『天と地の守り人 第一部』を読み終えたあと、もう一度はじめから読みたくて、このシリーズの始まりである『精霊の守り人』を読み直しました。今あらためて読むと、このファンタジーの世界観が、始まりからいかにきちんと創り上げられていたか、ということに驚かされます。
このシリーズで興味深いのは、今自分たちのいる世界<サグ>と異世界<ナユグ>が同時に存在している、という考え方です。この<ナユグ>を見ることができるのは、呪術師か、ごく一部の人だけ。それでも確かに<ナユグ>は存在し、<サグ>に影響を与えているのです。
ふたつの(あるいはそれ以上の)世界が存在する、という考え方は、おそらく小学生の頃から惹かれていました。
三次元の世界と四次元の世界、タイムトラベル、などなど。古くはTV「タイムトンネル」や「タイムトラベラー」、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」などにわくわくしました。児童書でも『時の旅人』や『トムは真夜中の庭で』など、ふと違う時代に迷い込むような物語が大好きです。
ここではない、どこか。
この世界ではない、もうひとつの世界。
私の場合、そこへ連れて行ってくれるのがファンタジーなのです。
現実の世界で、私は妻であり、母であり、嫁であり、その役目に課せられた仕事はそれこそ山のよう(実際していることといえば、微々たるものですけどね)。それでも、夕飯をつくり、後片付けをし、お風呂を沸かしておけさえすれば、あとは待ちに待った私の時間。本を開けば、もうひとつの世界への扉が開かれるのです。
そういう世界へ連れて行ってくれるファンタジーにめぐり逢えたときは、まさに至福のとき。現実の雑音は消え失せ、その世界に浸りきってしまいます。
でも、ファンタジーは「ゆきてかえりし物語」。行けば、たとえそこがどんなに素晴らしい冒険にとんだ世界でも、居続けるわけにはいきません。本を閉じたらこちらに戻ってこなくては・・・。
実は今、また一冊素晴らしいファンタジーに出会えました(上橋菜穂子さんの、守り人とはまた別の作品です)。
今宵も本を片手に、ストーブの前に陣取り、
私 :「じゃあ、行ってきま~す」
家族:「行ってらっしゃ~い」
主人:「・・・帰っておいでよ~」
しばし、もうひとつの世界へ・・・
このシリーズで興味深いのは、今自分たちのいる世界<サグ>と異世界<ナユグ>が同時に存在している、という考え方です。この<ナユグ>を見ることができるのは、呪術師か、ごく一部の人だけ。それでも確かに<ナユグ>は存在し、<サグ>に影響を与えているのです。
ふたつの(あるいはそれ以上の)世界が存在する、という考え方は、おそらく小学生の頃から惹かれていました。
三次元の世界と四次元の世界、タイムトラベル、などなど。古くはTV「タイムトンネル」や「タイムトラベラー」、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」などにわくわくしました。児童書でも『時の旅人』や『トムは真夜中の庭で』など、ふと違う時代に迷い込むような物語が大好きです。
ここではない、どこか。
この世界ではない、もうひとつの世界。
私の場合、そこへ連れて行ってくれるのがファンタジーなのです。
現実の世界で、私は妻であり、母であり、嫁であり、その役目に課せられた仕事はそれこそ山のよう(実際していることといえば、微々たるものですけどね)。それでも、夕飯をつくり、後片付けをし、お風呂を沸かしておけさえすれば、あとは待ちに待った私の時間。本を開けば、もうひとつの世界への扉が開かれるのです。
そういう世界へ連れて行ってくれるファンタジーにめぐり逢えたときは、まさに至福のとき。現実の雑音は消え失せ、その世界に浸りきってしまいます。
でも、ファンタジーは「ゆきてかえりし物語」。行けば、たとえそこがどんなに素晴らしい冒険にとんだ世界でも、居続けるわけにはいきません。本を閉じたらこちらに戻ってこなくては・・・。
実は今、また一冊素晴らしいファンタジーに出会えました(上橋菜穂子さんの、守り人とはまた別の作品です)。
今宵も本を片手に、ストーブの前に陣取り、
私 :「じゃあ、行ってきま~す」
家族:「行ってらっしゃ~い」
主人:「・・・帰っておいでよ~」
しばし、もうひとつの世界へ・・・