今さら18日のことを記事化してすみません。
今月18日の朝は、マイカーで、熊山駅に向かった。
熊山駅からは、7時34分発の1303M列車に乗車した。
その列車には、女性の車掌が乗務していた。
次の万富駅で、1303M列車から降りて、別の列車を待った。
万富からは、7時54分発の711M列車・三原行きに乗車した。
列車は、115系更新車の4両編成で、わたしは、先頭のクハ115-1081に乗車した。
列車は、終点まで各駅に停車した。
途中の瀬戸駅からは、多数の乗車があり、車内は混雑してきた。
岡山では、多くの乗客が入れ替わった。
わたしは、福山で下車した。
そして、福山駅前から、バスに乗るのだが、時間があったので、デジカメで、バスの写真と撮っていった。
福山駅前に発着するバスは、中国バスと鞆鉄道だが、どちらも標準色のほか、カラフルな広告車体のバスも走っていた。
また、一部のバスは、将来の模型製作を想定して、後部なども撮影した。
そのあと、10時発の中国バス・向陽団地線に乗車した。
そして、北吉津住宅停留所で降りて、少し歩いた。
その日は、福山時計自動車博物館に行ったのである。
T型フォードやダットサン、初代クラウン、スバル360やミニカ、マツダ360クーペ、マークⅡバンやオート三輪など、昔の車が多数保存展示されている。
また、時計も、昔の柱時計を中心にいろいろ展示されていた。
時計自動車博物館を観たあとは、バス停に戻ったが、バスが来るまで時間があった。
そこで、近くのスーパーマーケットの中にあったハンバーガーショップで時間をつぶしたが、まだ時間があったので、結局、福山駅まで歩いて戻った。
福山駅に戻ると、昼食をとり、そのあと、福山城へ行った。
入館料を払って、天守閣に入った。
天守閣には、兜や鎧や刀、掛け軸のほか、福山で出土した土器や瓦の破片なども展示されていた。
天守閣の一番上は、展望台になっていて、眺めが良かった。
そのあと、福山駅へ戻り、駅前のバス乗り場へ行った。
某鉄道模型店へ行くため、そこから、引野口行きのバスに乗るのだが、時間があったので、バスの撮影をして楽しんだ。
そのあと、14時35分発の中国バス・引野口行きに乗車した。
バスは、福山市手城地区を通り、引野口へ向かった。
ほとんどの乗客が手城地区で降りて、終点まで乗ったのは、わたし1人だけだった。
バスを降りると、鉄道模型店を目指して、しばらく歩いた。
店に着くと、不要になったものを買い取っていただき、欲しかったものを購入した。
そのあと、バス停に向かって歩いた。
引野口バス停の時刻表を見ると、バスが来るまで時間があったので、バスが通った道を歩き、手城地区を通り抜け、手城入口バス停まで歩いた。
手城入口から福山駅行きのバスに乗ったが、バスは遅れていた。
福山駅で下車すると、急いで駅舎へ行き、キップを買い、ホームに向かった。
乗車予定の列車には、なんとか間に合った。
福山から乗車した列車は、3728M・快速「サンライナー」・岡山行きである。
列車は、117系の4両編成で、黄色の車両の編成だった。わたしが乗車したのは、最後尾のクハ116-11だった。
列車は、ワンマン運転である。
「サンライナー」は、福山を出ると、笠岡、新倉敷、倉敷の順に停車した。
わたしは、倉敷で下車して、伯備線ホームに行き、858M・姫路行きを待った。
その列車は、岡山で、列車番号が1330Mに変わり、姫路に直通する。
列車は、黄色の115系だった。わたしが乗車した車両は、最後尾のクハ115-1219だった。
列車は、中庄、庭瀬、北長瀬、岡山の順に各駅に停車した。
岡山からは、多数の乗車があり、車内が混雑した。
そのあとも、列車は、各駅に停車した。
熊山に止まると、下車して、マイカーで帰宅した。
こうして、某鉄道模型店へ行くのが目的の外出を無事に終えることができた。