身延参りが登場する噺で現在も比較的頻繁に高座にかかるものには「鰍沢」の他にも「甲府い」がある。もっと広く法華が登場する噺となると「堀の内」や、ちらっと登場するだけだが上方の「宿替え」といったものもある。つまり、それだけ法華は落語の聴衆にとって一般的な存在だったということだろう。それで、せっかく鰍沢にまで来たのだから、ということで少し足を伸ばして身延山にもお参りをしてきた。噺の現場検証のようなものである。
昨日の落語会の後、旅行社の担当者に身延の宿坊のひとつ覚林坊まで車で送っていただいた。宿坊は本来、修行僧が寝泊まりする場所だが、なかには一般に開放されているところもある。若い頃に平泉の毛越寺や倉吉のなんとかという寺の宿坊にも泊まったことがある。毛越寺も倉吉の寺もユースホステルとして提供されていたので、今回の宿泊もそのときの印象に基づいた期待感を持って臨んだ。これは良い意味で期待外れだった。ちょっとした旅館のようなところで、食事がたいへん美味しかった。個人的に大豆やその加工食品が好物であるという事情があるにせよ、湯葉や豆腐をメインにした精進料理はどの品も美味しく、自家製だという納豆は我が家の自家製納豆の参考も兼ねて持ち帰り用に購入した。
昨日とは打って変わって好天に恵まれた。朝食を終えて午前8時過ぎに宿坊から久遠寺三門を目指して歩き始める。参詣や観光の時期ではないようで、静かな朝である。三門前の観光案内所で荷物を預かっていただき、山上の境内を目指す。が、三門を過ぎ見上げるような長い階段を前にして妻が無理だと言うので、少し引き返して女坂を行く。そのまま階段を登ると本堂正面に出るのだが、女坂を登りきったところにあるのは甘露門である。門を抜けて右手が身延山大学、正面が仏殿、仏殿に向かって左側に御真骨堂、報恩閣、祖師堂と続いて、本堂となる。本堂地下には宝物館入口があり、ここから本堂に入ることができる。
三門から階段を登りきったところ、本堂手前に五重塔があるが、これは2008年に竣工した3代目。建設を担当したのは大成建設だそうだ。一見して新しい。昨年秋に訪れた奈良の薬師寺西塔は1981年に竣工したものだが、こちらは「復興」であって、そもそもの形を再現しようとしたものである。だから、新築であっても新しい塔というわけではない。久遠寺のほうは寺院の五重塔という様式こそ踏襲しているのだろうが、どこか今風な雰囲気がある。この五重塔に象徴されるように、ここは長い歴史がある割にはさっぱりした印象だ。
本堂の中も拝見したが、たいへんきらびやかで、なんとなくカトリックの教会を連想した。本堂裏手からは奥の院へロープウェイが往来している。20分毎に発車するのだが、境内の様子から想像するよりは多くの客がいた。奥の院があるところが身延山の山頂で標高1,153mだ。ロープウェイの奥の院駅を出たところから富士山の上のほうがよく見える。不思議なもので、富士山を眺めると気持ちが晴れ晴れとする。
ロープウェイで久遠寺へ戻り、桶沢川沿いの道を下って武井坊の脇の道に入り御廟所や御草庵跡を詣でる。ここから三門はすぐだ。
観光案内所に寄って荷物を受け取り、参道を下る。昼時になったので、身延駅へ行くバスの停留所の近くの食堂で湯葉定食をいただき、バスで駅へ向かう。甲府へ向かう列車まで20分ほど時間があったので駅前の土産物屋を覗いてみる。身延から甲府までは各駅停車で1時間半近くかかる。途中、鰍沢を通るが、身延から鰍沢までが39分である。かなりの距離だ。噺の世界では皆この距離を歩くのである。ここだけではない。江戸からここまで歩いて往復したのである。鉄道を利用してすら遠いと感じる距離を、信仰信心のために時間と経費を費やして人々が徒歩で行き交った時代は、たぶん今より豊かだっただろう。少なくとも精神の面は。