帯が生き返って帰ってきた。
こういう修理を嫌う人、できない人が多くなっている。
でも職人は「修理をすることで腕が磨かれる」という。
「昔の帯は質がいいから、修理しながら一生締めたほうがい」と仕立て職人のK氏。
新しい帯の方が楽だけど、古い帯が生き返るのを見るのも気持ちがいい。とおっしゃる。
K氏とも長い付き合いなので、新しい時に仕立てた帯がここまで利用されたのかと感心してくれる
今回頼んだ紗の帯は、さすがに処分しようかと思い、別件でうちにいらした時に見せたら、
「直してみようか、少し、幅が狭くなるけど」」
「勿論いいわよよろしく」
「修理をして使い続ける」という生活の仕方がいつから消えてのかと思う。
着物はまさしく循環衣裳だったが、今は平気で捨てる人も多いと聞く。
4年前、夏を軽井沢で過ごし、軽井沢のりさくるセンターを覗いた。戦前からの別荘族の家具が所狭しと並んでいた。由緒ある柱時計、車ダンスや箱ダンスの累、ヨーロッパ家具、コーヒー紅茶カップのセット、もちろんコペンハーゲンなどの有名メーカーのもの。ベットやピアノ、応接セット、とにかく古きよっき時代の家具食器の類が所狭しと並んでいた。
家具の中で一番安いのが桐たんす。一緒に行った友人は桐ダンスを二棹買った。8万に値切った。いい買い物だった。運送にお金がかかりそうだったが、自分で運ぶことが出来た。箪笥は三段に分けられるので乗用車でも運ぶことが出来る。箪笥のおかげで、運転手のみ乗車、私たちはてくてく散歩を余儀なくさせられた。
桐ダンスは3回削ることが出来る。50年に一回と言われているので、150年は使える。昔は木の物は最後には風呂の薪になっていた。そう思うと、目の前にあるもので、使いまわしのできないものはなかったのだ。
一時修理するなんてこと恥ずかしいという風潮があった。使い捨ての時代だ。しかし捨てきれないで物をため込んでしまう人も多い。そして今「断捨離」が大流行。ヨーロッパの人たちは、昔の日本人と同じように修理しながら使っている。古いものが手入れされて次の世代に渡されている。
世界を見渡すと、日本人が一番物を大切にしない国民かもしれないとおもってしまう。
物を大事に扱うことで、職人の腕も上がっていく。
綺麗になった帯を見つめて嬉しさがこみあげてきた
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