先日来、聖地ということが気になっている。聖地とは何か、ということを考えると、それ以前に宗教とは何か、という問題に突き当たる。
以前、ミッション系の学校を出たという人と話をしていて、倫理観の話題になったことがある。善悪の基準を何に求めるのか、というのである。その人はキリスト教徒というわけではないのだが、幼年時代からキリスト教の倫理観に慣れ親しんだ所為で、そこに行動規範の拠り所のようなものがあるという。自分はそのようなことを考えたことがなかった。よくよく話を聞いてみると、そのような立派な教育をしている学校でもいじめはあるらしい。個人的な経験から言うなら、いじめられる人にはある共通した特長がある。それが何なのか、ここでは書かない。ただ言えることは、いじめというのは、いじめる側からすれば、ある種の自己防衛反応だと思う。倫理以前に、生物として自分の脅威となる対象の排除を図るということだ。イエスが当時の権力者に迫害された(ことになっている)のは何故か、ということに通じることでもある。千利休が切腹させられたのは秀吉の気紛れではないだろうし、イラクのフセイン政権が殲滅されたのは、ブッシュ米大統領の浅薄な思慮によるものでもないだろう。学校の学級という数十名単位の集団であろうと、国際社会という数億人の集団であろうと、それぞれの集団の単位で、その集団を防衛しようとする集合的意志が働いている。この集合的意志というのが曲者なのである。ある集団の性質は、その構成要素の性質とは独立に規定されるものである。人徳のある人々の集団が、必ずしも集団として人徳を備えたものにはならないのである。
宗教も政治も人々の生活を支える原理的なものとして存在し、しかも、そこには常に白黒つけがたい領域が残される。その解釈が分かれる領域がある限り、そこに権力闘争の舞台が見出される。そもそも我々の生活現場に白黒つけられるものなど無い。物事は連続したものとして存在するからだ。その闘争を制するのは、権威の確立に成功した勢力である。自分が何を「正しい」と考えるか、ということではなく、自分をさておいて多数の他人が何を「正しい」と考えるか、ということを予想し多数の支持を集める営みが権力闘争である。
人の気持ちや考えというものは時々刻々と変化する。自分自身さえ時間が経てば赤の他人と同じである。そうした不安定な状況において、多数の人々から支持を集め続けるには、その主義・主張がわかりやすくなければならない。絶対的存在というのは、わかりやすいのである。どんなことも、その絶対的存在の思し召しという結論にすればよいのである。だから、実体のあるものを絶対者としてしまう考え方は必ず破綻する。それは現実の変化に耐えないからだ。実体の無いものなら、解釈次第でいくらでも「存在」させ続けることができる。
現在の社会において、そうした絶対者というのは、例えば「民主主義」とか「自由」あるいは「福祉」といったことではないだろうか。環境問題も、正解の無い領域である。つまり、環境ネタの権力闘争はこれからいくらでも起こるだろう。それが、天然資源の再配分問題と関連づけられるかもしれないし、単純に覇権主義と結びつくのかもしれない。どのような形であるにせよ、「環境」と名のつくものには日毎にきな臭さが強くなっているように感じられる。
ところで、聖地だが、そこは絶対的存在を感じさせる雰囲気がないと聖地として認知されないだろう。その昔、エルサレムを訪れた英国人画家が落胆したのは、彼等がイメージする聖なる雰囲気がそこに無かったからだろう。
はるか昔、ドイツのアウグスブルクという町で一人暮らしの老婦人の家に居候をしていたとき、その婦人がエルサレムに遊びに行ったという話をしてくれた。彼女は一応カトリックらしいのだが、特に信心深いというわけでもないようだった。教会には殆ど出かけることもなく、神父の説教は退屈だと公言して憚らない。そんな人でも、エルサレムという場所には感じるものがあったようで、たいへん感激していた様子だった。彼女に言わせれば、本当に神がいるとすれば、神は異教徒に対しても寛大であるはずだというのである。だから、エルサレムがユダヤ教やイスラム教にとっても聖地であるなら、そこで共存すればよいだけのことだという。むしろ、キリスト教系の新興宗教の排他性や狭量さを嫌悪していたのが印象的だった。そんな人だったから、普段は教会などにあまり足を運ばないのだが、私が居候をしている間は、私を市内のあちこちの教会に案内してくれた。
それよりももっと昔、インドのヴァーラーナスィーを訪れたことがある。ここはヒンドゥー教の聖地だ。この地で死んだ人は輪廻から解脱できると信じられているそうだ。だから、喜捨に頼りながら、ここで死を待っている人たちもいる。あくまで死を待つのであって、勝手に自ら死んではいけないらしい。そうした人たちのための宿泊施設がいくつもあり、聞いた話では、出身地によってそうした施設が分かれているとのことである。迷路のような街路を通りぬけてガンジス川に面したガートと呼ばれる場所に出ると、人々が沐浴をしている。ガートの階段に腰掛けて、そんな風景を眺めていると、沐浴をしている人たちが私に手招きをして、一緒に沐浴しろという。いいよいいよ、と断っていると、やがて子供たちが走りよってきて、私の手を取り、川に入ろうとせきたてる。言葉はわからないのだが、そう言っているように聞こえた。さすがに居づらくなって、声をかけてくれた人たちに笑顔で手を振って、その場を後にする。彼らも笑顔で手を振ってくれる。彼等にとっては、一見して私は異教徒に見える(はずだ)が、聖なる場所での聖なる行為に誘ってくれるのである。
聖なる場所、というのは排他性を伴うわけではなさそうだ。おそらく、聖なる力への信頼が厚いほど、他者に対して寛容になることができるのではないだろうか。逆に、狭量さは自信の無さの一表現形態と言えるのだろう。神聖にして侵してはいけない場所というのは、神聖さの根拠がそれだけ希薄であるということを象徴するものなのだろう。
以前、ミッション系の学校を出たという人と話をしていて、倫理観の話題になったことがある。善悪の基準を何に求めるのか、というのである。その人はキリスト教徒というわけではないのだが、幼年時代からキリスト教の倫理観に慣れ親しんだ所為で、そこに行動規範の拠り所のようなものがあるという。自分はそのようなことを考えたことがなかった。よくよく話を聞いてみると、そのような立派な教育をしている学校でもいじめはあるらしい。個人的な経験から言うなら、いじめられる人にはある共通した特長がある。それが何なのか、ここでは書かない。ただ言えることは、いじめというのは、いじめる側からすれば、ある種の自己防衛反応だと思う。倫理以前に、生物として自分の脅威となる対象の排除を図るということだ。イエスが当時の権力者に迫害された(ことになっている)のは何故か、ということに通じることでもある。千利休が切腹させられたのは秀吉の気紛れではないだろうし、イラクのフセイン政権が殲滅されたのは、ブッシュ米大統領の浅薄な思慮によるものでもないだろう。学校の学級という数十名単位の集団であろうと、国際社会という数億人の集団であろうと、それぞれの集団の単位で、その集団を防衛しようとする集合的意志が働いている。この集合的意志というのが曲者なのである。ある集団の性質は、その構成要素の性質とは独立に規定されるものである。人徳のある人々の集団が、必ずしも集団として人徳を備えたものにはならないのである。
宗教も政治も人々の生活を支える原理的なものとして存在し、しかも、そこには常に白黒つけがたい領域が残される。その解釈が分かれる領域がある限り、そこに権力闘争の舞台が見出される。そもそも我々の生活現場に白黒つけられるものなど無い。物事は連続したものとして存在するからだ。その闘争を制するのは、権威の確立に成功した勢力である。自分が何を「正しい」と考えるか、ということではなく、自分をさておいて多数の他人が何を「正しい」と考えるか、ということを予想し多数の支持を集める営みが権力闘争である。
人の気持ちや考えというものは時々刻々と変化する。自分自身さえ時間が経てば赤の他人と同じである。そうした不安定な状況において、多数の人々から支持を集め続けるには、その主義・主張がわかりやすくなければならない。絶対的存在というのは、わかりやすいのである。どんなことも、その絶対的存在の思し召しという結論にすればよいのである。だから、実体のあるものを絶対者としてしまう考え方は必ず破綻する。それは現実の変化に耐えないからだ。実体の無いものなら、解釈次第でいくらでも「存在」させ続けることができる。
現在の社会において、そうした絶対者というのは、例えば「民主主義」とか「自由」あるいは「福祉」といったことではないだろうか。環境問題も、正解の無い領域である。つまり、環境ネタの権力闘争はこれからいくらでも起こるだろう。それが、天然資源の再配分問題と関連づけられるかもしれないし、単純に覇権主義と結びつくのかもしれない。どのような形であるにせよ、「環境」と名のつくものには日毎にきな臭さが強くなっているように感じられる。
ところで、聖地だが、そこは絶対的存在を感じさせる雰囲気がないと聖地として認知されないだろう。その昔、エルサレムを訪れた英国人画家が落胆したのは、彼等がイメージする聖なる雰囲気がそこに無かったからだろう。
はるか昔、ドイツのアウグスブルクという町で一人暮らしの老婦人の家に居候をしていたとき、その婦人がエルサレムに遊びに行ったという話をしてくれた。彼女は一応カトリックらしいのだが、特に信心深いというわけでもないようだった。教会には殆ど出かけることもなく、神父の説教は退屈だと公言して憚らない。そんな人でも、エルサレムという場所には感じるものがあったようで、たいへん感激していた様子だった。彼女に言わせれば、本当に神がいるとすれば、神は異教徒に対しても寛大であるはずだというのである。だから、エルサレムがユダヤ教やイスラム教にとっても聖地であるなら、そこで共存すればよいだけのことだという。むしろ、キリスト教系の新興宗教の排他性や狭量さを嫌悪していたのが印象的だった。そんな人だったから、普段は教会などにあまり足を運ばないのだが、私が居候をしている間は、私を市内のあちこちの教会に案内してくれた。
それよりももっと昔、インドのヴァーラーナスィーを訪れたことがある。ここはヒンドゥー教の聖地だ。この地で死んだ人は輪廻から解脱できると信じられているそうだ。だから、喜捨に頼りながら、ここで死を待っている人たちもいる。あくまで死を待つのであって、勝手に自ら死んではいけないらしい。そうした人たちのための宿泊施設がいくつもあり、聞いた話では、出身地によってそうした施設が分かれているとのことである。迷路のような街路を通りぬけてガンジス川に面したガートと呼ばれる場所に出ると、人々が沐浴をしている。ガートの階段に腰掛けて、そんな風景を眺めていると、沐浴をしている人たちが私に手招きをして、一緒に沐浴しろという。いいよいいよ、と断っていると、やがて子供たちが走りよってきて、私の手を取り、川に入ろうとせきたてる。言葉はわからないのだが、そう言っているように聞こえた。さすがに居づらくなって、声をかけてくれた人たちに笑顔で手を振って、その場を後にする。彼らも笑顔で手を振ってくれる。彼等にとっては、一見して私は異教徒に見える(はずだ)が、聖なる場所での聖なる行為に誘ってくれるのである。
聖なる場所、というのは排他性を伴うわけではなさそうだ。おそらく、聖なる力への信頼が厚いほど、他者に対して寛容になることができるのではないだろうか。逆に、狭量さは自信の無さの一表現形態と言えるのだろう。神聖にして侵してはいけない場所というのは、神聖さの根拠がそれだけ希薄であるということを象徴するものなのだろう。