驚いた
セキドが夏結城の透けた着物を着てきた
「えっ早いでしょう?」
「27度あるんですよ暑くって」
「うちは着物のことを伝えている会社ですよ、せめて5月いっぱいはーー」
という言葉の先を飲み込んでしまった
たしかに昨日は30度あった、私は土いじりをしていたので夏服を着ていたが「洋服は盛夏で着物は単衣」というのもおかしい
こうやって着物の着方も人それぞれになってきていいのかもしれないと思った。何十年も着物を着ていて自分の体に気持ちの良い着方を率先して進めてきたのだけど、やはり私自身「縛り」から抜け出ていなかったのだなと気づいた
「撤回するわ、きもちよく着ましょう」
確かに透けた着物のセキドの着物姿は涼しげだ
こうやっていろんなことが変わっていく、着物の世界でも常識が非常識のなってくるのだ
後継者が育たないのはその技術を残す必要がないからだと、はっきり切り捨てる人もいる
時代はどんどん先に進む、何が正しくて何が違うのかそういうことがすべて思い込みで消えていく時代を迎えているようだ。そ中でも変のわらないものが必ずある
着物の着方が崩れてきたと心配する必要なない、それは時代の先取りなのかもしれない
奈良時代からの衣服を見ると激変していることを納得する
とくに平安時代から始まった今の着物の形も、着装の文化があれこれ変わってきている
しかし変わらないのが自然素材、草木染、着装これは古に学ぶことが多い
人間がこの地球上で生活をしていく限り、衣類はなくてはならないものだ、裸で生きとおすことはできないもの
いやひょっとすると一生着替える必要のない衣服が開発され、一切食べる必要もなく、テレパシーで会話をし、どこに行くのも一瞬のことで乗り物すらいらない、そういう世界になるやもしれない
すでに現実での着物の存在がチャ子ちゃん先生の足元でもこうやって変化をする
何を基準に考えるか
それはやはりあなたも私も気持ちがよく、さらに地球も宇宙にも傷を負わせないということだろうか
いろんな時代の変化を体験できるっておもろいな