三郷まで小三治一門会を聴きに出かける。埼玉県民のくせに今まで三郷がどこにあるのか知らなかった。巣鴨の住処からは徒歩で埼京線板橋駅へ行き、武蔵浦和で武蔵野線に乗り換えて三郷で下車する。単純だが、乗車時間だけで最短40分、埼京線が各停ならあと数分余計にかかる。その上、埼京線も武蔵野線も首都圏の鉄道路線のなかではローカル線なので、乗り継ぎが悪ければ乗り換えに10分以上はかかるし、板橋駅に着いてやはり10分近く待つこともありうる。板橋駅から三郷駅まででざっくり1時間だ。埼玉県民としてもう一言付け加えるなら、土地の品格というか雰囲気のようなものは、そこに立地する県立高校のレベルで推し量ることができる。最近、何かで武蔵野線沿線の発展について語られている記事を読んだが、私ならたとえ交通網の拡充で「発展」が期待できるとしても武蔵野線沿線に住もうとは思わない。そういう意味では実家の場所もちょっとどうかという所だ。尤も「発展」の定義は人それぞれなので、そこに価値を見出す人もいれば、そうでない人もいるというだけのことだが。
土地の品格というか雰囲気のようなものが何故重要かといえば、それによって旨いものを食べることのできる店に出会う確率が大きく変わってくるように思うからだ。そういう点で、今日の最大の課題は昼飯をどこで食べるかということだった。初めての場所ということもあり、ばたばたと慌てるようなことをしたくなかったので、寄り道をせずに三郷へ行った。駅を出て、会場である文化会館に至る大きな通りを眺めて、まぁ想定通りかなと思う。大手の飲食チェーンの店舗がいくつか並び、その間にどこの街にもありそうな中華料理屋がある。どこに入ろうか迷いながら歩いているうちに、飲食店の並びが途切れるところまで来てしまった。その大通りから脇に入ったところにイタリアの国旗がぶら下がっているのを発見。近づいてみるとイタリア料理屋だった。午後1時頃だったが、店に入ると1人分の席を用意してくれた。プリフィックスのようなメニュー構成になっていて「おすすめ」というリゾットをメインしてランチコースにしてもらった。取り立ててどうこうというほどでもないのだが、私としては十分満足だった。リゾットはまずまずで、デザートというコース全体を食べ終えた時に一番記憶が生々しい部分が旨いというのはよいことだ。カボチャのプリンを頂いたのだが、カボチャ感がしっかり出ているところに好感を覚えた。逆に記憶が薄いコースの最初に登場するパンだが、近頃流行らしい米で作ったパンだった。これは普通のイタリア料理屋っぽいもののほうが私は好きだ。
それで落語だが、気のせいかもしれないが、開口一番が直近の落語会とかぶることが多い。今月2日に川口で聴いた三三と喬太郎の二人会でも花どんが「金明竹」を口演して今日もこみちがこのネタなのである。以前にも「初天神」が連続したことがあった。単なる偶然なのだろうか。それとも若手が勉強会のようなことをやっていて、月とか四半期というような単位で課題ネタを決めて演っているというようなことがあるのだろうか。同じネタを比較的短い間隔でいろいろな噺家で聴くのは、聴くほうにとっても勉強になる。勉強、というと大袈裟だが、噺家の個性が強めに感じられて面白い。
寄席の売店や落語会の出店では「東京かわら版」という月刊誌を販売している。普段は見向きもしないのだが、どういうわけか今日は買ってしまった。「今月のインタビュー」というコーナーがあって、最新号は偶然にも小三治だった。映画の「小三治」でもいい言葉だなぁと感心するところがいくらもあって、神保町の映画館で観た後に、DVD化された時に買って、頻繁に観ていた時期もあった。「かわら版」のインタビューにも思わず付箋を貼ってしまった箇所がいくつかある。自分のなかでは、噺だろうが話だろうがこの人の言葉を聴くだけでありがたいというような存在、というと少し大袈裟だが、そんな色のある存在であることは確かだ。インタビュー記事では以下のやりとりのなかのある部分に付箋が貼ってある。
(以下引用)
小三治 今のところの私の理想の落語はお伽話です。父親が半分居眠りをしながら子供に「ねえねえ、その先は」って言われて「おうおう」って答える。トロトロお伽話をする。そこには山場もない、なんにもないんですよ。だけど聞いている子供は父親のその話から世界がいっぱい見えてくるんですね。それが噺じゃないかと。それに比べて俺の(高座)は言い過ぎだよな。
聞き手 そうは思いませんが…。
小三治 四代目の小さんを聴いてると「何これ」って思っているうちに、どんどん自分が噺の中に入っていっちゃうんです。いきなりバン!っていって「ワー」って笑うようなことはまずないんですよ。そうなりたいんだけど、ただ真似をするだけではダメだということはわかる。心としていつかそうなれるのだろうかというのはありますね。いつかそうなれるのかなあ…。
聞き手 観客と演者とのテレパシーというか、チューニングみたいなものでしょうか。
小三治 わからない人はわからなくてもいいんだ、っていうのかな。でもそんなことを考えること自体がもうあざといんですよ。一所懸命言葉を並べて説得しようとしてるんですね。人が生きているっていう素晴らしい世界が、あんなに落語のなかにいっぱいあるのに、それを無視して自分が押し分けて出てくるっていうのは、みっともないですねえ。
…中略…
小三治 もっと素晴らしい世界があるんだ。もっと大きい何かがあるはずだと思って、そこへ向かって歩んでいく。それが少年でしょ。
…中略…
小三治 今の自分の芸に値打ちがあると思えるならばそのおかげと思うけれども、いかんせんまだ過程ですから。これからどうなるのかはわからない。だから自分が目指す目標なんてないんです。…略…
(以上引用 「東京かわら版」平成24年4 通巻461号 10-11頁)
本日の演目
柳亭こみち 「金明竹」
柳家はん治 「背なで老いてる唐獅子牡丹」
仲入り
花島世津子 奇術
柳家小三治 「茶の湯」
開演:14時
終演:16時25分
会場:三郷市文化会館
土地の品格というか雰囲気のようなものが何故重要かといえば、それによって旨いものを食べることのできる店に出会う確率が大きく変わってくるように思うからだ。そういう点で、今日の最大の課題は昼飯をどこで食べるかということだった。初めての場所ということもあり、ばたばたと慌てるようなことをしたくなかったので、寄り道をせずに三郷へ行った。駅を出て、会場である文化会館に至る大きな通りを眺めて、まぁ想定通りかなと思う。大手の飲食チェーンの店舗がいくつか並び、その間にどこの街にもありそうな中華料理屋がある。どこに入ろうか迷いながら歩いているうちに、飲食店の並びが途切れるところまで来てしまった。その大通りから脇に入ったところにイタリアの国旗がぶら下がっているのを発見。近づいてみるとイタリア料理屋だった。午後1時頃だったが、店に入ると1人分の席を用意してくれた。プリフィックスのようなメニュー構成になっていて「おすすめ」というリゾットをメインしてランチコースにしてもらった。取り立ててどうこうというほどでもないのだが、私としては十分満足だった。リゾットはまずまずで、デザートというコース全体を食べ終えた時に一番記憶が生々しい部分が旨いというのはよいことだ。カボチャのプリンを頂いたのだが、カボチャ感がしっかり出ているところに好感を覚えた。逆に記憶が薄いコースの最初に登場するパンだが、近頃流行らしい米で作ったパンだった。これは普通のイタリア料理屋っぽいもののほうが私は好きだ。
それで落語だが、気のせいかもしれないが、開口一番が直近の落語会とかぶることが多い。今月2日に川口で聴いた三三と喬太郎の二人会でも花どんが「金明竹」を口演して今日もこみちがこのネタなのである。以前にも「初天神」が連続したことがあった。単なる偶然なのだろうか。それとも若手が勉強会のようなことをやっていて、月とか四半期というような単位で課題ネタを決めて演っているというようなことがあるのだろうか。同じネタを比較的短い間隔でいろいろな噺家で聴くのは、聴くほうにとっても勉強になる。勉強、というと大袈裟だが、噺家の個性が強めに感じられて面白い。
寄席の売店や落語会の出店では「東京かわら版」という月刊誌を販売している。普段は見向きもしないのだが、どういうわけか今日は買ってしまった。「今月のインタビュー」というコーナーがあって、最新号は偶然にも小三治だった。映画の「小三治」でもいい言葉だなぁと感心するところがいくらもあって、神保町の映画館で観た後に、DVD化された時に買って、頻繁に観ていた時期もあった。「かわら版」のインタビューにも思わず付箋を貼ってしまった箇所がいくつかある。自分のなかでは、噺だろうが話だろうがこの人の言葉を聴くだけでありがたいというような存在、というと少し大袈裟だが、そんな色のある存在であることは確かだ。インタビュー記事では以下のやりとりのなかのある部分に付箋が貼ってある。
(以下引用)
小三治 今のところの私の理想の落語はお伽話です。父親が半分居眠りをしながら子供に「ねえねえ、その先は」って言われて「おうおう」って答える。トロトロお伽話をする。そこには山場もない、なんにもないんですよ。だけど聞いている子供は父親のその話から世界がいっぱい見えてくるんですね。それが噺じゃないかと。それに比べて俺の(高座)は言い過ぎだよな。
聞き手 そうは思いませんが…。
小三治 四代目の小さんを聴いてると「何これ」って思っているうちに、どんどん自分が噺の中に入っていっちゃうんです。いきなりバン!っていって「ワー」って笑うようなことはまずないんですよ。そうなりたいんだけど、ただ真似をするだけではダメだということはわかる。心としていつかそうなれるのだろうかというのはありますね。いつかそうなれるのかなあ…。
聞き手 観客と演者とのテレパシーというか、チューニングみたいなものでしょうか。
小三治 わからない人はわからなくてもいいんだ、っていうのかな。でもそんなことを考えること自体がもうあざといんですよ。一所懸命言葉を並べて説得しようとしてるんですね。人が生きているっていう素晴らしい世界が、あんなに落語のなかにいっぱいあるのに、それを無視して自分が押し分けて出てくるっていうのは、みっともないですねえ。
…中略…
小三治 もっと素晴らしい世界があるんだ。もっと大きい何かがあるはずだと思って、そこへ向かって歩んでいく。それが少年でしょ。
…中略…
小三治 今の自分の芸に値打ちがあると思えるならばそのおかげと思うけれども、いかんせんまだ過程ですから。これからどうなるのかはわからない。だから自分が目指す目標なんてないんです。…略…
(以上引用 「東京かわら版」平成24年4 通巻461号 10-11頁)
本日の演目
柳亭こみち 「金明竹」
柳家はん治 「背なで老いてる唐獅子牡丹」
仲入り
花島世津子 奇術
柳家小三治 「茶の湯」
開演:14時
終演:16時25分
会場:三郷市文化会館