本日午前シフト。
結果から書くといろんな意味でハードな一日だった。
まず。
担当患者数9名。半数の患者さんがサポートがいらないとは言え、ちょっと多いなぁと思いながら作業開始。しかし、どんだけ一生懸命やっても少しずつ後手後手になっていく。細かいことは書かないけど、いくつかの予定外のことが入って朝の休憩もお昼休憩も取れないような状態。加えて経験不足によりどの患者さんのお世話を一番に始めるかの見定めを誤り、先輩から指摘を受けてちょっと凹んでいた。
それに加えて金曜日に手術を受けた患者さん。ヘモグロビンの数値が低く、手術医の指示で昨日ひとパックの輸血を受けていた(輸血液はだいたい300ミリリットルぐらいが袋に入ってやってくる)。今朝の申し渡しで、血液検査の結果を見てから再度輸血をするかどうかを決めるので今日は様子見と言われていた。ところがたまたま私を手伝うために部屋に来た先輩看護師が「なんで輸血ひとパックしかしないの?」という。言われたとおり、ヘモグロビンレベルの再検査待ちだと伝えると「そんなはずはない。普通はふたパックだ」という。聞いてる話と違うけど、先輩は経験から自分の意見が間違いないという。昨日の看護記録を振り返っても明快なことが何も書かれていない。当直のドクターに電話して確認したら申し渡しと同じことを言われたけど、それでも先輩は違うという。結局先輩が当直のドクターに電話をしてふたパック目の輸血をする方向で作業を始めた。
輸血の段取りを始めたものの、午後シフトの看護師への申し渡し時間が近づいてきていて、看護記録をつけ終えてなかった私は午後の看護師に輸血をお願いすることにしてまずは自分の作業を終わらせた。そして申し渡し。たまたま午後からこの患者さんを担当する看護師は昨日もお世話をしていたので一連の輸血の流れをすでに知っていた。そして言う「違うよ、ひとパックだけでいいんだよ」。
彼女が手術医から聞いたことは、私が今朝申し渡しで聞いたことと違わなかった。
ここでまた話が一転二転し、いろんな人を巻き込んで、結局輸血はせず、血液検査の結果を待つという最初の話に戻った。今回の混乱の原因は輸血に関して手術医が述べたことが記録されていないということに落ち着いた。たまたま昨日と今日同じ看護師が同じ患者さんを担当したため、最終的に何をすべきかがわかったけど、本来であれば手術医が病室を訪れた時点で手術医がちゃんと記録を残すべきだし、そうでなければ付き添った看護師が書き留めておくべきだった。それらがされていなかったため今回の混乱が生じたとのことで決着した。
私たち看護師は患者さんの様子やドクターの言ったことを逐一書き度止めておく義務がある。でないと次の瞬間に何かが起こったとき、過去の記録がなければ手の打ちようがない場合があるので。だから昨日の手術医のコメントの記録漏れは初歩的なミスということになる。幸い患者さんの生死に関わることではなかったので結果オーライだったものの、一歩間違えれば大変な問題になる可能性はあった。
私は後手後手になっている作業ですでにかなりテンパっていたところでこの輸血問題。実際問題、私は何のミスも犯してはいない。しかし、先輩看護師やドクターの間に挟まれて、なぜかと聞かれても言われたことを繰り返し述べるのみで自分の考えは言えず、また強く何かを言えるほどの知識も持ち合わせていない。輸血という優先順序の高いケアに関して自分の力不足を痛感させられて精神的にかなり追い込まれた。経験は経験を通してしか得られないとわかっていても、やっぱり悔しくて、情けなかった。久しぶりにだいぶ落ち込んだ。
その反面、幸せやなーと思ったのは、先輩看護師をはじめ、他の先輩たちも落ち込む私を見て励ましの言葉をたくさんかけてくれたこと。「誰もが経験することやから」「一人でテンパったら助けを求めなさい」など暖かく慰めてくれた。本当に人には恵まれてると思う。
帰宅して、Dに今日あったことをダーッと吐き出して、ゴハンもしっかり食べて気持ちが落ち着いた今思う、私、看護師にむいてんのかなぁ? なったからには知識・経験ともに豊かな看護師になりたいと思っているけど、そこにたどり着くまで持ちこたえられるやろうか? なんかいろいろと考えてしまう。
明日とあさってはお休み。しっかりリフレッシュせんといかんな。
この曲は看護科で勉強を始めたころから何かあったら聞いていた作品。歌詞の意味は正直言って理解できてないんだけど、最初の一行にいつも考えさせられている。自分のエゴを貫くために人に迷惑・心配をかけてるんじゃなかろうか、と。
結果から書くといろんな意味でハードな一日だった。
まず。
担当患者数9名。半数の患者さんがサポートがいらないとは言え、ちょっと多いなぁと思いながら作業開始。しかし、どんだけ一生懸命やっても少しずつ後手後手になっていく。細かいことは書かないけど、いくつかの予定外のことが入って朝の休憩もお昼休憩も取れないような状態。加えて経験不足によりどの患者さんのお世話を一番に始めるかの見定めを誤り、先輩から指摘を受けてちょっと凹んでいた。
それに加えて金曜日に手術を受けた患者さん。ヘモグロビンの数値が低く、手術医の指示で昨日ひとパックの輸血を受けていた(輸血液はだいたい300ミリリットルぐらいが袋に入ってやってくる)。今朝の申し渡しで、血液検査の結果を見てから再度輸血をするかどうかを決めるので今日は様子見と言われていた。ところがたまたま私を手伝うために部屋に来た先輩看護師が「なんで輸血ひとパックしかしないの?」という。言われたとおり、ヘモグロビンレベルの再検査待ちだと伝えると「そんなはずはない。普通はふたパックだ」という。聞いてる話と違うけど、先輩は経験から自分の意見が間違いないという。昨日の看護記録を振り返っても明快なことが何も書かれていない。当直のドクターに電話して確認したら申し渡しと同じことを言われたけど、それでも先輩は違うという。結局先輩が当直のドクターに電話をしてふたパック目の輸血をする方向で作業を始めた。
輸血の段取りを始めたものの、午後シフトの看護師への申し渡し時間が近づいてきていて、看護記録をつけ終えてなかった私は午後の看護師に輸血をお願いすることにしてまずは自分の作業を終わらせた。そして申し渡し。たまたま午後からこの患者さんを担当する看護師は昨日もお世話をしていたので一連の輸血の流れをすでに知っていた。そして言う「違うよ、ひとパックだけでいいんだよ」。
彼女が手術医から聞いたことは、私が今朝申し渡しで聞いたことと違わなかった。
ここでまた話が一転二転し、いろんな人を巻き込んで、結局輸血はせず、血液検査の結果を待つという最初の話に戻った。今回の混乱の原因は輸血に関して手術医が述べたことが記録されていないということに落ち着いた。たまたま昨日と今日同じ看護師が同じ患者さんを担当したため、最終的に何をすべきかがわかったけど、本来であれば手術医が病室を訪れた時点で手術医がちゃんと記録を残すべきだし、そうでなければ付き添った看護師が書き留めておくべきだった。それらがされていなかったため今回の混乱が生じたとのことで決着した。
私たち看護師は患者さんの様子やドクターの言ったことを逐一書き度止めておく義務がある。でないと次の瞬間に何かが起こったとき、過去の記録がなければ手の打ちようがない場合があるので。だから昨日の手術医のコメントの記録漏れは初歩的なミスということになる。幸い患者さんの生死に関わることではなかったので結果オーライだったものの、一歩間違えれば大変な問題になる可能性はあった。
私は後手後手になっている作業ですでにかなりテンパっていたところでこの輸血問題。実際問題、私は何のミスも犯してはいない。しかし、先輩看護師やドクターの間に挟まれて、なぜかと聞かれても言われたことを繰り返し述べるのみで自分の考えは言えず、また強く何かを言えるほどの知識も持ち合わせていない。輸血という優先順序の高いケアに関して自分の力不足を痛感させられて精神的にかなり追い込まれた。経験は経験を通してしか得られないとわかっていても、やっぱり悔しくて、情けなかった。久しぶりにだいぶ落ち込んだ。
その反面、幸せやなーと思ったのは、先輩看護師をはじめ、他の先輩たちも落ち込む私を見て励ましの言葉をたくさんかけてくれたこと。「誰もが経験することやから」「一人でテンパったら助けを求めなさい」など暖かく慰めてくれた。本当に人には恵まれてると思う。
帰宅して、Dに今日あったことをダーッと吐き出して、ゴハンもしっかり食べて気持ちが落ち着いた今思う、私、看護師にむいてんのかなぁ? なったからには知識・経験ともに豊かな看護師になりたいと思っているけど、そこにたどり着くまで持ちこたえられるやろうか? なんかいろいろと考えてしまう。
明日とあさってはお休み。しっかりリフレッシュせんといかんな。
この曲は看護科で勉強を始めたころから何かあったら聞いていた作品。歌詞の意味は正直言って理解できてないんだけど、最初の一行にいつも考えさせられている。自分のエゴを貫くために人に迷惑・心配をかけてるんじゃなかろうか、と。