2014年5月29日から31日までの3日間、山口県周辺の
主要地を旅してきました。最初に津和野、次に萩、下関、
岩国、宮島の順で巡ってきました。
羽田を飛び立って着いた所は、萩・石見空港でした。ここが、
今回の出発点です。日に何便もないローカルな空港でした。
最初の訪問地は、今まで行ってみたいと思い続けていた
山陰の小京都、津和野町でした。写真は、殿町という古い
建物が並ぶ所で、右の白壁の建物は養老館跡です。
養老館左を歩いて行くと大岡家老門が出てきました。現在
は、町役場として使われています。
養老館側の掘割には、鯉がたくさん泳いでいました。
養老館を右に行くと、川のたもとにさぎ舞のブロンズ像が
ありました。
町並みの一角には、こんなカトリック教会も建っていました。
殿町から少し離れた所に、森鴎外の旧宅がありました。
鴎外が子供の頃住んだ家です。
鴎外の家の前から山の上を見たら四角いものが見えまし
た。津和野城の跡でした。最近はやりの竹田城と同じような
天空の城ですね。
津和野を後に、萩へ行きました。最初に訪れたのは
松陰神社でした。
鳥居をくぐって行くと、あの有名な松下村塾がありました。
右側の広い座敷で講義したそうです。
すぐ先にあった松陰幽囚の旧宅です。裏側から見ています。
洋行に失敗した後、ここに蟄居させられたみたいです。
ここまでで、1日目は終わりです。
2日目は、最初に萩焼の工房を見学しました。萩焼の大きな
土産店に併設されていました。
続いて、萩城下町の見学に行ったのですが、バスの駐車場
傍にあった建物です。人力車立場の看板がありました。
人力車に乗って観光できるみたいです。さすが萩だと思い
ました。
木戸孝允旧宅です。誕生地の石碑が立っていました。道の
奥から歩いてきました。
萩では、家計の足しにしたのでしょう、明治時代から夏みかん
がよく栽培されるようになったそうです。あちこちの塀の上に
見られました。今が食べ頃だそうです。
これは最初に道を左に曲がり、次の道の角にある菊屋という
藩の御用商人を務めた大富豪の家です。道をずうっと行った
先の横道に突き当たる所までがこの家の敷地です。びっくり
しますね。
道を曲がらず、そのまま行った反対側の角。この道には、
菊屋横丁という名が付けられていました。
菊屋横丁に面した菊屋の一画に窪地がありました。ここに
田中義一(昭和初めの第26代首相)を住まわせたそうです。
反対側の近くにあった高杉晋作誕生地。
菊屋横丁の終わりの所は晋作広場になっていて、そこに
高杉晋作立志像が立っていました。
萩から下関に向かったのですが、途中で日本最大級の
カルスト台地秋吉台に寄りました。随分広いのに驚き
ました。大勢の修学旅行生が訪れていました。残念な
がら秋芳洞は見ていません。
アキヨシアザミ。展望台近くにいっぱい咲いていました。
下関では、最初に唐戸市場・カモンワーフ(レストラン街)
に行きました。そこには、鯉のぼりならぬふぐのぼりが
風になびいていました。なお当地では、フグではなくフク
というそうです。
市場の建物の中に入ったら、大きなフクの張りぼてが目に
入ってきました。
2階の通路から下の市場を撮りました。中央の人が集まって
いる所で、寿司を並べて売っていました。客は自分の好きな
だけ取って料金を払う仕組みになっていました。
2階のベランダから関門海峡を撮りました。関門橋の行った
先(右端)が門司です。
下へ下りた海岸沿いの道路脇には、フクのせりを模した像
が設えてありました。
唐戸市場の海岸とは反対側にあった亀山八幡宮。予定に
は入ってなかったのですが、時間があったので見学して
きました。関の氏神です。
境内には大きなふくの像がありました。世界一のふくの像
だそうです。
唐戸市場の次に、すぐ近くにある赤間神宮に行ったのです
が、手前に日清戦争の講和条約締結会場の史蹟春帆楼
(中央)と日清講和記念館(右)がありました。ここで伊藤博文
がフク解禁令を出したそうです。
すぐ隣の赤間神宮の水天門です。赤間神社は、壇ノ浦の
戦いで入水した安徳天皇を祀った神社です。
本殿の脇には、耳なし芳一の芳一堂がありました。
さらにその脇の七盛塚。平家一門が眠っています。芳一堂
も、この七盛塚も霊感スポットの雰囲気を醸し出していま
した。なお、左側の塀の下が安徳天皇の墓所だそうです。
赤間神宮を抜けて隣の日清講和記念館へ行く途中にも、
フクの像がありました。ふくの碑と表示されていました。
これは講和の清側代表の李鴻章が通った道で、そのまま
李鴻章道と名付けられていました。
下関の三番目の訪問地は、城下町長府でした。写真はその
城下町見学の道沿いに流れる壇具川で見かけたカモたち。
道端に咲いていた卯の花。うの花の匂う垣根に~♪の
卯の花です。
菅原道真御影の井戸。道真が大宰府に流される途中に
寄って自分の顔を映した井戸といわれています。右の
穴みたいな所が井戸です。
通りで見かけた竹矢来の生垣。めずらしいと思いました。
これは、功山寺へ向かう道筋の土塀。中に埋め込まれた
のか、自然に伸びたのか、根が張っていました。
功山寺仏殿。国宝です。二重櫓造りの山門は工事中で
見られませんでした。残念!! なお、功山寺は高杉晋作
が挙兵した寺です。
高杉晋作回天義挙の像。勇ましいですね。
これは功山寺裏側に当たる所の長府毛利邸。大きな屋敷で
した。
さらに城下町を歩きました。これは、古江小路。土壁の塀
がなんともいえない雰囲気を感じさせます。
古江小路沿いの菅家長屋門。
古江小路を曲がって、さらに曲がって行った先の乃木神社。
乃木神社から曲がり角に戻る途中にあった横道。横枕小路
というらしいです。これも雰囲気がありますねー。
曲がり角を反対側に曲がって行った所の忌宮神社。
本殿手前に石鬼と書かれた囲いがありました。昔戦った
敵方の頭目の首を葬った跡らしいです。
二日目はここで終わりでした。
三日目の最終日は、最初に壇ノ浦を見下ろす火の山公園
に行きました。火の山は、狼煙台が置かれた場所を意味
します。門司側のタンクが並んでいる所に、平家軍が陣を
敷いたそうです。源平の最終戦が目の前の海域で行われ
ました。軍鼓の響きが、いまにも聞こえてきそうですね。
下関を後にし、岩国にきました。写真は、岩国で最初に
見学をした「うまもん」という漬物屋さんの建物。木造三階
建てで、江戸末期の築造だそうです。以前は醤油屋さんが
入っていました。
うまもんの次は錦帯橋でした。岩国で、すぐ頭に浮かぶ
のはこの錦帯橋ですね。
錦帯橋は、有料(往復300円)で渡ることができます。アーチ
のトップを過ぎると少しずつ段差がついてきて、歩くのに
気を付けないと躓いてしまいます。
右手の上流側の景色。丁度、橋の中央辺りで撮りました。
川の真ん中に浮かぶのは、遊覧船。左の岸辺に繋がれて
いるのは、鵜飼をする船みたいです。
錦帯橋の橋げたは舟形になっています。川の流れに対し
て船の舳先状に尖っていました。
渡り切った先は、公園や史跡になっていました。橋を渡って
真直ぐにきた所の銅像は吉川広重(元春三男)、山の上には
岩国城が見えます。
銅像右の道沿いには、香川家長屋門がありました。
そのまま真直ぐきた所は、吉香公園になっていました。
城の城壁を模したような大噴水が、高く水を噴き上げ、
周りで子供たちが遊んでいました。
これは噴水右の旧目加田家住宅。国の重文に指定されて
います。
公園が尽きた所を右に曲がると、岩国美術館が目に入って
きました。岩国らしく歴史を感じさせる建物に仕上がって
いました。時間がなかったので、中は観ていません。
これは、さきほどの目加田家を裏側から見たもの。中々
風情がありますね。
目加田家を過ぎると、白蛇観覧所があって、100円払って
中へ入りました。中央の木の上にとまっているのは置き物、
右のガラスケースに入っているのは、小さいですけど本物で
した。岩国は、白蛇が生息する特異な土地みたいです。
これは、白蛇の抜け殻で寿の字をあしらったもの。館内に
掲げられていました。
さらに進むと、吉川家を祀る吉香神社に突き当たりました。
吉香神社を戻り、その前の濠を左に曲がって歩くと、
錦雲閣が周りに溶け込み、味わい深く佇んでいました。
錦雲閣とは、吉香神社の絵馬堂です。
濠の先は、吉香菖蒲園になっていました。
濠が行き着いた所に、佐々木小次郎の像がありました。他
の人が写真を撮るちょっとの合間を縫って、撮ってきました。
錦帯橋を戻ってきて、下流側に少し下りた所から撮りまし
た。下流の川原が駐車場になっていました。
岩国を出て、広島へやってきました。これから向かう最後の
訪問地・宮島を、フェリーの上から撮りました。フェリーが
盛んに行き交っていました。中央辺りに、赤い大鳥居が写っ
ているのですが、分かりますか?
宮島に渡り、大鳥居が見える所まできました。引き潮で陸地
が現れ、傍まで歩いて行くことができました。潮干狩り会場
みたいですね。
大鳥居を行き過ぎ、見上げて順光で撮りました。
戻る途中で厳島神社を正面から撮りました。本来は、海面に
船を浮かべなくては撮れないシーンですね。
これも斜めから全体撮影しました。
厳島神社社殿の入口を入ったすぐの所。左は客殿。回廊が
真直ぐ延び、ここを歩いて行きました。
回廊を右回りに巡って本殿前まできました。本殿及びその
前の高舞台は国宝指定です。写真を撮っている所の平舞台
も国宝ですね。
身体を左に向け、歩いてきた回廊を撮りました。真ん中が
客神社(客殿)、その後に五重塔が見えます。
本殿です。撮っていいのか迷いましたが、撮ってしまいま
した。
本殿を右に進むと能舞台(重文)が見えました。
回廊を曲がって進み、出口へ直進する所で、見学者が何か
騒いでいました。何かと思ったらヘビがいたのです。神の
化身かと思いましたが、アオダイショウみたいです。この後、
傍の石垣のすき間に入って行ってしまいました。
厳島神社出口です。
最後は、岩国へ戻って岩国錦帯橋空港から飛び立ちました。
同空港は米軍と共用していて、そのためか、乗り込んでから、
滑走路まで随分と長い距離を移動しました。
今回の旅行、振り返ってみれば、随分たくさんの所を見学
しています。見どころはいっぱいあって、ほんのさわり程度
になってしまったかもしれませんが、いつの日か一カ所毎
に細かく観て回れたらいいなと思っています。
主要地を旅してきました。最初に津和野、次に萩、下関、
岩国、宮島の順で巡ってきました。
羽田を飛び立って着いた所は、萩・石見空港でした。ここが、
今回の出発点です。日に何便もないローカルな空港でした。
最初の訪問地は、今まで行ってみたいと思い続けていた
山陰の小京都、津和野町でした。写真は、殿町という古い
建物が並ぶ所で、右の白壁の建物は養老館跡です。
養老館左を歩いて行くと大岡家老門が出てきました。現在
は、町役場として使われています。
養老館側の掘割には、鯉がたくさん泳いでいました。
養老館を右に行くと、川のたもとにさぎ舞のブロンズ像が
ありました。
町並みの一角には、こんなカトリック教会も建っていました。
殿町から少し離れた所に、森鴎外の旧宅がありました。
鴎外が子供の頃住んだ家です。
鴎外の家の前から山の上を見たら四角いものが見えまし
た。津和野城の跡でした。最近はやりの竹田城と同じような
天空の城ですね。
津和野を後に、萩へ行きました。最初に訪れたのは
松陰神社でした。
鳥居をくぐって行くと、あの有名な松下村塾がありました。
右側の広い座敷で講義したそうです。
すぐ先にあった松陰幽囚の旧宅です。裏側から見ています。
洋行に失敗した後、ここに蟄居させられたみたいです。
ここまでで、1日目は終わりです。
2日目は、最初に萩焼の工房を見学しました。萩焼の大きな
土産店に併設されていました。
続いて、萩城下町の見学に行ったのですが、バスの駐車場
傍にあった建物です。人力車立場の看板がありました。
人力車に乗って観光できるみたいです。さすが萩だと思い
ました。
木戸孝允旧宅です。誕生地の石碑が立っていました。道の
奥から歩いてきました。
萩では、家計の足しにしたのでしょう、明治時代から夏みかん
がよく栽培されるようになったそうです。あちこちの塀の上に
見られました。今が食べ頃だそうです。
これは最初に道を左に曲がり、次の道の角にある菊屋という
藩の御用商人を務めた大富豪の家です。道をずうっと行った
先の横道に突き当たる所までがこの家の敷地です。びっくり
しますね。
道を曲がらず、そのまま行った反対側の角。この道には、
菊屋横丁という名が付けられていました。
菊屋横丁に面した菊屋の一画に窪地がありました。ここに
田中義一(昭和初めの第26代首相)を住まわせたそうです。
反対側の近くにあった高杉晋作誕生地。
菊屋横丁の終わりの所は晋作広場になっていて、そこに
高杉晋作立志像が立っていました。
萩から下関に向かったのですが、途中で日本最大級の
カルスト台地秋吉台に寄りました。随分広いのに驚き
ました。大勢の修学旅行生が訪れていました。残念な
がら秋芳洞は見ていません。
アキヨシアザミ。展望台近くにいっぱい咲いていました。
下関では、最初に唐戸市場・カモンワーフ(レストラン街)
に行きました。そこには、鯉のぼりならぬふぐのぼりが
風になびいていました。なお当地では、フグではなくフク
というそうです。
市場の建物の中に入ったら、大きなフクの張りぼてが目に
入ってきました。
2階の通路から下の市場を撮りました。中央の人が集まって
いる所で、寿司を並べて売っていました。客は自分の好きな
だけ取って料金を払う仕組みになっていました。
2階のベランダから関門海峡を撮りました。関門橋の行った
先(右端)が門司です。
下へ下りた海岸沿いの道路脇には、フクのせりを模した像
が設えてありました。
唐戸市場の海岸とは反対側にあった亀山八幡宮。予定に
は入ってなかったのですが、時間があったので見学して
きました。関の氏神です。
境内には大きなふくの像がありました。世界一のふくの像
だそうです。
唐戸市場の次に、すぐ近くにある赤間神宮に行ったのです
が、手前に日清戦争の講和条約締結会場の史蹟春帆楼
(中央)と日清講和記念館(右)がありました。ここで伊藤博文
がフク解禁令を出したそうです。
すぐ隣の赤間神宮の水天門です。赤間神社は、壇ノ浦の
戦いで入水した安徳天皇を祀った神社です。
本殿の脇には、耳なし芳一の芳一堂がありました。
さらにその脇の七盛塚。平家一門が眠っています。芳一堂
も、この七盛塚も霊感スポットの雰囲気を醸し出していま
した。なお、左側の塀の下が安徳天皇の墓所だそうです。
赤間神宮を抜けて隣の日清講和記念館へ行く途中にも、
フクの像がありました。ふくの碑と表示されていました。
これは講和の清側代表の李鴻章が通った道で、そのまま
李鴻章道と名付けられていました。
下関の三番目の訪問地は、城下町長府でした。写真はその
城下町見学の道沿いに流れる壇具川で見かけたカモたち。
道端に咲いていた卯の花。うの花の匂う垣根に~♪の
卯の花です。
菅原道真御影の井戸。道真が大宰府に流される途中に
寄って自分の顔を映した井戸といわれています。右の
穴みたいな所が井戸です。
通りで見かけた竹矢来の生垣。めずらしいと思いました。
これは、功山寺へ向かう道筋の土塀。中に埋め込まれた
のか、自然に伸びたのか、根が張っていました。
功山寺仏殿。国宝です。二重櫓造りの山門は工事中で
見られませんでした。残念!! なお、功山寺は高杉晋作
が挙兵した寺です。
高杉晋作回天義挙の像。勇ましいですね。
これは功山寺裏側に当たる所の長府毛利邸。大きな屋敷で
した。
さらに城下町を歩きました。これは、古江小路。土壁の塀
がなんともいえない雰囲気を感じさせます。
古江小路沿いの菅家長屋門。
古江小路を曲がって、さらに曲がって行った先の乃木神社。
乃木神社から曲がり角に戻る途中にあった横道。横枕小路
というらしいです。これも雰囲気がありますねー。
曲がり角を反対側に曲がって行った所の忌宮神社。
本殿手前に石鬼と書かれた囲いがありました。昔戦った
敵方の頭目の首を葬った跡らしいです。
二日目はここで終わりでした。
三日目の最終日は、最初に壇ノ浦を見下ろす火の山公園
に行きました。火の山は、狼煙台が置かれた場所を意味
します。門司側のタンクが並んでいる所に、平家軍が陣を
敷いたそうです。源平の最終戦が目の前の海域で行われ
ました。軍鼓の響きが、いまにも聞こえてきそうですね。
下関を後にし、岩国にきました。写真は、岩国で最初に
見学をした「うまもん」という漬物屋さんの建物。木造三階
建てで、江戸末期の築造だそうです。以前は醤油屋さんが
入っていました。
うまもんの次は錦帯橋でした。岩国で、すぐ頭に浮かぶ
のはこの錦帯橋ですね。
錦帯橋は、有料(往復300円)で渡ることができます。アーチ
のトップを過ぎると少しずつ段差がついてきて、歩くのに
気を付けないと躓いてしまいます。
右手の上流側の景色。丁度、橋の中央辺りで撮りました。
川の真ん中に浮かぶのは、遊覧船。左の岸辺に繋がれて
いるのは、鵜飼をする船みたいです。
錦帯橋の橋げたは舟形になっています。川の流れに対し
て船の舳先状に尖っていました。
渡り切った先は、公園や史跡になっていました。橋を渡って
真直ぐにきた所の銅像は吉川広重(元春三男)、山の上には
岩国城が見えます。
銅像右の道沿いには、香川家長屋門がありました。
そのまま真直ぐきた所は、吉香公園になっていました。
城の城壁を模したような大噴水が、高く水を噴き上げ、
周りで子供たちが遊んでいました。
これは噴水右の旧目加田家住宅。国の重文に指定されて
います。
公園が尽きた所を右に曲がると、岩国美術館が目に入って
きました。岩国らしく歴史を感じさせる建物に仕上がって
いました。時間がなかったので、中は観ていません。
これは、さきほどの目加田家を裏側から見たもの。中々
風情がありますね。
目加田家を過ぎると、白蛇観覧所があって、100円払って
中へ入りました。中央の木の上にとまっているのは置き物、
右のガラスケースに入っているのは、小さいですけど本物で
した。岩国は、白蛇が生息する特異な土地みたいです。
これは、白蛇の抜け殻で寿の字をあしらったもの。館内に
掲げられていました。
さらに進むと、吉川家を祀る吉香神社に突き当たりました。
吉香神社を戻り、その前の濠を左に曲がって歩くと、
錦雲閣が周りに溶け込み、味わい深く佇んでいました。
錦雲閣とは、吉香神社の絵馬堂です。
濠の先は、吉香菖蒲園になっていました。
濠が行き着いた所に、佐々木小次郎の像がありました。他
の人が写真を撮るちょっとの合間を縫って、撮ってきました。
錦帯橋を戻ってきて、下流側に少し下りた所から撮りまし
た。下流の川原が駐車場になっていました。
岩国を出て、広島へやってきました。これから向かう最後の
訪問地・宮島を、フェリーの上から撮りました。フェリーが
盛んに行き交っていました。中央辺りに、赤い大鳥居が写っ
ているのですが、分かりますか?
宮島に渡り、大鳥居が見える所まできました。引き潮で陸地
が現れ、傍まで歩いて行くことができました。潮干狩り会場
みたいですね。
大鳥居を行き過ぎ、見上げて順光で撮りました。
戻る途中で厳島神社を正面から撮りました。本来は、海面に
船を浮かべなくては撮れないシーンですね。
これも斜めから全体撮影しました。
厳島神社社殿の入口を入ったすぐの所。左は客殿。回廊が
真直ぐ延び、ここを歩いて行きました。
回廊を右回りに巡って本殿前まできました。本殿及びその
前の高舞台は国宝指定です。写真を撮っている所の平舞台
も国宝ですね。
身体を左に向け、歩いてきた回廊を撮りました。真ん中が
客神社(客殿)、その後に五重塔が見えます。
本殿です。撮っていいのか迷いましたが、撮ってしまいま
した。
本殿を右に進むと能舞台(重文)が見えました。
回廊を曲がって進み、出口へ直進する所で、見学者が何か
騒いでいました。何かと思ったらヘビがいたのです。神の
化身かと思いましたが、アオダイショウみたいです。この後、
傍の石垣のすき間に入って行ってしまいました。
厳島神社出口です。
最後は、岩国へ戻って岩国錦帯橋空港から飛び立ちました。
同空港は米軍と共用していて、そのためか、乗り込んでから、
滑走路まで随分と長い距離を移動しました。
今回の旅行、振り返ってみれば、随分たくさんの所を見学
しています。見どころはいっぱいあって、ほんのさわり程度
になってしまったかもしれませんが、いつの日か一カ所毎
に細かく観て回れたらいいなと思っています。
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