宿の近くの店で土産物を買い、ほかの荷物と一緒にまとめて宅配便で自宅へ送る。身軽になって宿をチェックアウトして、大船渡線で一ノ関へ行く。
宿から気仙沼駅までは宿の送迎車を利用。駅では、どのような事情なのか知らないが、地元の幼稚園児が列車の発車時間に合わせてかわいらしい踊りを披露してくれた。音楽の機材の調子が悪いところがあって踊りの時間が延びてしまい、少しハラハラしたが、一ノ関行きの列車の発車時刻までには無事に終わり、発車のときにはホームに整列して見送ってくれた。なんだか嬉しい。
一ノ関に着いたのが昼過ぎ。駅を出てまっすぐ駅前の観光案内所に行き、飲食店を教えてもらう。近頃は携帯端末で検索したり、ネットで話題になっているところに出かけてみたりすることが当たり前のような時世だが、わからないことは人に尋ねるに限ると思う。殊に「餅は餅屋」などというように、土地のことは土地の人に尋ねるのが間違いないと思うのである。案内所の人は蕎麦屋と郷土料理の店を教えてくれたので、郷土料理のほうを目指して歩きだす。
地方都市の駅前は、どこも似ている。かつて商店であった痕跡のある建物が広めの道路に並び、妙に広く感じられる空が広がる。今でも多くの人々が暮らしているはずなのに、この旧商店街で買い物をしていた人たちはどこへ消えてしまったのだろうと、不思議に思うのである。空き店舗が並んでいても、街が荒廃しているというわけではない。人の暮らしはあるので、そこそこにきれいになっている。そういう静かで清潔な街を歩いて15分ほどのところに駅前で教えてもらった郷土料理の店があった。敷地は広く、石造りの蔵のような建物が中庭を囲むように4棟ある。売店、カフェ(改装工事中)、資料館・郷土料理店、ビール工場・イベントホール。ここの郷土料理は餅料理だそうだ。
餅料理というのは、椀ごとに異なる餡をかけた餅が入っていて、それが複数供されるもので、一関・平泉には約300種類のこうした餅があるのだそうだ。たいへん贅沢なものだと思う。食べ方には作法があって、それが冊子になって店のテーブルにある。こうした餅の文化というのは知らなかった。餅はそうたくさん食べることはできないものだが、そういうものをたらふく用意するというところに何か意味があるような気がする。
入口が別になっているが、料理店と同じ建物に資料館がある。酒造についての展示と地元発の文学についての展示だ。酒造については他の土地でも同じようなものを見学したことがある。文学のほうは、人と土地の結びつきのようなものがあるような気がして面白い。井上ひさしの作品で、一関近くの架空の町を舞台にした『吉里吉里人』という作品があるが、彼が中学生のころ、ここの土蔵で暮らしていたという。
この料理屋の近くに旧沼田家武家住宅というものがある。一関藩の家老職の住宅だが、一関藩は独立した藩ではなく仙台藩の支藩であったという。家老職の屋敷というものを他で見たことがないので、比較のしようがないのだが、そうした藩の位置づけの所為もあるのか思いの外質素なものと感じた。この住宅が建てられた当時の建築技術のことは全く知らないのだが、柱や床が手斧で加工されている。鉋で平らになったものに慣れた感覚からすると、リズミカルな凹凸が心地よく、家屋という物理的空間とイエという心的空間との重なり具合が良い感じがする。家老の屋敷として使われていた頃は敷地がもっと広く、屋敷にも別棟や蔵などが付随していたのだろうが、今こうして保存されている範囲のものが自分が考える当たり前の暮らしにはちょうどよい印象だ。生まれてこのかた、ちょうどいい塩梅の家というもので暮らしたことがない。死ぬまでに、せめて5年くらいはそう思える家で暮らしてみたいものだと思うのだが、こういう家が理想だ。
旧沼田家住宅から駅へ向かう途中、図書館の脇に蒸気機関車が展示されているのを見つけた。C58103で、昭和13年に大阪の汽車製造で製造され、主に東北で使用され、最後は一関機関区で大船渡線で運用されたそうだ。昭和47年に永久保存機として国鉄から一関市に移管されたとある。なぜなのか知らないが、蒸気機関車がこのように唐突な感じ保存されているのを時々見かける。蒸気以外の機関車や車両が公共施設の片隅になんとなく置いてあるというのはあまり見かけないが、なぜ蒸気機関車は特別なのだろう?