2022年1月31日(月)、西国街道の大竹市内の残り区間を歩いた。ゆめタウンから鳴川まで2号線を歩き、帰りに西国街道を歩くことにした。
鳴川河口から見える宮島は、見慣れた北からではなく、西からで山容が異なり、ひとつひとつ山名を確認した。
街道は、住家と道が入り混んで分からない。取り敢えずそれらしきところを歩き、散歩をしている人に尋ねて「鳴川の石畳」を見つけた。
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鳴川(なるかわ)の石畳
1632年、幕府上使が広島藩を通行することに伴い、急遽整備された石畳。
馬ためし
山道が馬にためらうほどの急な坂があったので、「馬ためし」と呼ばれた。山の上にも住家があり途中から街道が分からなくなった。地図でも点線となっており、仕方ないのかなぁと思った。
何とか下山した場所が「玖波の延命地蔵」だった。
玖波の延命地蔵
保育地蔵とも呼ばれるが、特に耳の病を癒やすと言われている。
角屋釣井(かどやつりい)・高札場跡と玖波の町並み
宿場町玖波の貴重な飲料水を供給した井戸。法度・掟や次駅までの定賃銭等様々な知らせの札が立てられた高札場跡。 今も宿場町の 面影を残している玖波の町並み。
玖波大歳神社「力量石(りきりょうせき)」
力比べや身体の鍛錬のための「力石」。西日本で2番目に重く、292.5kgと記されている。
瀬戸内沿いの狭い範囲に、鉄道・国道2号線・山陽自動車道、住家と大小様々な道があって、街道探しとピンポイントの史跡巡りとなった。
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