怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

「息の発見」五木寛之

2015-11-13 07:20:33 | 
五木寛之というと「さらばモスクワ愚連隊」でデビューして以来ベストセラーを続出。ちょうど私が高校生大学生のころで夢中になって読んだものです。「青春の門」は筑豊編以来新刊が出てくるのを心待ちにしていて、映画もすぐに見ました。生き方自体が何となくダンディズムにあふれていて、出来そうもないのですがそれだからこそ憧れる存在でした。当時その小説だけでなくエッセイも含めて図書館にある本はほとんど読んだ記憶です。
ところがいつの間にか百寺巡礼とかやりだしていて放浪の宗教家のようになっていました。
最近でも中日新聞に「親鸞」を連載して、それはそれでストーリーテーラーとしての才能は衰えていなくて十分楽しめたのですが、枯れてきましたな。1932年生まれなのでもう80過ぎ。無理もないですね。でも本人が公言しているように医者にもかからず元気に活動しています。
これはそんな五木さんが玄侑宗久というこれまた臨済宗の住職にして芥川賞作家との「息」についての対話です。

読んでいくと玄侑さんの博識には脱帽です。仏教のことだけでなく哲学から生物学のことまで引き出しの多いこと。さすが慶應を出て仏教には飽き足らずだったのか反発してキリスト教、イスラム教、天理教などいろいろな宗教行事に参加、様々な職業も体験しただけのことはあります。仏教も臨済宗のことだけでなく曹洞宗はもちろん、浄土宗、真言宗から原始仏教のことまで該博です。
五木寛之も一時休筆して龍谷大学で学びインド、ブータンなど世界各国を訪れているだけに負けずに意見を戦わせています。
座禅の時もそうなんでしょうけど、「息」=呼吸法が体のリズムを整えるには大切で、お経を声を出して唱えるのも一種の呼吸法。西洋人は胸式呼吸で日本人は腹式呼吸と言われると「へぇ~」ですが、日本の着物は腹式呼吸に向いていて西洋人は胸が締め付けられるので呼吸ができないといわれるとそうなんだとも思ってしまう。
ブッダの生涯を見ていくと厳しい修行を経て、何ものにも拘らない生き方というか今の日本の仏教とはかなり違うことを説いている。それは中国にわたり道教なり儒教なりの影響を受け日本に来てさらに神道とも融合していることによるのだろう。
息について言ったブッダの言葉をあとがきで紹介していますが
「息を吸う時には、息を吸っている自分に気づこう。吐いている時には、吐いている自分に気づこう。心を感じつつ、心を静めて呼吸しよう。心を安定させ、心を自由に解き放つように息をしよう。そして無常を感じ、生の消滅を感じ、自己を手放すことを意識しつつ呼吸しよう」
五木寛之自身が自分の本は活字が大きいので年寄りに好評と言っているのですが、内容も適当に難しくて、でも実践できることも多々あり、少し枯れてきた年寄り(私のことです)には楽しみながら読み進むことができました。

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