怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

11月29日瑞穂公園テニスコートは人が集まらず

2014-11-29 22:01:46 | テニス
この日は朝から雨。結構降っていました。
それでも予報は昼から上がる。午前中に図書館へ行って帰りには雨が上がっていました。
雲はまだ低いのですが、跨線橋の上から神宮東公園越しに中京テレビのタワーが見えました(写真では分かりにくいですがちゃんと写っています)。

写真では見えませんが東山タワーも見えて、晴れ間もあります。
公園を歩くと池の周りには鴨が陸に上がってきています。前にも書きましたが、いつの間にか公園のこの池は鴨池に。

3~40羽はいると思います。
白鳥公園を散歩した時には鴨は見あたらなかったのですが、どうして?
天敵とかエサの関係でしょうか。毎朝散歩の途中で鴨に餌をやっている人はいますけどね…
お昼過ぎには雨は上がってまあ大丈夫だろうと1時40分に家を出て歩いて瑞穂公園テニスコートへ。
途中神宮東公園テニスコートを見てみると誰もいない。

何か悪い予感がするのですが、コート面は濡れてはいるけど水が溜まっているわけではない。十分できそうなんですけど人がいない。
まあ、歩き出したのでそのまま瑞穂公園テニスコートへ向かったのですが、太陽も顔を出してきて天気はどんどん良くなってくる。
山崎川まで来ると川は増水して濁っていますが、いい天気です。

5分前にコートへ到着したのですが、1059さんが一人ぽつんと待っている。
あとは今日誰もいないの?
ヤッターマンは来れないとのこと。はげ親父へ電話してみたのですが、まだ家にいて、今からだと1時間はかかるのでボツ。森の熊さんは電話するも出ない。OBさんは連絡つかずなのですがいつも通り仕事でしょうか。
結局2時35分過ぎまで待っても二人だけ。コートを見ると1番コートではテニスをしていますが川側の3番コートは水がついている。多分6番、8番コートも水がついていて、水を搔き出さないとできないのでしょう。
1059さんと二人でやるかとも思ったのですが、受付に行ってキャンセルできますかと聞くと、この状態なのでいいですということなので迷わずキャンセルしました。
時間が余っているので1059さんとコーヒーを飲みにいってだべる。その後、歩いて帰りました。1059さんも時間があるので家まで歩こうかと言ってました。
先日実家に帰ったらいい加減呆けてきた母に床屋へ行きなさいと1万円を渡されそうになったのですが、基礎年金暮らしの80過ぎの母親に金はあるかと床屋代をもらうはさすがにちょっとむかつきながら断りました。
まあ時間が余って丁度いいので、帰りには床屋にいってきました。これで頭部方面は年を超すことができそうですが、このところ床屋の鏡でしげしげと見ると頭髪がめっきり少なくなってきているのが実感できます。さみしい~。顔の皮膚もどことなくたるんでいて法令線もくっきりしてきた…現実を直視したくないので普段あまり鏡を見ないようにしていたのですが、床屋では自分の顔しか見ることがないので否が応でも現実に向き合わざるを得ません。なんだかな~


コメント (1)
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「おばさん未満」酒井順子

2014-11-29 08:56:21 | 
30代から40代へ。
若かりし頃は40歳といえばもうおばさん、どんな感じで生きているのか想像だにできなかったのですが、現実になれば何の感慨もなく飛び込んでいる。
「負け犬の遠吠え」で名をあげた酒井順子も独身のまま40になりなんとするときにいろいろ思うことあり。
読んでいると自分がひたすら馬齢を重ねていた日々が思い出されて、改めて歳を取る悲哀を感じるのです。
でも当然ながらというか、ファッションについての記述は言葉が理解できない。
激しく共感したのは「たるみ」の話。浅香光代が野村沙知代とバトルしたとき二人を比べると浅香光代はしわも法令線も目立たないのだけどちゃんと年相応に見える。どうしてかなと思うと気が付かなくても顔のたるみを認識してしまうからとか。いかに若づくりしてもたるみは隠せない。
顔のたるみだけでなくて二の腕のたるみとかも目についてしまう。後姿でも老いがわかるというのは肘とか膝にしわが出ている。
この話わかるな~。
このまま馬齢を重ねていくのに抗い努力した記憶があるのですが経年劣化に伴い重力の力には勝てなくなっていく。
風呂に入ってしげしげと我がたるんだ肉体を見てみると歳だなと改めて感じてしまう。
40になって老いの現実に直面しながら、なんとか自分を納得させているというかさせようとしている姿には共感します。
年代の違いと男性と女性の感性の違いがあって理解しがたいこともたくさんあるのですが、還暦を迎え歳に抗いようもない自分でもわかるわかるということは多々あります。
中年というのも気恥ずかしい、もう老年となり改めて自分の人生の来し方というか、認めたくないけれど認めざるを得ないたるんできた皮膚やお腹を考えさせられた本です。

それにしても体型だけでなく、言葉とか振る舞いとか考え方とか気が付かないうちに歳を取ってきているのですが、いまだ自分自身では確たる自覚がなくて、こういう本で気が付くなんて言うのは何なんでしょうか。多分心の中では気がついているのですが決して認めたくないというバリアーがあって意識に上らないようにしているのでしょう。今や誕生日が来てもうれしくないというかまた一つ歳を取ってしまったかと暗鬱な気分になるのですが、定年退職もし年金ももうすぐもらえるという現実は如何ともしがたい。否応なく認めざるを得なくなったら、これはもう「老人力」が付いたと居直るしかないのかな。
ちなみに表紙のイラストは「水森亜土」、久しぶりに目にした名前です。
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