最後、もう、僕ちょっと労働組合の仕事とかも少しやってたんで、労働組合の委員長と面談になって、引きとめの面談になって、で、何で、キムラ、やめるんだと、そのほんとうの理由を教えてくれと労働組合の委員長に言われたときに、僕、こう言ったんです。


はっきり言って、10年前ですよ。原子力発電とか、原子力エネルギーというのは斜陽、終わってるって。


 だって、わかりますよね。皆さん、ほんとに意識が高い人たちだから、プルトニウムの241番が放射能の力が弱まる、半分になるまで2万4,000年かかるんですよ。今この瞬間使ってるエネルギーのために2万4,000年先の子孫にごみを、負の遺産を受け渡すことの解が出てないわけじゃないですか、答えが。なのに、発電し続けてることのその矛盾、だから斜陽なんですよ。


 そしたら、労働組合の委員長、こう言いました。キムラ、おまえ、頭が狂ったんだな、気が狂ったんだな。


 僕は、あんたが気が狂ってるんだよってはっきり言ってあげました。そしたら、すごい怒って、おまえみたいなやつはもうやめろと、そう言われて、やめられて。





で、またその後におもしろい話があるんですけど、僕はね、原子炉の認可出力ってあるんですよ。例えば福島第一の1号機だったら、1,380メガワットなんですよ、原子炉の出力は。1,380メガワットを電気にすると、46メガワットで、東京ディズニーランドを1日動かすのに必要な電気は57メガワット。だから、福島第一の1号機じゃ東京ディズニーランドは動かないんです。足りないの。




 


でね、電気の出力ははかれるんですよ、ちゃんと。オームの法則みたいなやつで。「オーム」(ガヤトリー・マントラのたぐい?)ってやつ。なぜかオームなんですけど。


 


で、1,380メガワットをはかってるんですけども、間接的に、だけど、認可出力が1,380メガワットだから、絶対に超えちゃいけないんです、それは。1時間に1編コンピューターを使って計算して、打ち出しして、保安院に報告するんです。


 


で、1,380メガワットを1メガでも超えちゃいけないんです。で、誤差っていうのは2.5%なんです。ということは、27メガワットプラマイ誤差があるんですけど、だから、うちらは技術者の判断で、それは誤差範囲だからっていうことで下げるんですよ。1,381にならないように、僕が計算機に、大型コンピューターにアクセスして、裏技なんですよ、これは。アクセスして、超えそうなときに係数を掛けるんですよ、0.995とか。1に対して。それで認可出力を超えないように、打ち出しが、そういう操作をしてたんですよ、僕は。


 


で、それができるのは東京電力の中でも、4,000人原子力従事者がいるんだけども、社員だけでも、その中でも2人か3人、そんな技を持ってたんで、なかなかやめれなかった。全くやめさせてくんない。


 


何でかっていうと、やっぱりこうやってね、内部告発みたいなことするわけですからね。あれは間違ってるよって。だって、僕、人並みぐらいには正直な人間ですもん。だから、知りたい人にはこうやってちゃんとアナウンスして、ほんとうの情報だけ、さっきの単位時間当たりの線量率をどうやって年間にかえるのかとか、そういうことも全部レクチャーしますんで。


 


そういうことを危惧して、東電は僕に、会社やめるときに、850万円退職金上乗せしてくれたんです。そのときに、本店に呼ばれて、副社長に、キムラ君、わかってるよね。何がわかってんだろうって思ったけど、わかってますって。わかってるよねって言われたら、わかってます、わからないとは言えないんで、じゃあ、もう帰っていいよって言われて、面接2分、それで850万上乗せしてくれて、で、1,300万もらって、まあ、親が事業やってたんで、全部そっちに回しちゃって、今はそんなお金持ってないんであれなんですけども。まあ、そんなおもしろい話が1つあって。


 


で、あんまり、第一の1号機も燃料の全体の燃料の7割が溶けちゃって、で、最近はちょっとデータ見てないんですけれども、原子炉の圧力とかも上がってるし、格納容器内の放射線量率も上がってるし、で、ヨウ素の131番っていうのが減ってない、最近ちょっと減ってきたみたいなんですけども、つい最近までは確実に再臨界になってました。だって、皆さん勉強してるから、ヨウ素の131番というのは放射能の力が半分になるのにたった8日間ですよね。なのに、もう8日たって、もう1カ月近くになってるのにヨウ素131がどんどん増えてる、それ自体がもう再臨界して、臨界にならなければ、ヨウ素というのはできないんです。絶対に。中性子、ぼーんとウラン235番が受けて、割れて、ヨウ素の131番っていうのができるんですよ。原子力っていうのはそういうもんなんで。で、そのうちのアインシュタインの相対性理論の話になっちゃうんですけど、そのうちのほんの1グラムとか、0.何グラムが熱になって、で、水を温めて、蒸気にして、その蒸気をタービンに回して、タービンに直列につながって発電機を回して電気ができるんです。それが発電システムなんで。


 


で、絶対にヨウ素の131番は中性子が出て核分裂しない限りは、絶対に出ないんです。だから、再臨界してて、そういう、ほんとは再臨界してるのに、原子力安全委員会、認めないでしょう。東電、認めないでしょう。政府も認めないでしょう。これはね、再臨界はしてたんです。つい最近まで。これはもう事実です。プロがほんのちょっと原子炉の物理とか知ってる人間であれば、だれでもわかること。それがまず1つ、うそね。


 


で、さっき言った、例えば0.24マイクロシーベルトパーアワーというのは安全だとかっつってるのもうそ。うそです。


 


それが僕は今日、皆さんに伝えたかったことです。で、高知は結構離れてるんでいいんですけど、ドイツの気象局が出してる放射線の、放射能の分布予測、スピーゲルっていうんですか、わかんないですけど、それを見て、北東の風が日本を全体を流れてくるときは、絶対に子供を雨に当てないでください。あと、女の人、これから子供をまだ産む人は出さないでください。それは、おんちゃんらはいいですよ。おれとかも含めて。


 


何でかっていうと、セシウムの137番というのがあります、今度。それの放射能が半分になるのが30年かかるんです。で、何が危ないかっていうと、セシウムの137番というのは筋肉にたまりやすいんです。男の人は比較的筋量が多いんで、筋肉に薄く、体の中に取り入れたとしても薄く広がっていきます。だけど、女の人は乳腺と、あと子宮、どうしても筋肉がないんで、そういった器官に濃縮しやすいです。そうするとやっぱり乳がんの発生率とかがちょっと上がってしまう可能性があるので、そんなことは知ってれば防げることなんで、で、どうしても外に出なきゃなんないときは、布マスクの中にガーゼ入ってるじゃないですか。それをぬらして、で、マスクして外に出る。


 


あと、ヨウ素が出てる限りは、ヨウ素はやっぱり昆布とか海草類にヨードとしてたまるので、そのヨウ素なんです。で、髪の毛から吸収されやすいです、人間は。だから、帽子をかぶって、直接雨に触れないようにするっていうのが1つ防げる方法です。


 


全然そんなことだれも言わないですよね。政府も。だけども、これだけは僕は言いたかったんで、今日、ナカムラから来てみました。


 


あんまり話が長くなっちゃうとあれなんで、最後に1つだけ。


 


何かチェルノブイリの30キロ圏内にあるすごいきれいな泉を守った長老たちがいるらしいんです。どうやって守ったかっていうと、僕、こんなに原子力のこと勉強して、物理のこととかもある程度勉強したけども、目に見えない力ってのも絶対あるんです。その30キロ圏内にあった泉を守った長老たちは、逃げなかったんです。逃げずにその泉をどうやって守ったか。祈りです。だから、そう言っちゃうと信じる人も信じない人も、どのぐらいの割合でいるかわかんないけども、もしちょっとでも信じてもらえるんだったら、朝、まず、福島第一が穏やかに眠りにつきますようにって祈りと、あと、出てしまって、僕たちが使った放射能じゃないですか。電気のもとだから。それが、愛と感謝の思いによって消滅して、無毒化するようにという祈りで、何とかみんなで力を合わせて、次の世代に伝えてもらえたらなって思います。


 


以上です。ありがとうございます。

 

 出典●http://www.qetic.jp/blog/pbr/?p=3652







 


大西武志くん

2011-06-04 13:22:10 | 友人たち

6月3日(金)晴れ

 貴重な梅雨の晴れ間。9時過ぎに家をでて自転車で村山貯水池(多摩湖)に向かう。途中、所沢で豊川さん宅による。

 池袋商業高校時代の先輩同僚。最初は誰かわからなかったらしい。先年お会いしたのは「日の丸・君が代」裁判の行われる霞が関の裁判所で、僕が抗がん剤治療のためハゲ頭になっていた時だ。風貌もかわり、自転車での突然の訪問だったのでさぞ驚かれたことだろう。

 元気そうで何よりだ。組立式の自転車で各地をサイクリングしておられる。歳相応になったのか最近は遠出はしないとか。時の流れに危惧を感じて今も欠かさず裁判所に出かけて傍聴活動を続けておられる。

 多摩湖では湖周を一回りする。思ったほど展望はない。ゆっくりする時間的余裕がなかったので奥の方は他日とする。帰りは狭い県道を避け、国道463・299の歩道を走り、狭山市笹井から入間川自転車道。帰宅は5時過ぎ。

 多摩湖方面へのサイクリングは初めてだった。交通量が多い道ばかりで僕にはむいていない。いつもより疲れたかな。

 9時からサスペンスドラマを見る。昔、池袋商業高校で僕の生徒だった武志くんが出演すると聞いていたので珍しく頑張った。終の方でやっと出てきた。家庭内暴力をほしいままにした挙句妻に殺される父親役だった。

 84年4月から3年間僕がHR担任をした。役者になるとは思いもしなかった。高校生の頃には本人もそうだったのではないか。自分を活かして生きたいという青年期の彷徨の果てにこの世界の人との出会いがあり、今日に至ったのだろう。

 先日のクラス会で早世した旧友の墓参りを一年に一度くらいはしているという話を耳にした。仲のいい友達だった。自然なことかもしれない。それでも僕には心に残る一言だった。

 昔から友達の中で育った人たちだ。人生を重ねる中でひとを思う力が着実に付いて人間に味がでてきたのではないかと思う。

役者といっても二枚目ではない。結局のところその人が身に付けた人生に対する想像力や洞察力がものをいうのではないか。僕が惚れるバイプレイヤーになってくれるかなあ。

 大西武志くん ●http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E6%AD%A6%E5%BF%97

 大西武志

 

 ●出典http://www.c-player.com/ac45173/thread/1100045386556

イメージ