すっかり秋らしくなってきましたね。季節の変わり目である所為か、巷では喪服姿が目立つような気がします。もうすぐ彼岸ですが、彼岸というのは現世とあの世とが近づく時期でもあります。気候の変化が人間の健康に影響を与えるという生理的な現象が、世俗の世界観において、あの世とこの世との距離に反映されていることが興味深く感じられます。宿題は無事に終わりましたか? 土曜日の深夜に、日本に住む外国人が日本の文化や習慣について語るというテレビ番組を観ました。テーマは「夏休み」というものでしたが、その中で、学校が生徒に夏休みの宿題を課すのは日本だけだということが語られていました。「夏休み」というからには宿題などせずに休むべきだろう、と出演していた外国人の何人かが語っていました。尤もな話だと思います。受験や目先の試験があるなら1ヶ月という時間はその合否を左右する時間であるかもしれません。しかし、長い人生のなかで、たいして役にも立ちそうにない知識を詰め込んだところでどれほどの意味があるのだろうかと、私も思います。 先週は荒井とみよ「中国戦線はどう描かれたか」、佐藤正午「花のようなひと」を読了しました。
「中国戦線はどう描かれたか」は第二次大戦中に日本軍の宣伝活動のために動員された作家たちによる従軍記についての評論です。前回のメールに書いたかもしれませんが、私は戦争という破滅的な行為に走る人間の姿に興味があります。本書で紹介されている従軍記は太平洋戦争開戦前の中国戦線について書かれたものです。従軍記そのものではなく、それについての評論ですから、私がそれら従軍記を読んだことにはならないのですが、本書から透けて見えるのは、人の生物としての業のようなものです。象はおとなしくて人に対して従順な動物ですが、時として、その象の世話をしている象使いや飼育係を襲うことがあるそうです。それは、例えば、飼育係が象の糞に足を取られて転んだ時などに象が文字通り牙を剥くのだそうです。象のようなおとなしい動物ですら、目の前で崩れ行く者に対しては征服欲が刺激されるのだそうです。当時の日本人にとって中国は先進国であり、中国文化は憧れの対象でもありました。その中国が列強の侵略を受け、国家として転ぶ姿に、日本人の生物としての征服欲が刺激されたのではないかと思いました。 佐藤正午は寡作ながら恋愛小説の達人と呼ばれている作家のひとりです。
「花のようなひと」は彼の短編集です。短編といっても、ひとの生活のほんの数分間を描いた作品ばかりです。氏の作品はその構成の妙と文章の上手さに定評があるのですが、この短編は彼の視点をよく表しているような気がしました。短編小説というより文章教室のような作品です。
急に涼しくなったり、学校が始まったり、今週は生活の変化が多い週です。また、夏の疲労が顕在化し易い時期でもあります。栄養と休養に気を配り、ご自愛下さい。