僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

いるべき場所にいること

2006-06-19 | Weblog

昨日の柳沢には落胆、という声が多い。もちろん俺も例外じゃなく、
ガックリきた。あんなもん、目つむってても入れれる、とか、俺でも入
れれるで、とか好き勝手にいう人もおる(←俺です)。

でも、そんな声が多いからこそ、民主主義の精神に則って少し彼の
弁護をしてみようと思う。

そう、あのシュートを外したことには弁解
の余地はないけど、あのポジ
ションにいた、ということは評価できるんとちゃうやろか?
あそこに彼がいなければ、あのようにシュートを外すこともなく、ど素人
の俺たちにボロクソに言われることはなかったはず。

でも、そこはさすがに日本FWのレギュラーだけあって、きちんと相手の
穴をついたスペースに彼は走りこんでいた。シュートを失敗するより、
その場所にいない、ということはもっと大きな失敗のはずやねんけど、
それは俺たち素人には分かりにくいし、ましてテレビで見てたら、どこ
からどこまでを彼が走って、あのポジションに来てたのかも分からない。

つまり、見えない失敗が一番責められてしかりなんやけど
、実際には
見えた失敗だけが責められる訳や。

だから、柳沢は一番大きな失敗はしてなかった。ただ、一番目立つ
失敗をしただけやねん。

結局、決定的な場面を作りだすということにおいて、日本では柳沢
や高原の右にでるもんがおらんかったということで、皮肉にもあのシー
ンで決定したのは、日本チームのレベルがまだそこまでやったということ。

サッカー選手に限らず、皆いるべき場所がある。
会社であれ家庭であれ、学校や刑務所であれ。そこで自分のいるべ
き場所でそれぞれの役割を果たしている。誰もがその場所から逃げ
出して役割を放棄したいと思ったことだってあるはず。

そうして考えてみると、いるべき場所で役割を果たせない時があっても、
そこにいるということだけで、それはものすごいことなんよ。

だから柳沢よ、胸を張って帰ってこい。まぁ、俺に許してもらいたくはな
いやろけど、許したるわ。