44年前、釜山から慶州に向かう列車から見えた山々には木が生えていなかった。このことについて、五木寛之の著書「朝鮮半島 百寺巡礼」に『最初に訪れた1960年代の韓国では、赤茶けた岩肌、そして禿山がずっと続いていて、なにか荒涼とした印象を受けた。・・・朝鮮戦争では、朝鮮半島全体が戦場となり、大地は見る影もなく荒廃した』と書かれている。44年ぶりに、慶州に向かう列車の車窓から見える山は、日本同様、新緑に覆われていた。
広々していた慶州駅前は、道路の両側にビルが立ち並んでいた。宿泊した旅館の場所あたりを探したが、分からなかった。
44年前に巡った慶州の史蹟を、バスとレンタサイクルで見て回った。
○鶏林(ケリム):世界遺産。新羅の王族がうまれたという伝説の林。
当時は、歴史的意義が分からないまま見学していた。ケヤキと柳の古木が印象的だった。
○雁鴨池(アナプチ):新羅時代の離宮の庭園。
当時、葦が密生した池と瓦葺の今にも壊れそうな建物だった。池は浚渫され錦鯉が泳ぎ、極彩色の
建物が護岸の周りに3棟建設され、大きく様変わりして当時の面影は全くなかった。
○武烈王陵(ムヨルワンヌン):7世紀に統一新羅の基礎を作った名君武烈王の墓陵。
よく似た墳墓が多い中で、斜面の崩壊を防ぐ石が相変わらず写真と同じ場所にあったので、偶然発見できた。
海雲台には、当時海岸線を走っていた鉄道が山側に移設され、地下鉄で行った。当時海の家が並んでいた海岸通りには、高層ビルが建っていた。宿泊した旅館は、街全体があまりにも変わって、全く分からなかった。
焼き肉を食べてほろ酔い気分でビーチ近くのゲストハウスへの帰り道。地階のカラオケ屋から、薄明りの階段を伝わって聞こえてきた女性の歌声「・・・歩いても歩いても♪ 小舟のように私はゆれて ゆれて♪・・・」。懐かしいメロディーと歌詞に思わず立ち止まった。「足跡だけがついて来るのよ♪ ヨコハマ ブルーライト・ヨコハマ♪・・・」。こんな偶然があるだろうか。44年ぶりに訪れた海雲台ビーチ近くで聞くなんて・・・。
ブルーライト・ヨコハマは、1970年代末まで日本の音楽が禁止されていた韓国内で最も知られた日本の歌のようだが、ほとんど奇跡的な出来事に呆然と佇んだ。
旅は感動だ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます