フルール・ダンテルディ

管理人の日常から萌えまで、風の吹くまま気の向くまま

仕事人生右下がりの始まり

2020年04月07日 | オーバー50からの婚活覚え書き
 48歳のとき、私が担当していた大企業でコンビを組んでいた営業課長が他の営業部門へ異動となり、その部門から入れ替わりに新課長が異動してきた。これがケチの付き始めだった。その男性は、元の部署で「仕事しない」と評判だったからだ。
 案の定、他部門に来たのが不満だったのか、異動1か月で「うつ病」の診断書を出して休職してしまった。営業の人数はギリギリどころか足りないくらいなので、他の営業が担当する余裕はない。そこで、企業訪問、交渉は部長、私は通常の事務に加え、データ送信システム変更対応、パンフレット作成、その他もろもろの通常は営業が担当する業務を引き受けざるを得なかった。悪いことに、前課長の異動のタイミングで募集方法や給与控除システムの変更もあったのだが、その引継ぎが新営業にも私にもされないままだったのだ。
 そのため、当然思いもよらなかったミスが連発、その尻拭いに追われながら、訳のわからない仕事を東京の知り合いの営業に聞いたり、本社のシステム部や保全部門に聞きながら、残業残業でこなし、更に本社の保全業務が外部業者に委託されたときに引継ぎミスがあり、よりによってミスの尻拭いのところに更にミスが発生、本社、企業、営業部の間で揉めに揉め、私はとうとう鬱寸前、不眠、片頭痛、その他あらゆる体調不良に襲われ、いわゆる自律神経失調症となった。
 その後、「うつ病」の課長は退職し、数か月後にやっと代わりの課長が来た。営業も追加でやって来た。私はと言えば体調、精神ともなかなか回復せず不調を引きずっていたが、そんな中、49歳の時、登録したまま1年くらい放置していたサイト経由でTさんからメッセージが届いた。
「ほかの人のメッセージと全然違って、文章が上手できちんとしてるし、条件とかはっきり書いていて、ちょっと異色で目立った」というのが、彼が古い登録の中からわざわざ私に連絡をくれた理由だった。
 彼と付き合ったのは結局半年ちょっとくらいだったと思うが、私はすぐに彼を好きになってしまった。誰かを好きになるなど、20代以来だ。彼とのメールのやり取りが毎日の楽しみや張り合いになったし、精神的にもふさぎがちだったのが喜怒哀楽を取り戻した。落ち込んでいたところで出会ったので、余計に彼に気持ちが傾いてしまったのかもしれない。
 しかし、「セフレ以上恋人未満、お互い都合のいい間だけ」で始まった関係なので、それ以上になれることはなく(告白したが、「自分は多分応えられない」と言われた)、彼の転勤を機にお別れとなった。それがちょうど、50歳の誕生日の直後だった。彼と付き合っている間に、私の気持ちに変化が生じていた。「私でもまだ、誰かを好きになって、一緒にいたいと思えるんだ・・・」
 ちゃんと一生一緒にいたいと思える相手と出会いたい。そのためには本気じゃない出会いは無駄だ。結婚するかどうかは別として、結婚前提ぐらいで出会いを探さなきゃだめだ!
 そうして、アラフィフにして2度目の婚活がスタートしたのだった。