喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

田舎の満月

2011-04-18 | ブログ
 今夜は、満月。

 先ほど妻から
「月がきれいなので、見てみて。」
とメールがありました。

 本当、きれいです。

 最近、朝起きるとおだやかな天気が多く、
真下に見えるフクロイセの浜がとてもきれいです。

 きれいなものを、
きれいと思える田舎。
そしてそんな時間。

 小さな幸せを感じています。

              岬人

流木で遊ぼう

2011-04-16 | ブログ
 10日(日)平礒の浜「フクロイセ」に行ってみました。

 ここには、我が家の舟倉があります。
伝馬船が置いていて、小学生の頃、艪(ろ)を漕いで動かしたものです。
 それが夏休みの大きな楽しみでした。
 
 でもしばらく使っていなかったため、
船底にすき間があり潮が大量に入り、沈没の危機。
まず、その潮出しから始まります。
 終了すると、いよいよちょっとした冒険の始まり。
湾内を伝馬船を漕いで、船旅をするのです。

 そんな遠い記憶のある我が家の舟倉。
 ところが今は海岸が狭くなってきたせいか、
波に石垣がさらわれ、つぶれているのです。
 あの頃漕いだ伝馬船も崩れた船倉につぶされています。
 
 時の流れと思ってしまえばそれまでですが、
いつかまた伝馬船を漕いでみたいものです。

 その船倉から数10メートル離れたところにおもしろいものを見つけました。
 それは、流木を集めて作ったオブジェ? 城? いかだ?
たぶん平礒の子どもたちが遊びに来て作ったものでしょう。
と言うことは、我が家の娘たちかもしれません。
 こんな遊びもワクワクします。 

 田舎の遊び場は、どこにでもあるものです。
何でもおもちゃになります。

 子どもたちには、そんな遊びを体験しておいてほしいものです。

浅野農園ネットショップ 

2011-04-15 | ブログ
 浅野農園の柑橘ネットショップが再起動しました。

 このたいへんな作業を手がけてくれたのは、ロサンゼルス在住のリエさん。
本当に感謝しています。
今や喜久家プロジェクトのとっても大切なサポーター。
 年末にも喜久家の大掃除、そして障子紙張りにいたるまで、
これから入ってくるボランティアたちが生活しやすいように手を貸してくれました。

 リエさんは、いまアメリカロサンゼルスに住んでいますが、
同じ旧三崎町大佐田出身の同郷人。
遠く離れた地球の反対側からふるさとを応援してくれている人なのです。

 昨年の夏に母校三崎高校同窓会で出会って、喜久家プロジェクトに理解をしめしてくれて、
さまざまな協力をしてもらっています。
 「人ぞれぞれ、ふるさととのかかわり方、応援のしかたがある。」
そんなことをリエさんが気づかせてくれました。

 ネットショップを始めるまでに、
代表である弟との打ち合わせや写真撮影など、
たいへんお世話になりました。

 私たち農家としての喜びの1つに、
「自分たちが丹精こめて作ったみかんを、お客様に喜んで食べてもらいたい。」
ということがあります。
 顔の見えるおつきあいをしたいのです。
 そのためには、個人への販売というものが適していると思います。
もちろん、それだけ農家としては責任がかかります。
でもそれがお互いの安心・安全な気持ちを高めていくことにつながります。

 その架け橋となるネットショップ。
どうぞご覧ください。

                       岬人

 浅野農園ネットショップ
「おいしいみかんを全国へ届けたい。キモチと共に。」

 http://asano-imikan.ocnk.net/


先祖の歩み 「田村菓子舗三代目のコメントより」

2011-04-14 | ブログ
 
                「宮島様」

平礒、沖新田の宮島様を見て、
「旅する巨人」と言われた民俗学者宮本常一の言葉を思い出しました。

「歴史は書かれている書物の中だけにあるのではなく、
私たちの暮らしの中にもひそんでいます。
 そして、そういうものが明らかになってこそ、
日本人は本当にどんな生き方をしてきたかが、明らかになると思います。」

「宮島様」のブログに対して、田村菓子舗三代目が、
すばらしいコメントをしてくれましたので紹介させてもらいます。 

『先人たちの生きてきた証やルーツなど、
自分の故郷がわかってくると嬉しいですね。
 
 僕が地元を好きになった理由のひとつに二名津中での「郷土研究クラブ」での経験があります。
 私たちは一年かけて「宇都宮誠集」について調べ、
愛媛県の「地域生活文化研究発表会」で最優秀賞をいただきました。
 木下先生という三瓶出身の熱心な国語の先生の指導があったからこそです。
そして、三崎高校でも郷土研究クラブ、松山大学では歴史旅行研究会と僕の人生に大きな影響を与えてくれました。
 
 学生時代の先生との出会いは大きいですね。
中学3年間で学校全体で昔話の聞き取りをして冊子化しました。
この事業を通して、地域の昔を知ることだけでなく、地域の人とのコミュニケーションもとれました。
お年よりも自分の知っている知識を子供たちに伝えることができて嬉しそうでした。
これが教育の素晴らしさであると思います。
僕にとって大切な大切な経験と思い出となりました。

 その後、パソコン教育の一環で山根先生指導のもと、
後輩たちが当時、私たちが調べたものを二名津中学校HPで公開していました。
これが、「つながり」の大切さ。
 そのHPは二名津中学校廃校時、統合先の三崎中学校へもっていってくれるものと思っていました。
が、そうはならず、当時の先生方、山根先生の許可をいただき当店のHPにて掲載しています。
(冊子は町見郷土館の高嶋さんに渡してあるので資料としては残るでしょう)

 こういう文献や資料を残していくのは大切なことだと思います。
先人やわれわれの生きた証です。

 田村菓子舗が存続するかぎり当店のHPで守っていく所存です。
これを見て、つながる人、懐かしむ人も実際いるのです。
 私も「話をしてくれたおばちゃん今も元気ですか?」とか
「祖母に見せたら喜びました」とか
いろんなメールやお言葉をいただきました。

 僕のひとりよがりかも知れんけど、
これを見て関わった二名津中の卒業生達が「そういえば中学の時にこんなことしたなあ」
なんて、酒でも飲みながら思い出話をしてくれたらうれしいなあ。

 岬人さんのように、自分の故郷の再発見や今の現状、風景など発信する人がどんどん増えるといいなあ。

 昔話のリンクはコチラhttp://www.unimannya.com/wiki/index.php?title=%E5%9C%B0%E5%85%83%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2』

 とっても貴重な聞き取り資料です。
ふるさと佐田岬のみなさんは、ぜひこの昔話をご覧ください。


       「平礒、沖新田から釜木を望む」

                  岬人

平礒の宮島様

2011-04-13 | ブログ
 10日の日曜日、久しぶりに平礒の浜に行ってみました。
潮がひいていたので、沖新田にも行けました。

 波戸の先端に立つと、海の底が透き通って見えました。
今の時期は、透明度が高くとてもきれいです。
意外に浅く、砂地で、なんだか泳ぎたい気分。

 さらに向こう側へと歩いてみました。
すると何やら祠(ほこら)を発見。

 ばちあたりにも、畏る畏る(おそるおそる)祠の戸を開けてみました。
中には見たこともない像が座っていました。
お釈迦様のような?
 その横には、厳島神社守護と書かれた札がありました。

 家に帰って父母にそのことを聞いてみると、
それは「宮島様」ということでした。
 平礒には「旦那様(だんなさま)」と呼ばれていた梶原家がありました。
江戸時代の組頭だそうです。
その家は網元でもあり、昔は平礒のたくさんの人を雇い、漁をしていました。

 したがって、海の神様である安芸の宮島、厳島神社をおまつりしていたようです。
 宮島様のお祭りもしていたようで、
そのときには、平礒中の女性は料理を旦那様の家に持ち寄って、
女性だけの宴をしていたようです。

 こんな小さな平礒にもそんな風習があったのです。
何かうれしくなりました。

 写真は、宮島様の祠と桜です。
今はもうお祭りはされていませんが、
桜は昔も今も変わらず、咲き続けています。 

                     岬人
 

磯の珍味

2011-04-12 | ブログ
 先日10日(日)、平礒の磯に行ってみました。
潮がよくひいていました。

 ふだんはあまり目にすることもないところまで
干上がっていて、さまざまなものが見られて楽しかったです。
 潮だまりのイソギンチャク、びっしり張りついたフジツボ、
亀の手、カラス貝など。

 磯の香りもプンプンでなつかしい。

 そんな中、牡蠣(カキ)を見つけました。
そのとたん、よだれが。

 大きな石を見つけ、その牡蠣をたたき割ります。
そして中身を潮で洗い、ペロリ。
「んー、磯の香り満点のおいしさ。」

 そこら近辺の牡蠣をたらふく食べ、大満足。
 田舎の磯は、珍味がいっぱい。
今度は、「亀の手」を採って食べようと思います。

                  岬人


愛媛新聞「伊予弁」コーナー

2011-04-10 | ブログ
 昨日9日(土)、毎月恒例の愛媛新聞「伊予弁」コーナーに掲載されました。
今月のテーマは、「佐田岬の桜」

 これは、本当すごいです。
メロディーライン沿いには、華やかなのソメイヨシノ。
そして道のない山々には山桜。

 桜には、さまざまな思いが浮かんできますが、
それがみなさんに伝えられるかどうか。
では、どうぞご覧ください。

『「佐田岬の桜」

朝ウグイスやメジロたちのさえずりで目が覚める。
 その姿を追い山々に目を向けると、辺り一面ピンク色に染まっている。
ついこの前までは、清見タンゴールなどでオレンジ色に彩られていた山々。
 
 ふるさと佐田岬半島に自生する素朴な山桜は、
伊方町内だけでも約十一万本あり、年々増えている。
 渡り鳥のルートとして全国的に有名な佐田岬には、多くの鳥たちが集まる。
その鳥たちによって山桜の種が広い範囲に蒔かれていきこれほど増えているのだろう。
 大自然の悠々たる営みによって今の美しさがある。
 
 ふと、校庭の桜が見たくなり、入学した釜木小学校に久しぶりに足を運んだ。
三年間過ごした学舎は、廃校となり今はない。
 当時の面影を残すものは、校庭の桜と通る度にあいさつした二宮金次郎の像のみ。
寂しさとなつかしさが入り交じった。
 
 八日は、三崎中学校の入学式。
満開の桜の中、胸躍らせ子どもたちが入学してくる。
 それは、今も昔も変わらない姿だ。』

 今日、晴天の日曜日。
ぜひ見に来られてはどうですか。

                       岬人

南レク中学生ソフトテニス大会

2011-04-10 | ブログ
昨日は、南予地区で中学生の大きなソフトテニスの大会がありました。
四国最西端の三崎中学校は、最近目ざすプレーができはじめ期待をもっ望んだ大会でした。
 
 ところが、どのペアも弱気で、いつものプレーができません。
自分たちのミスで得点が重なったり、勝てる試合を落としたり、満足のいくプレーができたペアはいませんでした。
ベンチにいて、さまざまな思いが入り乱れ、腹がたちました。
なぜ、おもいっきりしないんだ。
いつもの練習どおりしないんだ。
 でも一番腹が立ったのは、子どもたちに効果的なアドバイスをしてあげられない自分に対してでした。

 試合後、落ち込む子どもたち。
目に涙をためる子どもたち。
 指導者として、この姿を忘れないよう。
 子どもたちを責める言葉だけを言ってしまいがちになりますが、
それだけでは指導者として負けです。

 広い視点に立ち、最終目標の総体の試合でどんなプレーができるか。
もっと言うならば、人生においてどんな肥やしとさせるか。
子どもたちに愛情を。
自分に矛先を。
 田舎の中学生とともに本気のがんばりが続きます。

明日4/9の愛媛新聞「伊予弁」コーナー

2011-04-08 | ブログ
 明日4月9日の愛媛新聞「伊予弁」コーナーに
原稿が掲載されます。

 昨年の12月から月に1回ずつ書いているものです。

 今回のテーマは、「佐田岬の桜」
まさに今にぴったりのものです。

 本当、山が萌えている、といった感じです。
この土日に都合がつけば、ぜひ見に来てみてください。

 私は、明日「南レク中学生テニス大会」引率です。
朝6:15分出発。

             岬人

三机小学校の二宮尊徳像

2011-04-08 | ブログ






 伊方町(旧瀬戸町)三机小学校の二宮尊徳像です。
いろいろな像があるものです。

 気になる二宮尊徳が読んでいる本は?
もちろんこれもチェックしました。
 この三机小学校の像には、
持っている本の題名が見えます。
それは、「大学」。

 さて、どんな内容なのでしょうか?

 それについては、またの機会に。

               岬人

花咲くまちづくり

2011-04-07 | ブログ
 

 地域における花づくりについて、
尊敬する双海町の若松進一さんからコメントをいただきましたので
紹介します。

『花に目が行く (shin-1さんの日記)
「ふるさとの 花に目が行く 雀かな」

 あなたは心が優しい人ですね。
私もあなたに負けないくらい花が大好きで、
花を求めて色々とうごめいています。

 またこの20年余り、花咲くまちづくりをやって来たお陰で、
県内でも何本かの指に入る花の多い町に変身しました。

 花は人の想いで咲かせるものです。
 昔、長男息子が中学生のころ、
「どんな町に住みたいですかと聞かれれば、
『花がいっぱい咲いて、あいさつが出来て時間が守れる町』に住みたい」
と作文を書いて、町長さんから第一回まちづくり作文募集で最優秀賞を受けました。

 以来花に心を動かせ、世界一の花の町ニュージーランドクライストチャーチへ町民を派遣したりしました。
花を見て美しいと感じる心こそ教育の原点です。
 嬉しい気付きが嬉しいです。
                  人間牧場主 若松進一 』

 やはりまちづくりのカリスマは視点がちがいます。
「花咲くまちづくり」の視点で町並みウォッチングをしてみると
おもしろいことに気づきます。
 私のふるさと平礒には、ほとんど花がありません。
それに比べ隣の二名津はけっこうたくさんの花が育てられています。
みんながよく目にする場所にも有志で花づくりをしています。
意識が高いのですね。

 2つのことを考えています。
1つは、道行く人も楽しめる通り側に花を置くこと。
1つは、地域に自生した貴重な花があるので、その花づくりをめざす。
どこにでもある観賞用の外来種ではなく。

 まずは、我が家庭から手がけてみます。
そして仲間を増やしながら。

                     岬人


花いっぱいの大江(おおえ)

2011-04-05 | ブログ
 二宮尊徳調査をしていたら、いろいろおもしろいものを感じることができました。

 旧瀬戸町大江地区。
 持っていたイメージとしては、
郷土を代表する国会議員故毛利松平氏のふるさと。
教員が多い教育に熱心な地区。
柑橘づくりが盛んな地区。

 昨日、知り合いの伝さんから電話をいただきました。
「大江に来てもらい、ありがとうございました。
今度来るときにはぜひ連絡ください。
お茶でも飲みながらお話をしましょう。」と。

 今度は、ぜひそうしたいと思っています。

 それにしても、いっぺんで大江地区のすばらしさに魅せられました。
整備された道々。
浜に置かれた自然石の常夜灯。そして港。





大江のみなさんが取り組まれている花いっぱいの活動。
プランターには、大江環境保全協議会と書かれていました。

 何枚も写真を撮りました。
 カメラを持って、ウロウロしていたので、
あやしまれたかもしれません。
 








 そして驚いたことに、
昨日のブログでまずのせた場所の写真は、
伝さんがもっともお気に入りの花が美しい場所らしいのです。
 そこをたまたま通りかかった私も魅せられたわけですから、
感激しました。

 「ふるさとに花を育てよう。」
私の新たな夢となりました。