怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

父の工具類

2023-08-06 08:40:50 | Weblog
我が家は祖父の代から雁道で自転車屋を営んでいて、父は軍隊に行っていたときを除いては生涯自転車屋一筋。
80歳を超えて店を閉じてもパンク修理ぐらいはできると道具類は大量に保管してたまま。
家を新築してもはや普通のしもた屋にしたのですが、大量のタイヤとかチューブとかワイヤーとかの自転車の部品と道具類は大切に保管していて、おかげで仮住居は荷物だらけ、新しい家に越してきても荷物が部屋を占拠していました。引っ越し費用が高いと文句を言っていましたがこれだけ無駄なものが山ほどあれば当然です。
ところが父は家を新築中に倒れてしまい、新居に移ってきた時には要介護5。もはや自分の体もままならず自転車の修理などはまったく不可能な状態に。
自転車部品などは始末に困って廃棄しようと言っても、大切な財産と思っているのか中々同意せずに、それでも何とか同業の知り合いの人に引き取ってもらいました。
でもさすがに使い古した道具類は引き取りてもなく、今に至っていました。


どうしてこんなにあるのかと思うほどあって、中にはほとんど使っていないような工具セットもあるし、どうやって使うのか使用方法も使用目的も分からないものもある。
さび付いていたり油で黒くなっていて触るのも憚れるようなものは、残念ながら不燃ごみに出すしかない。
思えば父は人生のほとんどを自転車屋のおやじとして過ごし、今では考えられないようなことですが、その昔は住み込みの従業員までいてほぼ年中無休でオートバイの販売修理もやっていた。オートバイとか自転車の修理はどうしても手は油まみれになるのですが、父が仕事を終わって手を何度洗っても指のしわには油の黒ずみが残っていました。
昔ロシア革命直後に日本からロシアへ一時帰国しようとしたハム職人のカール・レイモンが赤軍にスパイと疑われた時、こんな職人の手をしているものがスパイの訳がないと放免されたと言う話を聞いたことがあるのですが、父の手は油にまみれた労働者の手でした。
そんな父も脳卒中で倒れ1年以上療養生活を送るうちに指は真っ白になっていました。そんな白い手に気が付いた時は何ともやるせない思いがしたものです。
残っていた工具類には油にまみれて修理をしていた父の自転車屋としての存在証明のようでもあります。
商売を嫌っていた不肖の息子ですが、簡単に不燃ごみとして出すには忸怩たる思いがあったのは否めません。
新品で使っていない「さすべい」とか「ランプ」「ブレーキワイヤー」もあるので、道具類も一緒に捨てるのではなくて、多少でも活用できるように状態がよさそうなものは家の前に並べて必要な人にご自由に取ってもらうことにしてみました。

丁度商店街の夏祭りのお時なのでそれに合わせて並べておきます。

ところが夏祭りは夕方からなので明るいうちは人もあまり通らず、祭りにきて工具類に興味があっても持って帰る人はあまりいないのか当日はほとんど残っていました。
ところが翌日一日そのままにして月曜の朝に行ってみると結構なくなっている。

予想以上の売れ行きでした。
でも先日納戸を整理していたら、奥に工具箱があってそこにも古い工具が箱にいっぱい入っている。瓶に入ったねじとかもぞろぞろ出てくる。なんだかな~
実家の整理をするとまだまだいろいろ出てきそうで、何とか使えそうなものはまた来年の祭りの時にでも出すか。


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