この日もジョウビタキがやってきた。
しかも、番。
奥にいるのがメス。手前がオス。
番で空中ランデブー。
やがて、オスはメスから離れて単独行動へ。ビュイーン。
この時、最も悔しかったのがこの写真。
いい形に羽を広げた絶好のチャンス。
そんな時に限ってピントを外している。
ピントが背景に抜けてしまっている。
悔しい。
ヘタクソめー。
この日もジョウビタキがやってきた。
しかも、番。
奥にいるのがメス。手前がオス。
番で空中ランデブー。
やがて、オスはメスから離れて単独行動へ。ビュイーン。
この時、最も悔しかったのがこの写真。
いい形に羽を広げた絶好のチャンス。
そんな時に限ってピントを外している。
ピントが背景に抜けてしまっている。
悔しい。
ヘタクソめー。
前回、カワセミの姿をまったく見ないまま終わったのが気になって、また那珂川に行ってみた。
以前はいなかったヒヨドリの群れがうるさい鳴き声をあげながら周辺を飛び回っていたので、カワセミがヒヨドリをいやがっていなくなったかもしれないと思ったのだ。
しかし、いた!
いたにはいたが、一瞬だけだった。
川を横切るように飛んで、いつもの木に止まった。
しばらくそこにいるだろうと目を離した隙にもういなくなっていた。
その後ずっと待ったが、二度と姿を現さなかった。
この日は曇り。
野鳥撮影には光量不足で厳しい。
近くの那珂川へは、カワセミがなかなか写真を撮らせてくれないので、だんだん行く気がしなくなり、足が遠ざかっていた。
天気もいいことだし、久しぶりに那珂川に行ってみた。
まず来てくれたのはジョウビタキ。
真正面だとこんな感じ。真横に目。
横を向くとこんな感じ。
冬は木の葉っぱが落ちて枝だけになっているので、野鳥が撮りやすい。
これはカワラヒワ(多分)。
嫌いなヒヨドリ。
可愛げがないし、鳴き声がうるさいし、春になると梅やカンヒザクラからメジロを追い払ってしまう。
空に浮かぶ月。
水仙が咲いていた。
河畔の家の塀の上に飾られていたマリオ。
正月にコスモス。
白鷺が飛ぶ。
マガモが泳ぐ。
河原に咲く名も知らぬ花。
シジュウカラがやってきた。
飛んだ。
竹林と水仙。
で、結局のところ、カワセミはまったく姿を見せないままだった。
どこか別の場所に移動してしまったのだろうか。
九州のおいしい地酒はどこかとか、燗酒でおいしい酒は何かとか、ネットでいろいろ調べているうちに、驚くべきことを発見!
徳利でお酒を注ぐ時に、注ぎ口から注ぐのではなく、注ぎ口を真上にした状態で注ぐのが正式なマナーだというのである。
これがまた冗談ではなく、確信に満ちて真面目にそう説明する記事が何件も出てくる。
わが人生、今まで数多くの宴会をこなしてきたこの僕が、今まで聞いたこともないマナーである!
しかも、つい最近までいた滋賀の宴会では、今でもお銚子でお酌、返盃、返盃の世界だった!
注ぎ口を真上にして注ぐ理由が諸説いろいろあるところからして、確定的なマナーと言えない、いい加減な臭いがする。
諸説を説明すると長くなるのでやめておくが、例えばその一つは、円の一部を注ぎ口に変形しているので、注ぎ口を使うと「円が切れる」=「縁が切れる」というもの。
「そんな注ぎ方をして俺と縁を切ろうというのか」と言われれば、あわてて注ぎ口を真上にして注ぎそうである。
徳利は江戸時代から酒器の主流になったようであるが、初めて酒用の徳利を作った人は、注ぎ口は注ぐために作ったとみるのが素直なところだと思う。
徳利はそもそも実利的な器であり、作った人が、注ぎ口としてではなく宝珠の形を意識しながら飾りとして設けたとはとても思えない。
円に注ぎ口があるのは徳利に限らない。
醤油差し、水差し、いろいろある。
理屈から言えば、徳利に限らず、円に注ぎ口が設けられているものは、すべて注ぎ口を真上にして使わなければ、縁を切ることになる。
そんな馬鹿な、である。
酒器でも、冷酒用の酒器がある。
陶器とかガラス製とかいろいろあるが、僕が持っているのはこれ。
中空部分に氷を入れて、冷たい状態を保持するようになっている。
これを、注ぎ口を上に注ごうとしたら、絶対氷がこぼれる!!!
ちなみに、今(1月3日)入っているのはお屠蘇。中空部に氷は入れてない。
戦国武将が毒殺を免れるためとか(そもそも戦国時代には徳利は使ってないはず)、いかにも俗説っぽいことがまことしやかに正式マナーの理由として言われていることや、また読んだ人が素直に「そうだったんですか」みたいなコメントをしているのを見ると、わが国は大丈夫かと思う。
マナーと信じる人はどうぞご勝手にの世界ではあるが。
僕が住む福岡市南区のさらに南は春日市となる。
その春日市に春日神社はある。
といっても、僕は今までそんな神社があることすら知らなかった。
妻がネットで調べ、ここに初詣に行ってみたいと言うので初めて知った。
そもそも春日という地名は、この神社の名前から来ているのかもしれない。
春日神社の由来を見ると、中大兄皇子が百済再興のため筑紫に滞在した際、この地に天児屋根命(アメノコヤネノミコト)を祀ったことを起源とする。
その後、太宰大弐(次官)であった藤原田麿が、大和の国の春日大社から、雷の神・剣の神といわれる武甕槌命(タケミカヅチノミコト)、その武甕槌命と関係が深いといわれる経津主命(フツヌシノミコト)、姫大神(ヒメオオカミ)を迎え、神社を創建した。
ということは、春日という地名は、奈良の春日大社にちなんでいるようである。
今まで知らなかったぐらいだから、それほど大勢の人が参拝するような神社ではないのではないかと思っていたら、大間違いだった。
周辺には臨時駐車場が設けられ、案内するガードマンが何人もいた。
参拝者は長蛇の列をなし、本殿に辿り着くのに結構時間がかかった。
境内に樟(くすのき)の巨木が何本も生えていたのが、とても印象的だった。
僕にとって、福岡での初詣といったら、太宰府天満宮だった。
それは、小学生から高校を卒業するまで、登山好きだった父に連れられて、毎年、太宰府天満宮近くの宝満山に初日の出を拝みに登山するのが恒例だったからだ。
最初は僕と父の二人だけだったが、やがて従兄弟が参加するようになり、さらには僕の同級生が参加するようになって数人のグループになった。
宝満山の、あの延々と続く石段は、今はもう100%登れない。
昔は、日本酒は燗をして飲むのがスタンダードであり、お銚子と御猪口で飲んでいた。
お銚子が出れば、「ま、一献」とお酌をし、「ご返杯」とお酌をされ、という展開になっていった。
その後、少なくとも東京では、差しつ差されつが面倒になり、接待でない限り、手酌でいくのが一般化した。
手酌であれば、飲むペースもマイペースでいける。
そのうち、地酒ブームが起こり、冷酒をグラスで飲むのが主流を占めるようになってきた。
お銚子と御猪口は姿を消し、桝のなかに置いたグラスに零れるほどになみなみと酒をつぐシーンが店ではよく目にする光景となった。
今は、純米吟醸系で搾りたて原酒、辛口系が僕の好みになっているが、これも冷蔵庫に保管して冷酒で飲む。
とはいえ、いつも飲んでいるのは焼酎で、たまにその気になった時に日本酒を飲む。
しかし、最近、何故か、ふと、燗酒が飲みたくなった。
ネットの記事を読んでいて、そんな気分になりつつあったところに、こんなものを見つけてしまった。
購入者のクチコミもすこぶるよい。
さっそく注文。
壺にお湯を注ぎ、日本酒を入れた徳利をその壺に挿し込む。
あとは適度の温度になるのを待つだけ。
盃に酒を注いだ後は、また壺に挿し込んでおけば、冷めることがない。
燗で酒を飲むにしても、どんな酒を飲むかが問題だ。
この燗酒容器を注文すると同時に、燗でうまい日本酒をネットで調べた。
「大七純米生もと」福島県二本松市 大七酒造
月刊誌「danchu」日本一美味しいお燗酒選出
日経新聞「何でもランキング」、“おせち料理によく合ってお燗にすると美味しい日本酒”第1位
お酒の味とは関係ないが、当主は東大法学部卒らしい。葛藤あっただろうなあ。
燗酒容器が届く前に入手してしまったので、冷酒でちびちびといただく。
悪くはないが、ネットで絶賛されるほどおいしいのかなあと思いながら、ちびちびといただく。
燗で飲もうと思った時は、徳利の半分ぐらいしか残ってなかった。
で、燗した時の味は?
うーん、冷酒の時より甘さが強くなって好みの味から遠ざかる感じかなあ。
「奈良萬純米酒」福島県喜多方市 夢心酒造
福島なのに奈良がついているのは、先祖が奈良から来たということらしい。
全国のプロから燗酒日本一に選ばれたらしい。
さっそく飲んでみた。
「大七純米生もと」よりマイルドな感じで、こちらの方がまだいいかなあ。
二つの酒を燗で飲んでみて、思ったほど味わいある感じではなかったというのが正直なところ。
決してマズイということではない。期待が大きすぎたということか。
燗でいろいろ飲んでいくうちに、また味覚が変わるかもしれない。
昔、太田和彦の本を何冊か読んだことがある。
酒の味や居酒屋の料理が生き生きと再現され、思わず居酒屋通いを始めたくなるような本だった。
福岡に越して、うまい地酒はないかとネットを見ているうち、酒好きな人の何人かのブログやHPを発見。
例えば、「大七純米生もと」については
「酸が強い。濃い。旨みたっぷり。奥深い味わいだ。濃いけどすっきりした飲み口。キレが非常に良い。いやはや、これは旨い。旨いのは分かってたけど、やっぱり旨い」
太田和彦ばりの、その表現力には感服するばかり。
吉田類シリーズは雰囲気がよさそうな居酒屋の紹介はあるが、太田和彦のような酒への薀蓄や個別銘柄への思いみたいなコメントはない。
僕はずっと質より量でお酒を飲んできたので正直味はよくわからない。
でも、人がおいしいと言ってるお酒を僕がおいしいと思う必要はないし、特に山廃仕込みはいろいろ飲んだが僕にはあわない。
とはいえ、人がおいしいと言っているお酒を知ることは、僕がおいしいと思うお酒を探す手がかりではある。
ワインに近いお酒はワインや果実酒を飲めばいいじゃないか。
セメダイン臭のお酒は嫌いだ。べったり甘いお酒は嫌いだ。
辛口が好きだけど、辛口すっきりだけでは味がない。米の味。独特の風味。個性。
初めて「越乃寒梅」を飲んだ時、ただ水っぽいとしかと思わなかったのに、その後おいしいと思うようになったりしたこともあったので、好みも変化するかもしれない。
「越乃寒梅」もずっと飲んでないので、今飲めばどう感じるかはわからない。
でも、新潟のお酒に興味を発展させてくれたお酒である。
お、つい長くなってしまった。
ウィー
ゴホンゴホン
風邪よ、いい加減、治ってくれー。
2016年1月3日 湖北の白鳥のネグラにて 今年は鳥インフル大丈夫かなあ
あけましておめでとうございます
仕事をしていると、年末の仕事納めがいつで、新年の仕事初めがいつからか、カレンダーを眺めて三が日に週末がくっついて何連休になるのかとか、年末年始を強く意識する。
今まではそうだったが、無職になるとそれがないので、年末年始があまり意識しないまま何気なくやってくる。
誕生日もそうだけど、新年もそんなに時間通り来てくれなくても、むしろもっとゆっくり来てもらった方が・・・
今年の正月は、風邪が治りきらないまま迎えることになった。
ヤブ医者が処方した四日分の薬は、昨日、大晦日になくなった。
つまり、治っているはずが、治ってない!
まー、風邪薬を飲まなくても、そのうち治るだろう。
風邪薬を飲まなければ、お酒が飲めるってことだ。
正月のお酒はやっぱりいいなあ。
ウィー
ゴホンゴホン