子どもの「発芽」もまちまち
水戸黄門が持っている杖は、アカザ(藜)の杖だといわれています。 アカザは畑や空き地に生える雑草で、秋には茎の背丈が1・5㍍か ら2㍍にも伸びます。その若葉は食用にもなり、戦時中は野菜の代 用として利用されました。もっとも、あまりおいしいものではありませ ん。また、アカザの茎は軽いので、昔から杖として利用されてきまし た。また、この杖を使っていると中風にかからないという言い伝えが あります。ところで、アカザは一株で30万個の種をつくります。しか もその種の寿命は長く、30年以上もあるそうです。そしてその種は 全部一度に発芽せず、毎年少しずつ発芽します。その理由は、いっ せいに発芽すれば、たとえば病気が流行したり雨が降らなかったり すれば全滅する危険があるからです。人間が栽培する植物は、効 率をよくするため、いっせいに発芽するように品種改良がなされてい ます。だが、自然界の植物は全滅する危険を避けて、毎年少しずつ 発芽するようになっているのです。そうすると、ある年に発芽したもの がやられても、別の年に発芽したものがうまく生き残ることができま す。それが自然の知恵なんですね。さて、現代日本の学校教育はど うでしょうか。子どもたちはそれぞれに才能の芽を出し、すばらしい 花を咲かせます。けれどもそれは、いっせいではありません。発芽 の時期はまちまちです。早い子もいれば、遅い子もいます。そんな こと、わかりきったことですよね。ところが、現代日本の学校教育は、 子どもたちをまるで栽培植物のように扱い、いっせいに発芽させよう としています。小学三年生はこれだけ、五年生はこれだけと目標を 設定し、みんながその目標に達しない子どもは、「落ちこぼれ」にさ れてしまうのです。子どもたちがかわいそうでなりません。でも、ゆっ くりと発芽し、ゆっくりと成長する子どもが気の毒です。なぜそのよう な子どもが「落ちこぼれ」にされてしまうのですか!? では、どうすればよいか、わたしには名案はありません。どうすれば よいか、それを考えさせるためにわれわれは政治家を雇っているの です。それは政治家に考えさせましょう。ただ、わたしたちは個人的 には、現今の教育制度はおかしいと思ったほうがいいですよ。とくに ゆっくり成長をする子どもの親たちは、わが子をあたたかい目で見て あげましょう。この子は、発芽も成長も遅いけれども、きっとこの子な りのすばらしい花を咲かせるのだ。そのように信じたいですね。それ と同時に、大輪の花、色鮮やかな花だけがすばらしいのではありま せん。小さな花、くすんだ花だってすばらしいのです。そのことを忘れ ないでください。(宗教評論家)