セントラルスポーツの社長で東京オリンピックで競泳の選手も務めた後藤忠治氏のセミナーを聴講してきた。成功した起業家には人をひきつけるオーラのようなものがある。後藤氏の場合は元スポーツ選手でもあり、人に健康を売る商売をしているせいもあり、いかにも快活で、傍にいるだけで自分も元気が出てきそうな雰囲気がある。道を極め、何事かを成し遂げた人の言葉には生きる知恵のような示唆があり、得るところが大きい。
12月の長谷川投手のセミナーと同様、スポーツジャーナリストの生島淳氏がモデレーターを務めており、今回も限られた時間のなかでまとまりのよいセミナーとなった。今日の話は大きく分けると後藤氏の個人史、フィットネス産業の現況と見通し、起業あるいは経営の心がけ、の三つから成り立っていた。興味深い話は数多くあったが、最も印象に残ったのは、学校教育における体育の意義についてのコメントであった。能力がバラバラな子供たちの集団を、チームとして律するディシプリンを教えるのが小学校の体育の意義だというのである。現実はどうであろうか。技術を教えることに偏っていて、チームワークのようなディシプリンを等閑にしている教師や学校が多いのではないだろうか。社会に出て必要なのは逆上がりができることでもなければ跳び箱を跳ぶことでもない。能力も人格も様々である他人とうまく折り合いをつけることなのである。学校教育が子供たちに知識や技術のスキーマを植えつけることを偏重するあまり、人間が社会で生きていく上で本当に大事なことが抜け落ちているような気がするのは私だけだろうか。
12月の長谷川投手のセミナーと同様、スポーツジャーナリストの生島淳氏がモデレーターを務めており、今回も限られた時間のなかでまとまりのよいセミナーとなった。今日の話は大きく分けると後藤氏の個人史、フィットネス産業の現況と見通し、起業あるいは経営の心がけ、の三つから成り立っていた。興味深い話は数多くあったが、最も印象に残ったのは、学校教育における体育の意義についてのコメントであった。能力がバラバラな子供たちの集団を、チームとして律するディシプリンを教えるのが小学校の体育の意義だというのである。現実はどうであろうか。技術を教えることに偏っていて、チームワークのようなディシプリンを等閑にしている教師や学校が多いのではないだろうか。社会に出て必要なのは逆上がりができることでもなければ跳び箱を跳ぶことでもない。能力も人格も様々である他人とうまく折り合いをつけることなのである。学校教育が子供たちに知識や技術のスキーマを植えつけることを偏重するあまり、人間が社会で生きていく上で本当に大事なことが抜け落ちているような気がするのは私だけだろうか。