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落馬洲に行ってみようと思った。日本で生まれ育ったので国境というものを見たことがないままに社会人になった。日本人であっても朝鮮半島や樺太の南半分が日本領であった時代の人はそういうところに行けば国境というものを見ることができた。今はそういうわけにはいかない。素朴に「国境」っていうのはどうなっているのだろう、と思っていた。それで見に行ったのである。それが英国領であった時代の香港と中国との国境だった。1986年1月のことだった。
当時は落馬洲に国境展望台というものがあった。上野の山から西郷さんを取り除いたようなものだが、観光客は少なく、何人かの絵葉書売りのおばさんがいるだけの長閑なところだった。香港からは九広鉄道で上水へ行き、そこから元朗行きのバスにのって落馬洲で下車する。上水の駅は完成間もない頃の南浦和のような風情だったが駅前には露店がびっしりと建ち並び、至るところから蒸し物の蒸気が上がっている活気のあるところだった。そこで食べた肉まんが美味しかったのを今でも記憶している。バスはガラガラで、乗車するときに落馬洲へ行くかと尋ねたら行くというので乗車したものの、客は私以外に数人だった。田圃が広がる場所でバスが停まり、運転手が客席のほうを振り返って何事かを叫んだ。そこが落馬洲らしい。私が席から立ちあがると運転手がニッコリした。バスが行ってしまうと長閑というより寂しい感じの場所だ。田圃だと思ったところは、後で聞いたところ鴨池だそうだ。バス停から国境展望台までは畦道のように鴨池を貫く一本道で、その先がこんもりとした丘のようになっていた。国境展望台からは遠くのほうにビルが立ち並ぶ深センの街が見えた。
今日は落馬洲へ出かける途中、太和で下車して香港鉄路博物館に寄る。実際に使われていた駅舎や車両が展示されているだけのところで、博物館というほどのものではない。それでも週末の所為もあるのだろうが見学者がひっきりなしに訪れ、中国本土からの観光バスもやってくる。すぐ隣を九広鉄道が走っていて、たまたま中国方面から香港方面へ向かう機関車牽引の列車が通った。速度を落として走行していたので車窓の中がちらりと見えたが、羅湖や落馬洲で乗り換えてやってくる人々とは雰囲気の違う人たちが乗っているようだった。
太和から落馬洲行きの電車に乗る。そこそこに混んでいて、ほぼそのままの状態で落馬洲駅に到着。かつて遠くにあった高層ビル群が間近に迫り、鴨池が広がる様子はなかった。乗客は怒涛のように中国本土へ向かう列車が待つホームへ向かって流れて行った。その流れが落ち着いたところで出口を探したのだが、見当たらない。駅の案内所に行って聞いてみたところ、ここでは駅から外へ出ることはできないらしい。仮に外へ出たとして、警備中の警察官に見つかったら逮捕されるというのである。国境展望台はもうないらしい。
とりあえず香港方面へ向かう電車に乗って一駅戻る。なつかしい上水で下車する。見たこともない風景が広がっている。駅は南浦和よりも立派になり、ローターリーを挟んで商業ビルと高架橋で連絡している。ロータリーと商業ビルの地上階がバスターミナルだ。その昔、肉まんを買った露店があったのは、今のロータリーのあたりだっただろうか。駅前の地図でバス停の位置を確認すると元朗行きのバス(路線番号77K)は商業ビルの地上階から出るらしい。その乗り場に行ってみるとバスは停車していたが運転手の姿はなく、バス停には3人ほど並んでいた。待っている人がいるのだからそのうち出発するのだろうと列の後ろに並ぶと程無くして運転手が戻ってきた。入口の扉が開き列が動く。迷うことなく2階の先頭の席に座る。運転席の真上。2階席は楽しい。
駅前は南浦和以上に開けていたが、10分も走ると道路は狭くなり、往来は閑散とし、緑が深くなってくる。ダブルデッカーがすれ違うのがやっとという道路になりバスすれ違うときには徐行する。しかし運転手同士は互いににこやかに手を振って挨拶している。いい雰囲気だ。昔はこの元朗行きのバスで落馬洲で途中下車したはずだが、今はそれらしいところを通らない。出発してしばらくはバス停に止まる度に下車する客ばかりで乗車する客がいなかったのだが、やがてバス停で止まることなく走り続けるようになり、そのうちバス停に止まる度に誰かしら乗車するようになる。いつのまにか道路が広くなるが、車窓の風景は緑が多い。高架鉄道が見えてきて駅があったので元朗までは行かずにそこで降りることにする。MTRの錦上路という駅だ。昔来たときはまだMTRがなかったので元朗まで行って、そこでバスを乗り継いで香港市街へ戻ってきたはずだ。
錦上路からは香港とは反対方面行きの電車に乗る。元朗を通り越して天水圍で下車。この駅の近くに屏山文物径という歴史的景観保存地区がある。13世紀、元の時代にまで遡る地区らしいのだが、さすがにその時代のものは壁や建物の土台などの一部で、総体に18-19世紀くらいのものだろう。景観保存地区といっても、そこで生活している人たちがいて、そういうところを他所から来た観光客がうろうろするというのはいかがなものだろうかと思いながら、自分もその「うろうろ」のひとりなのである。高台の上にかつて警察署だったという建物が博物館として公開されている。景観保存地区から少し外れたところにあるので人の往来はほとんどないが、全くないわけではない。私が中に入ったとき、先客が3人いたが、3人とも館内の見学を終えて外に出ようとするところだった。しばらく私ひとりだけになり、私が出ようとするころに1人入ってきた。別館のギャラリーへ行ってみるとさきほどの3人がいて、というような塩梅だ。香港は英国の植民地になってから急速に開発された地域で、それ以前は辺境だったので、そうした特異な歴史というか中途半端な感じというか、ちょっと考えさせられるところがある。何を考えさせるかということは、ここには書かない。
天水圍からMTRに乗って柯士甸で下車。九龍公園のなかにある香港文物探知館を訪れる。さきほど辺境と書いたが、「香港の歴史」というときに先史時代にまで遡って展示がなされているのである。それは以前に訪れた香港歴史博物館でも同じことだ。わずかなスペースで先史から現代まで一気に見せる、見せられるところが香港なのである。
週末の九龍はたいへんな人出で、歩いているだけで疲れてしまうので、MTRで香港島に渡り、昨日訪れた茶具文物館を再訪し売店で土産にする茶を買う。ここでは試飲はできないが茶葉の香を嗅ぐことができるようになっていて、一番気に入ったのは台湾産のものだったので、改めて香港の業者のものから選び直す。
昨日と同じくトラムで宿の近くへ戻り、ケバブーを買って宿の部屋でいただく。