2019年11月2日、京都・奈良の最終日は新幹線の発車
までの時間、京都市内の太秦、三十三間堂周辺を歩くこと
にしました。
最初はバスで太秦に行き、蚕の社を訪れました。正しくは
木嶋坐天照御魂(このしまにますあまてるみたま)神社と
いいます。境内に蚕の神を祀る摂社の蚕養(こかい)神社
あることから蚕の社と呼ばれています。
拝殿です。
この神社が注目を集めるのは、この変わった三柱鳥居が
あるからです。枯れた池の中に立っていました。酒造メーカー
のサントリーとも何か関係があるのかな、というのは私の
勝手なこじ付けです!?
蚕の社から歩いて広隆寺に行きました。広隆寺は、渡来人系
の氏族である秦氏の氏寺です。写真は、その楼門(南大門)
で、三条通りに面し、前を嵐電の路面電車が走っていました。
講堂(重文)です。
上宮王院太子殿(本堂)で、本尊は聖徳太子立像。
霊宝殿に行く途中で掲示されていた十善戒。一つ一つ
が得心のいくことばかりですね。
霊宝殿です。ここに国宝第一号の木造弥勒菩薩半跏像
(宝冠弥勒)や同じく国宝の木造弥勒菩薩半跏像(宝髻弥勒、
泣き弥勒) が安置されていました。その外にも国宝、重文
がいっぱいでした。
広隆寺の後、バス・電車を乗り継いで七条へ行き、
三十三間堂周辺を見て回りました。最初は養源院
でした。淀殿が創建、お江が再建。
本堂。俵屋宗達の唐獅子や象などの杉戸絵(重文)、
廊下天井の伏見城ゆかりの血天井などがありました。
次に真言宗智山派の総本山智積院に行きました。東大路通
を挟んで三十三間堂とは反対側。生垣の上に、何やら狛犬
らしきものが…
ここから中に入りました。
受付を済ませ、境内に入った所の講堂です。
庭園。
講堂の襖絵。
大書院に面した庭園。名勝指定されてます。
石庭もありました。
1975年再建の金堂。
不動明王が本尊の明王殿。
智積院を出て次の妙法院に向かって東大路通を歩いて
行くと出てきた(智積院)総門。
妙法院に着きました。天台宗の門跡寺院。天台三門跡の
一つで、後白河法皇や豊臣秀吉ゆかりの寺院としても
知られています。
国宝の庫裏。桃山時代の築造。
境内では紅葉が始まっていました。
本堂として使われている普賢堂。本尊の木造普賢菩薩騎象像
は重文。
こちらも重文の玄関。
妙法院の後、東大路通反対側(三十三間堂側)の方広寺へ
行きました。豊臣秀吉がいまは無き大仏を安置するため
に創建。写真はその本堂。
豊臣家滅亡のきっかけとなった梵鐘(重文)。撞木(しゅもく、
撞き棒)の斜め左に、「国家安康」「君臣豊楽」の銘が。
とにかく大きな鐘でした!
鐘楼の天井画。これも珍しいですね。
隣接する豊国神社の唐門(国宝)。
最後、鴨川を撮って(実際にカモが泳いでいました)今回の
京都・奈良の旅を終わりにしました。
京都・奈良、建物の外観などの紹介が主になってしまいまし
たが、実際は内部の国宝や重文の像や絵などをたくさん見て
きました。覚えきれるかちょっと不安ですが、今後そうしたもの
に目を触れる機会があったとき、思い起こすことができれば
いいな、と思っています。
までの時間、京都市内の太秦、三十三間堂周辺を歩くこと
にしました。
最初はバスで太秦に行き、蚕の社を訪れました。正しくは
木嶋坐天照御魂(このしまにますあまてるみたま)神社と
いいます。境内に蚕の神を祀る摂社の蚕養(こかい)神社
あることから蚕の社と呼ばれています。
拝殿です。
この神社が注目を集めるのは、この変わった三柱鳥居が
あるからです。枯れた池の中に立っていました。酒造メーカー
のサントリーとも何か関係があるのかな、というのは私の
勝手なこじ付けです!?
蚕の社から歩いて広隆寺に行きました。広隆寺は、渡来人系
の氏族である秦氏の氏寺です。写真は、その楼門(南大門)
で、三条通りに面し、前を嵐電の路面電車が走っていました。
講堂(重文)です。
上宮王院太子殿(本堂)で、本尊は聖徳太子立像。
霊宝殿に行く途中で掲示されていた十善戒。一つ一つ
が得心のいくことばかりですね。
霊宝殿です。ここに国宝第一号の木造弥勒菩薩半跏像
(宝冠弥勒)や同じく国宝の木造弥勒菩薩半跏像(宝髻弥勒、
泣き弥勒) が安置されていました。その外にも国宝、重文
がいっぱいでした。
広隆寺の後、バス・電車を乗り継いで七条へ行き、
三十三間堂周辺を見て回りました。最初は養源院
でした。淀殿が創建、お江が再建。
本堂。俵屋宗達の唐獅子や象などの杉戸絵(重文)、
廊下天井の伏見城ゆかりの血天井などがありました。
次に真言宗智山派の総本山智積院に行きました。東大路通
を挟んで三十三間堂とは反対側。生垣の上に、何やら狛犬
らしきものが…
ここから中に入りました。
受付を済ませ、境内に入った所の講堂です。
庭園。
講堂の襖絵。
大書院に面した庭園。名勝指定されてます。
石庭もありました。
1975年再建の金堂。
不動明王が本尊の明王殿。
智積院を出て次の妙法院に向かって東大路通を歩いて
行くと出てきた(智積院)総門。
妙法院に着きました。天台宗の門跡寺院。天台三門跡の
一つで、後白河法皇や豊臣秀吉ゆかりの寺院としても
知られています。
国宝の庫裏。桃山時代の築造。
境内では紅葉が始まっていました。
本堂として使われている普賢堂。本尊の木造普賢菩薩騎象像
は重文。
こちらも重文の玄関。
妙法院の後、東大路通反対側(三十三間堂側)の方広寺へ
行きました。豊臣秀吉がいまは無き大仏を安置するため
に創建。写真はその本堂。
豊臣家滅亡のきっかけとなった梵鐘(重文)。撞木(しゅもく、
撞き棒)の斜め左に、「国家安康」「君臣豊楽」の銘が。
とにかく大きな鐘でした!
鐘楼の天井画。これも珍しいですね。
隣接する豊国神社の唐門(国宝)。
最後、鴨川を撮って(実際にカモが泳いでいました)今回の
京都・奈良の旅を終わりにしました。
京都・奈良、建物の外観などの紹介が主になってしまいまし
たが、実際は内部の国宝や重文の像や絵などをたくさん見て
きました。覚えきれるかちょっと不安ですが、今後そうしたもの
に目を触れる機会があったとき、思い起こすことができれば
いいな、と思っています。
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