熊本熊的日常

日常生活についての雑記

正月らしさ

2011年01月03日 | Weblog
元旦は夜しか外出せず、昨日は終日引き篭もっていたので、今日は少し出かけてみようと外に出た。しかし、あまりに人も車も往来が活発なので、近所をぐるっと一回りしただけで帰宅してしまった。

今日は住処周辺の雑踏を抜けて千石方面へ足を伸ばしてみた。巣鴨駅周辺を過ぎ山手線の内側へ入ると、まだ営業していない店舗が多くなる。白山通りを南下して、以前から気になっていた千石カフェを訪ねてみる。すると営業していた。先客はパソコンを開いている女性客、カレーを食べている二人連れの計3名。それほど広くない店内はカレーの香りに満ちていた。今日も遅い時間に起床して中途半端な時間にきしめんを食べただけだったので、よほどカレーライスを注文しようかと心が揺れたのだが、初めての店ではブレンドコーヒーと自家製ケーキがあればケーキということに決めているので、千石ブレンドとブラウニーケーキをいただく。注文を受けてから豆を挽くのは当然として、味のほうは万人受けする無難なものだと思う。やや香りが強めに出ているかもしれない。ベースはケニアか。スウィーツは「ブラウニー」ではなく、「ブラウニーケーキ」であるところがミソ。ブラウニーより軽めに焼けている。ちゃんと皿がチョコクリームと蜂蜜でデコレーションされている。トッピングのミントの葉が新鮮な上に量も多め。これは飾りだと思って残してしまう人も多いかもしれないが、ブラウニーのような濃い目の味のケーキの後に頂くことでケーキを味わうという作業が完結する。単なる飾りや口直しではなく、ケーキの一部なのである。残すべきではない。場所も便利なので、これならいくらでも客が入るだろうと納得する。

カフェを出て白山通りの向かいに和菓子屋が目に入ったので、そこに向かう。この店は栄泉堂岡埜という。創業は明治20年頃だそうだ。店の名前には駕籠町と冠されている。現在はこの店の位置するあたりは文京区本駒込だが昭和41年までは駕籠町という名前だった。

何故、駕籠町かというと、話は元禄時代へ遡る。当時、このあたりは巣鴨村と呼ばれていたそうだ。元禄10年(1697年)に幕府の御駕籠の者51名にこのあたりの土地が与えられた。御駕籠と「御」が付くことから想像が付くが、ただの駕籠かきではない。将軍専属の御駕籠係である。それで巣鴨御駕籠町という名前になったという。明治2年に「御」が取れた。将軍がいなくなったのだから、という極めて官僚的理由だ。明治5年に旧加賀藩中屋敷の前田邸が合併された。この前後、六義園が岩崎弥太郎に払い下げになったときに、この界隈も併せて岩崎家へ売却された。明治24年には小石川駕籠町と町名が改められ、大正11年には住宅地として開放された。六義園は岩崎邸として整備され、昭和13年に東京市に寄贈されて今日の都立庭園に至るが、その周辺は三菱財閥によって屋敷街として区画整理され、当時の政財界要人が居住したという。駕籠町は現在の文京区本駒込6丁目のほぼ全域と本駒込2丁目の都立小石川高校、駕籠町小学校、およびその南東の一画にあたる。

加賀藩といえば、東京大学の本郷キャンパスが加賀藩上屋敷跡であることは有名だが、中屋敷が本駒込で、下屋敷が現在の板橋あたりであったことも知られているだろうか。板橋区には加賀町という地名があることから、地元の人々はさすがに知っているだろうが、本郷、本駒込、板橋といずれも中山道沿いにある。本郷から板橋にかけては、まるごと加賀藩領のような感がなきにしもあらずだ。「高津の富」という落語のなかで、主人公の爺さんが宿屋の亭主に大風呂敷を広げるのだが、そのなかで「屋敷の門をくぐってから家に着くまで駕籠で3日かかる」というくだりがある。屋敷のなかに「表の宿、中の宿、奥の宿と宿場町が3つあって、それぞれに繁盛してます」と語るのだが、荒唐無稽な表現とは必ずしも言えないだろう。本郷から板橋まで歩いても3日はかからないにしても、封建時代の権力者の屋敷というのは、今とは比較にならない広大なものであったことは確かだ。

この本駒込6丁目は、私が学生時代に家庭教師をしていたお宅があった場所でもある。当時の記憶を頼りに歩いてみたら、当時の姿のままで、そのお宅があった。人が住んでいる気配はないが、手入れはされているようで、荒れてはいない。表札も当時のままだ。このお宅は日本橋馬喰町にもお宅があり、当時も本駒込のお宅と日本橋のお宅とを代わる代わるお邪魔していた。屋敷の雰囲気から察するに御商売のほうは順調なのだろう。

大きな屋敷が相続などの関係で家主の死後に分割されて敷地が細分化されるというのはよくあることだが、駕籠町も例外ではないようだ。栄泉堂岡埜の奥さんのお話では、バブル崩壊の頃に様相が一変したのだそうだ。それでも、まだまだ往年の面影は残っているほうではないだろうか。この近くでは染井のあたりにも趣のある住宅街が残っている。

さて、栄泉堂岡埜では栗きんとんと枝豆大福を買った。生協で調達した栗きんとんも、実家で食べた栗きんとんもいまひとつ満足できなかったところに、この店で「自家製栗きんとん」という札が目に入ったので、思わず買ってしまった。住処に戻って頂いてみたら、餡は芋の味が勝っているが、それでもたいへん美味しい栗きんとんだ。これで、なんとなく正月を無事に過ごしたような気分になった。

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