熊本熊的日常

日常生活についての雑記

気仙沼 2日目 大島・唐桑

2019年07月07日 | Weblog

レンタカーで大島と唐桑へ行く。

先月の読書月記にある網野善彦の『古文書返却の旅』の8章が「陸前への旅―気仙沼・唐桑」だ。この本を手にしたのは今回の旅行のためではなく、昨年11月以来の個人的な万葉集ブームのなかで、当然に「日本」とは、という問題意識が生じたなかで巡り合った。本書に登場するのは「大島村の村上茂夫家、鹿折村の尾形忠行家」、唐桑村の「鮪立の古館、鈴木国雄家文書」である。家の蔵に古文書が残っていることの意味はここでは触れないが、地域の歴史のなかでその家が重要な役回りを演じていたということは確かである。本書によると「唐桑が太平洋の海の道を通じて、中世以来、江戸初期までに南は紀伊の熊野や讃岐、北は松前と交流し、紀伊から新しい漁法を導入、松前からは金や昆布がもたらされるような港であったこと、また鈴木家も紀伊からこの地に移ったとされ、実際、江戸初期に紀州の太地などと密接な関係を持ち、金山の経営にも関わっていたと見られることなども知った。そして、漁撈による海産物、鰹節、塩、さらに金、銅、漆、茶、材木などが船を通じて各地に運ばれており、唐桑は都市的な色彩の濃い地であることを確認」(125頁)とある。

現在、唐桑には「唐桑御殿」と呼ばれる大きな屋敷がたくさんある。これは当地の主産業である遠洋漁業に従事する人が、誇りと心意気を表現するべく豪華な自宅を建てる習慣によるもの、という説明が案内のチラシなどに書かれている。おそらく、遠洋漁業が産業として成り立つ以前から、この地には豪華な屋敷が並んでいたのではないだろうか。だからこそ、世帯主たるものは立派な屋敷を構えてこそ一人前という価値観が醸成されていたのではないか。遠洋漁業で経済的に恵まれたからというだけではなく、歴史に培われた土地の価値観が大きな屋敷の建設を生むのではないかと思った。『古文書返却の旅』には大島も登場する。「大要害の旦那さん」こと村上茂次氏のお宅では「二箱ほどの長持には、ぎっしりと古い書籍がつまっていた」のと遭遇。この島も同じ文化圏なのだろう。

レンタカーを借り、まずは大島を目指す。この4月7日に気仙沼大島大橋が開通、橋に続く前後の道路がきれいに整備されている。橋そのものが観光の対象でもあるようで、橋の袂に駐車場があり、そこに車を停めて歩いて橋を渡っている人の姿がある。この橋は宿からも見えるが、美しいアーチ橋だ。聞くところによると東日本最長のものらしい。しかし、借りた車のカーナビの地図データにはまだ記録されていないようで、目的地を大島の中にあるものに設定するとフェリーを使うルートが表示される。橋の開通に伴い、フェリーの運行はなくなってしまったので、今となっては幻のルートだ。大島に渡るまでは道路標識やあちこちに掲げられている案内の看板を頼りに運転する。

大島も初めての土地なので、まずは島で一番高い亀山の中腹にある大嶋神社に参拝。手入れが行き届いている様子で、手水も階段も境内もきれいだ。あちこちの神社にお参りしているが、なかには由緒ある構えの立派なところでも手水が汚れていたりするところもある。それは神社を管理している人の責任であるが、氏子や地域の人々の世界観の破綻の一端を表しているということでもある。その地域を代表するような神社のありようというのは、実はとても大事なことだと私は思っている。そういうこともあって、初めての土地ではそこの神社にお参りすることにしている。

亀山の山頂からは気仙沼が一望に眺望できるらしい。山頂に行くには、神社の手前の駐車場に車を置いて、そこからシャトルバスに乗らないといけない。そこまではしなくていいだろうと思い、参拝の後は車で島の南端にある龍舞崎へ行く。気仙沼市街に比べると交通量は各段に少ない。それでも龍舞崎の第一駐車場のほうは満車に近い状態だ。とは言っても静かなものである。遊歩道で岬の先端までいく。駐車場付近は紫陽花が咲いていて、ちょうど盛りのようだ。

今日はこの後、唐桑へ向かう。どこに行くにも大橋を渡らないといけない。橋に向かう途中でみちびき地蔵を拝む。このお地蔵様は古いものだったらしいが、震災で被災し、今拝むことができるのは再建されたお地蔵様だ。道路から外れたところにある、かつての日本の田舎ならどこにでも見られたようなお地蔵様だ。その所為か、なぜか懐かしい気分になる。

カーナビに従って山道を通って唐桑へ。地図ではこの道の北側に国道45号線があり、そちらのほうが走りやすいだろうと思うのだが、敢えてナビに逆らうだけの土地勘があろうはずもなく、「え~この道なのぉ?」と思いながら対向車が来ないことを祈りたくなるような県道を往く。

唐桑に向かう道中、カーラジオで木村拓哉がMCの番組が流れていて、ゲストが糸井重里だった。こじつけといえばこじつけだが、今、自分が気仙沼にいるそもそものきっかけは「ほぼ日」である。東日本の震災からしばらくして「ほぼ日」で気仙沼の斉吉のことが紹介されていて、『おかみのさんま』を読み、「金のさんま」などを買うようになったのである。そしていつか気仙沼というところを訪れてみたいと思っていて、今回の旅行がある。このラジオも私にとっては珍しいことだ。レンタカーを利用するときは、たいていラジオはかかっていない。今回はレンタカーの事務所の人が気を利かせたのか、整備をしながらかけていて切り忘れたのか、車のエンジンを入れたときからラジオがかかっていた。なしにろ、年に数えるほどしか車を運転しないので、ラジオの切り方がわからない。それで、そのままにして運転していたら糸井重里がゲストに出ている番組になったのである。おもしろいものである。

山道を抜けて唐桑半島に入って、交通量がやや増えるが、それも一時のことで、静かな道で半島先端のビジターセンターを目指す。

ビジターセンターは静かだ。ちょうど子猫が迷い込んできたところで、その静けさがほんの少し揺らいでいた。津波と震災についての展示が多く、ここでも8年前の震災の様々な意味での大きさを感じる。ビジターセンターの裏から遊歩道が海岸や御崎神社へ通じている。最寄りの御崎神社に参拝する。

昼時だったので、ビジターセンターで食事処をいくつか教えてもらう。唐桑は気仙沼市街とは違って商店なども少なく、この地域の幹線である気仙沼唐桑線沿いの寿司屋はなんとなく通過。漁協や郵便局のあるエリアに立地する店を比べてみて、民家風の店のほうにお邪魔する。とにかく人の気配のあまりないところなので、午後2時近いとはいえ、他に客はない。家族で経営しているらしく、小さな男の子が水などを出してくれる。そんな風なので、自然に気持ちも和んで店の人といろいろ会話も弾む。ここに店を構えるようになった経緯、震災前のこと、震災後の復興事業について思うこと、などなど興味深いことをたくさん伺った。「気仙沼」とひとくくりにはできない、それぞれの地域の事情もあるようだ。それは当然だろう。

食事の後、せっかくなので巨釜へ行ってジオパークっぽい風景を眺めてから気仙沼市街方面へ戻る。復路でもカーナビが選んだ道は、あの峠道だった。気仙沼港を通り過ぎ、リアス・アーク美術館を訪れる。

立派な建物だが、我々以外に客がいないことに驚く。意図せず貸し切り状態だ。しかも、展示が興味深いものばかり。尤も、民俗資料は地元の人たちにとっては当たり前のものだろうから、敢えてこういう施設で見学しようとは思わないだろう、とも思う。圧巻は津波の被害の痕跡物だ。車とか家屋の構造物とかプロパンガスボンベといった頑強なものがこんな姿になるのかと、ただ唖然とした。


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