今城塚古墳は、富田台地の中央につくられた、6世紀前半の前方後円墳です。
二重の濠に囲まれた長さ181mの墳丘は、前方部が2段、後円部は3段に築かれて
濠をふくめた全長は354m、この時期につくられたものとして日本最大の古墳です。
これは1番上の画像右部分です・・・今城塚から北側の古墳も描かれていました。
私はそのことに気がつかないで通り過ぎるところでしたが、文化財スタッフの方に他の
古墳が描かれていることや古墳名も教えて頂いたので、忘れないように書いておきます。
今城塚からみて、他の古墳がどの位置にあるのかよく分かりますね~。 (^^♪
奥へ進むと・・・古墳の斜面に葺石(ふきいし)を、敷き詰めているのがみえます。
墳丘をつくるのには・・・説明が長くなるので省略します。(^^ゞ
今城塚の葺石は、古墳から1km東を流れる芥川の川原石が使われています。
この葺き石の中に、今城塚の本物の石がありますので見つけてくださいね。
排水溝 (灯かりの部分)
今城塚の後円部には、川原石を積み上げた石積みが埋め込まれ、その下部に石組みの
排水溝がつくられ、墳丘にしみこんだ雨水をいち早く外に排出する工夫がされていました。
古墳の築造前には、円筒埴輪が並んでいました。
墳丘格段のテラスや内堤には、高さ90cmの円筒埴輪と
高さ約130cmの朝顔形埴輪が、6000本以上も立て並べていました。
円筒埴輪には、ヘラ描きされた 「船絵」 が描かれていました。
これは大地震の痕跡です。 文禄5年(1596年)の直下型大地震・伏見地震で
墳丘から内濠にかけて、大きく波打ちながら滑り落ちたようすがわかります。
拙い写真でご紹介させて頂いてますが、あなたの目でご覧になって頂きたいです。(^^ゞ
~~~~~~~ 今日の誕生花 日比谷花壇より ~~~~~~~
花名 : ハナミズキ 花言葉 : おだやかな心
明治42年頃に東京市長がアメリカにサクラを贈りました。その時の返礼として
贈られてきたのが最初で、その頃の原木が新宿御苑に残っているといわれています。