僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

脱歯車感

2006-06-22 | Weblog

最近、定年を迎えられた会社の上司が二人、続けざまに倒れられた。

原因はそれぞれ脳梗塞と脳溢血。幸いお二人とも命に別状はないが、
おひとりは左半身に麻痺が残り、おひとりは、今入院中だ。

そういう方々を続けざまに目の当たりにして思う。今まで一生懸命働い
てきて、定年となり、ようやくこれから好きなことを始めようようかという矢
先に病魔に襲われてしまうなんて、人生はあまりにも理不尽やないの
か、と。

この二人の先輩方が俺と同じ考え方をされてれるのかどうかは分からな
い。でも、自分に当てはめてみて考えてみると、果たして自分の持てる
時間のほとんどを仕事に費やしてていいのか、と考えたくもなる。

ついこないだ、「超」がつく一流企業に勤めていた友達二人が会社を
やめた。二人共俺と同い年で、定年まであと十数年を残して。
一人はその後関連企業に契約社員として入社し、責任の重さや様々
な会社や人間関係の縛りから解き放たれ、今、伸び伸びと人生を謳
歌している。
もう一人は、以前からやりたかったという福祉関係の仕事に7月から就く。
この友達も、最近の電話で以前と見違えるほどの元気な声を発してい
た。

二人に共通していた退職理由は、「今自分のやりたいことをやらずにい
つするんや」ということやった。至極単純な理屈やけど、大多数の人は
理屈は納得できても現状が許さないという事情があって、それができな
い。


でも、この二人も世間一般のサラリーマン平均よりは高い給料をもらっ
てたみたいやけど、決して大金持ちという訳じゃない。まだ、家のローン
や教育費にも金がいる皆と同じ状況をかかえながら、それでも辞める決
心をしたのは、前述の「今自分の・・・」と「なんとかなるで」という気持ち
やったらしい。

もっと働きたいのにリストラに合って辞めざるを得なくなる人もまだまだ多
い世の中、贅沢な話やとか、甘い考えやとか、という向きは多いやろう。
事実、俺もそう思ってた。

でもいくら気をつけていても、自分がいつまで心身共に健康でいられるか
なんて、分らない。「退屈」という文字が辞書にない俺にとって、自由な
時間というのは、のどから手がでるくらい大切なもの。先輩方の病気を
きっかけにして申し訳ないが、今はその友達みたいな生き方もええなぁ、
思っている。

何にもしばられないことが自由や
とは思わんけど、今彼らに、「お前の考
え方のほうが甘いんとちゃうか」と言われるのが一
番怖いわ。