今さら8月のことを記事化してすみません。
8月6日は、仕事が公休だった。
そこで、18きっぷを持って、マイカーで熊山駅へ向かった。
熊山駅からは、6時41分発の1300M列車・姫路行きに乗った。
従来、そのスジの列車は、115系のA編成で運転されていたが、いつの間にか、113系に置き換わっていた。
わたしが乗った車両は、最後尾の車両で、クハ111だった。
列車は、各駅に停車した。
三石を出発すると、まもなく、県境の船坂トンネルに入った。
そのとき、車掌が巡回に来たので、18きっぷにスタンプを押してもらった。
熊山駅の駅員がいる時間が短縮され、早朝は無人になったからである。
列車が、船坂トンネルを出ると、兵庫県である。
そして、しばらく走ると、上郡駅に停車した。
上郡を出発すると、有年、相生の順に停車した。
相生駅では、多数の乗客が入れ替わった。
相生駅を出発後は、竜野、網干、はりま勝原、英賀保の順に停車し、そして、終点の姫路駅に到着した。
姫路からは、8時9分発の新快速に乗り換えた。
新快速電車は、姫路駅を出発すると、加古川、西明石、明石、神戸、三ノ宮、芦屋、尼崎、大阪の順に停車した。
大阪駅に停車すると、下車して、大阪環状線のホームへ向かった。
大阪からは、9時40分発の4131M・紀州路快速・和歌山行きに乗った。
紀州路快速は4両編成だが、途中の日根野までは、前寄りに4両編成の関空快速を併結して運転された。
また、日根野で関空快速との連結を切り離した後は、乗務員の交代があり、日根野から和歌山までは、女性の車掌が乗務していた。
紀州路快速は、日根野駅出発後は、各駅に停車した。
列車番号は、4531Hに変わった。
11時9分、紀州路快速は、終点の和歌山駅に到着した。
和歌山駅で降りた後は、いったん改札の外に出て、地下街のそば屋で昼食をとった。
そのあと、和歌山電鐵の入口へ行き、一日乗車券を買って、ホームに入った。
予定よりも早く和歌山電鐵の乗り場に入ったので、停車していたいちご電車を見送った後、絵手紙電車に乗った(時刻は失念)。
外見は、普通の電車だが、車内には、絵手紙が多数展示されていた。
絵手紙電車が、和歌山駅を出発すると、各駅に停車した。
途中の大池遊園に止まると、下車して、線路沿いを少し歩いて、大池遊園と西山口との間の撮影地へ行った。
そこでは、小さな畑の向こうを走る電車の姿を撮影するのにもってこいの場所で、わたしは、昨年の8月に初めて訪れている。
その日は、まずはじめに、和歌山行きの絵手紙電車を撮影した。
その次には、貴志行きのうめぼし電車が通過する。
しかし、そのとき、予想外の事態になった。
YAHOOの天気予報では、晴れ時々曇りのはずだった(予報では雨の「あ」の字すらなかった)のに、空の色が真夏の昼とは思えないグレーに変わり薄暗くなった。
そして、大雨が降った。
貴志行きのうめぼし電車が通ったときは、傘をさして、なんとか撮影した。
雨もしばらくすればやむだろうと思った。
しかし、そうはいかなかった。
雨がますます激しくなってきた。
現地付近では、何人かの中学生や高校生の人たちが、ずぶぬれになりながら、慌てて大池遊園駅に駆け込んでいた。
彼らも、その日、雨が降るなんて、夢にも思っていなかったのであろう。
わたしは、上述のうめぼし電車を撮影後、その場所での撮影を中止し、急いで駅に戻った。
そして、和歌山行きの電車に乗った。
うめぼし電車である。
内装も良かったが、あまり楽しんでいる余裕はなかった。
だが、そのまますぐに帰るのも面白くないので、途中の伊太祈曽で下車した。
しかし、雨はやむ気配はまったくなかった。
それでも、駅の外に出て、駅前付近のある店で、ジェラートを食べて休憩し、車両基地に止まっているたま電車を撮影した。
そのあと、いちご電車の和歌山行きに乗り、和歌山で下車した。
そして、改札の外に出ると、カフェでコーヒーを飲みながら休憩をした。
休憩後は、上りの紀州路快速に乗車した。
途中の日根野から、関空快速と併結した。
大阪に止まると、下車して、下りの新快速に乗り換えた。
姫路駅で新快速を降りると、駅弁を買って、19時04分発の1335M・岡山行きを待った。
1335M列車に乗車後、駅弁を食した。
1335M列車は、姫路駅を出発後、英賀保、はりま勝原、網干、竜野、相生、有年、上郡の順に停車した。
上郡を出発すると、船坂峠を通り、船坂トンネルを抜けて、岡山県に入った。
それからまもなく、三石駅に停車した。
そのあとは、吉永、和気、熊山の順に停車した。
熊山に停車すると、下車して、マイカーで帰宅した。
こうして、和歌山電鐵撮影目的の外出を終えた。
予想外の雨で、撮影を途中で止めざるを得なくなったのが残念である。
来年も、再度行きたいと思う。
8月6日は、仕事が公休だった。
そこで、18きっぷを持って、マイカーで熊山駅へ向かった。
熊山駅からは、6時41分発の1300M列車・姫路行きに乗った。
従来、そのスジの列車は、115系のA編成で運転されていたが、いつの間にか、113系に置き換わっていた。
わたしが乗った車両は、最後尾の車両で、クハ111だった。
列車は、各駅に停車した。
三石を出発すると、まもなく、県境の船坂トンネルに入った。
そのとき、車掌が巡回に来たので、18きっぷにスタンプを押してもらった。
熊山駅の駅員がいる時間が短縮され、早朝は無人になったからである。
列車が、船坂トンネルを出ると、兵庫県である。
そして、しばらく走ると、上郡駅に停車した。
上郡を出発すると、有年、相生の順に停車した。
相生駅では、多数の乗客が入れ替わった。
相生駅を出発後は、竜野、網干、はりま勝原、英賀保の順に停車し、そして、終点の姫路駅に到着した。
姫路からは、8時9分発の新快速に乗り換えた。
新快速電車は、姫路駅を出発すると、加古川、西明石、明石、神戸、三ノ宮、芦屋、尼崎、大阪の順に停車した。
大阪駅に停車すると、下車して、大阪環状線のホームへ向かった。
大阪からは、9時40分発の4131M・紀州路快速・和歌山行きに乗った。
紀州路快速は4両編成だが、途中の日根野までは、前寄りに4両編成の関空快速を併結して運転された。
また、日根野で関空快速との連結を切り離した後は、乗務員の交代があり、日根野から和歌山までは、女性の車掌が乗務していた。
紀州路快速は、日根野駅出発後は、各駅に停車した。
列車番号は、4531Hに変わった。
11時9分、紀州路快速は、終点の和歌山駅に到着した。
和歌山駅で降りた後は、いったん改札の外に出て、地下街のそば屋で昼食をとった。
そのあと、和歌山電鐵の入口へ行き、一日乗車券を買って、ホームに入った。
予定よりも早く和歌山電鐵の乗り場に入ったので、停車していたいちご電車を見送った後、絵手紙電車に乗った(時刻は失念)。
外見は、普通の電車だが、車内には、絵手紙が多数展示されていた。
絵手紙電車が、和歌山駅を出発すると、各駅に停車した。
途中の大池遊園に止まると、下車して、線路沿いを少し歩いて、大池遊園と西山口との間の撮影地へ行った。
そこでは、小さな畑の向こうを走る電車の姿を撮影するのにもってこいの場所で、わたしは、昨年の8月に初めて訪れている。
その日は、まずはじめに、和歌山行きの絵手紙電車を撮影した。
その次には、貴志行きのうめぼし電車が通過する。
しかし、そのとき、予想外の事態になった。
YAHOOの天気予報では、晴れ時々曇りのはずだった(予報では雨の「あ」の字すらなかった)のに、空の色が真夏の昼とは思えないグレーに変わり薄暗くなった。
そして、大雨が降った。
貴志行きのうめぼし電車が通ったときは、傘をさして、なんとか撮影した。
雨もしばらくすればやむだろうと思った。
しかし、そうはいかなかった。
雨がますます激しくなってきた。
現地付近では、何人かの中学生や高校生の人たちが、ずぶぬれになりながら、慌てて大池遊園駅に駆け込んでいた。
彼らも、その日、雨が降るなんて、夢にも思っていなかったのであろう。
わたしは、上述のうめぼし電車を撮影後、その場所での撮影を中止し、急いで駅に戻った。
そして、和歌山行きの電車に乗った。
うめぼし電車である。
内装も良かったが、あまり楽しんでいる余裕はなかった。
だが、そのまますぐに帰るのも面白くないので、途中の伊太祈曽で下車した。
しかし、雨はやむ気配はまったくなかった。
それでも、駅の外に出て、駅前付近のある店で、ジェラートを食べて休憩し、車両基地に止まっているたま電車を撮影した。
そのあと、いちご電車の和歌山行きに乗り、和歌山で下車した。
そして、改札の外に出ると、カフェでコーヒーを飲みながら休憩をした。
休憩後は、上りの紀州路快速に乗車した。
途中の日根野から、関空快速と併結した。
大阪に止まると、下車して、下りの新快速に乗り換えた。
姫路駅で新快速を降りると、駅弁を買って、19時04分発の1335M・岡山行きを待った。
1335M列車に乗車後、駅弁を食した。
1335M列車は、姫路駅を出発後、英賀保、はりま勝原、網干、竜野、相生、有年、上郡の順に停車した。
上郡を出発すると、船坂峠を通り、船坂トンネルを抜けて、岡山県に入った。
それからまもなく、三石駅に停車した。
そのあとは、吉永、和気、熊山の順に停車した。
熊山に停車すると、下車して、マイカーで帰宅した。
こうして、和歌山電鐵撮影目的の外出を終えた。
予想外の雨で、撮影を途中で止めざるを得なくなったのが残念である。
来年も、再度行きたいと思う。