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古い書物を整理したらわが家の「記録帳」が出てきました。
昭和16年1月から祖父(幾之助)が記帳したもので74年前のもので、表面ははげ落ちたところもありますが、中は和紙でしっかりしています。
そこには、長女の正月祝い(昭和16年)を誰からいくらもらったか細かく書かれています。
父(一郎)が昭和16年7月に32歳で招集を受け、その時に頂いた選別には竹木場校区など80人からの名前が記入されています。
毎年の農業収入も品目ごとに米だけでなく、麦、蚕、薪代、ランキョ代など細かく記入されています。
赤字だったり、黒字だったりと当時の農業も大変だった様子が垣間見えます。
だからでしょうか、昭和3年から「養鶏」を始めたことも書いてあります。
新しい農業を模索していたのではないでしょうか。
母が終戦直後の昭和21年に入院していたことは知りませんでした。
兄が東京に就職するときの「選別」も書いてあります。
幾之助お祖父ちゃんは63歳(昭和15年)の時に日光、伊勢、京都などに旅をしていたようです。その時のお寺の朱印も押されています。
これを見ますと、浦田家の歴史を少しでも知ることができます。
ご先祖様に合掌。
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