瀬尾まいこさんの『そして、バトンは渡された』が映画化されることを知り、まずは瀬尾さんの作品がまた映像化されることを嬉しく思った。そして、主人公の森宮優子を演じるのが永野芽郁さんだと知り、その嬉しさは僕のゲージ一杯(高いか低いかには触れないけど)に振り切れた。で、彼女の母親・梨花を演じるのが石原さとみさんで、僕の頭の中で梨花と石原さんがシンクロしたのを思い出す。
その情報に触れて以降、公開日がいつかと楽しみにしていた。けれども、他の多くの映画作品同様、この作品も流行り病の影響を避けられなかったのだろう。とはいえ、待ちに待った作品を観ることができた。
3年前に原作を読んで以降、あらすじは覚えていたものの、作品の詳細についての記憶が薄らいでいたことは、映画を観る上では逆に良かったのかもしれないと、観終えた後に思った。
さて、瀬尾さんの作品での愉しみは食事のシーンだと、多くの瀬尾まいこファンが思うところだけど、映画でもそれは伝わってきた。優子と田中圭さん演じる森宮が食事をとるシーンでは、単にその食事が美味しそうというだけでなく、その時のやり取りが父と娘の繋がりを緩やかだけど強いものにしているんだなと思える。そして、その時のやり取りの内容が、互いが今どんな状況なのかを掴む手段になっている。書いてしまうと当たり前のことなんだけど、自分の家庭(母とだけれど)を顧みるとそれとは程遠い。そして、こんな風に子どもと触れ合う機会がないのだと思うと、少し寂しく思う。もちろん、積極的ではないにせよそういう生き方を選んだのは自分自身だから覚悟はしているけど。
だからこそ、小説でも今回の映画でも、泉ヶ原も森宮も、梨花の思いもよらない行動とその行動力によって家族を作ることができたことを羨ましく感じた。今の僕にそんな状況が訪れたとしたらすぐに受け入れられる自信はないけど、でも、すぐに断りはしないし、実現する方法を探るだろう…な。
小説とはまた違うストーリーが用意されていたけど、どちらがいいか悪いかということではなく、それぞれが独立した作品で、それらを感じればいい。そう、映画のそれとそこに触れる台詞に、先日から読んでいるある本のことを重ねた。感想は読了したら書くけど、会えないことと別れとは違うんだろうということかな。
映画を観終えて街を歩くと、以前の賑わいがだいぶ戻ってきていた。そして、親子連れを見かけては温かな気持ちになれた。日差しの暖かさもあったけど、きっとそれだけではなかった、と思う。