蹴上インクラインを歩いて「ねじりまんぽ」を見ることができたので
次の目的地へ向かいます。
「ねじりまんぽ」を通って来られた人と同じ方向ですが
蜜にならないように・・・少し離れて歩きます。
南禅寺 大寧軒(だいねいけん)
大寧軒は、通常非公開ですが特別公開されていました。
明治時代の茶人、薮内紹智によって作られた池泉回遊式庭園には
琵琶湖疏水を引き込んだ清流には、珍しい「三柱鳥居」があるそうです。
金地院「東照宮の楼門」
大寧軒のすぐ横に見えたのは「東照宮の楼門」です。
徳川家康の遺命により創建されたもので
本殿には家康の遺髪と念持仏が納められているそうです。
小堀遠州の作庭した枯山水庭園“鶴亀の庭”が
国の特別名勝に指定されています。
京都の神社仏閣とは少し違います。
江戸幕府の法律外交を担った、僧・以心崇伝が住したことで知られ
大坂の冬の陣のきっかけとなった、方広寺の鐘銘問題は
金地院崇伝の考えと言われ「黒衣(こくえ)の宰相」と呼ばれました。
金地院も特別拝観されていますが
多くの人が来られているようです。
この中に“鶴亀の庭”があります。
金地院は室町幕府4代将軍、足利義持によって
応永年間に建立された寺院で、建立当初は北山にありましたが
南禅寺270世住職であり、徳川家康の側近でもあった
金地院崇伝が慶長10年(1605)に、現在の場所に再建復興しました。
次の目的地へ向かいます。
「ねじりまんぽ」を通って来られた人と同じ方向ですが
蜜にならないように・・・少し離れて歩きます。
南禅寺 大寧軒(だいねいけん)
大寧軒は、通常非公開ですが特別公開されていました。
明治時代の茶人、薮内紹智によって作られた池泉回遊式庭園には
琵琶湖疏水を引き込んだ清流には、珍しい「三柱鳥居」があるそうです。
金地院「東照宮の楼門」
大寧軒のすぐ横に見えたのは「東照宮の楼門」です。
徳川家康の遺命により創建されたもので
本殿には家康の遺髪と念持仏が納められているそうです。
小堀遠州の作庭した枯山水庭園“鶴亀の庭”が
国の特別名勝に指定されています。
京都の神社仏閣とは少し違います。
江戸幕府の法律外交を担った、僧・以心崇伝が住したことで知られ
大坂の冬の陣のきっかけとなった、方広寺の鐘銘問題は
金地院崇伝の考えと言われ「黒衣(こくえ)の宰相」と呼ばれました。
金地院も特別拝観されていますが
多くの人が来られているようです。
この中に“鶴亀の庭”があります。
金地院は室町幕府4代将軍、足利義持によって
応永年間に建立された寺院で、建立当初は北山にありましたが
南禅寺270世住職であり、徳川家康の側近でもあった
金地院崇伝が慶長10年(1605)に、現在の場所に再建復興しました。