熊本熊的日常

日常生活についての雑記

正月に散策

2013年01月03日 | Weblog

天気が良かったので、昨日今日と昼間は特にあてもなしに外出した。昔と違って、今は2日から営業をしている店が多いので、腹が減っても旨い店に入ることができるし、不意に思い出して入手しなければならないものがあっても、徒歩圏内でたいていのものは揃う。尤も、そうなると商売をしている人は休んでいられないということになる。節目の行事が軽くなるということは、それだけ忙しない時代ということでもある。

昨日は昼前に出かけて、駒込の小松庵で蕎麦をいただき、六義園を散策してから、旧古河庭園、飛鳥山公園を経て、王子稲荷にお参りをして、都電で戻って来た。たまにこの経路で散策をするが、正月で往来が閑散としている通りを歩くのも気分が良いものだ。

巣鴨駒込界隈は寺社仏閣が多い。巣鴨の住処から駒込へ向かう途中、本妙寺の前を通って染井霊園を抜けたのだが、どちらも著名人が眠る場所だ。本妙寺は遠山金四郎影元や千葉周作の墓があるほか、囲碁家元本因坊歴代の墓もある。遠山の金さんというのはいつの時代の人なのかと思っていたが、かなり幕末に近い時代と知った。また、この寺には明暦大火供養塔もある。明暦大火当時、この寺は本郷丸山、現在の文京区本郷5丁目にあったが、1910年に現在の場所へ移転している。明暦大火の火元として本郷にあったこの寺の名が挙がることがあるが、今となっては真相は藪の中だ。染井霊園は桜の名所でもあるが、岡倉天心や高村光雲・光太郎・知恵子、安岡正篤といった人たちが眠る場所でもある。

六義園から旧古河庭園を経て飛鳥山までは本郷通りを歩く。これは江戸時代の日光御成街道がもとになっている。御成街道というのはいわば将軍専用道路だが、将軍だけが通行を許されたというわけではなく、当たり前の街道として利用されてきた。旧古河庭園と飛鳥山の間に西ヶ原一里塚がある。ここは江戸を起点にすると本郷追分の次の一里塚。日本橋から約8キロということになる。道路の真中に榎が何本か植わっているほか、道端にも石垣を巡らした榎の植え込みがある。以前暮らしていた板橋にも、志村坂上に一里塚があったし、都内はけっこう残っている印象がある。

飛鳥山は桜の名所。花見の時期はたいへんな賑わいだが、普段も子供たちの遊び場として人気を集めている。また、ここには3つの博物館があり、なかでも紙の博物館は以前にもこのブログに書いたが、ボランティアの解説員の方の説明もわかりやすく、何時間でも過ごすことのできるところである。ちなみに年末年始は休館だ。

飛鳥山から本郷通りを離れて北へ少し行ったところに王子稲荷がある。ここは関八州の総稲荷。柳沢吉保がここを深く信仰したことが知られており、それと関係があるのかないのか知らないが出世のご利益があるとかで武士の信仰を集めたという。江戸日本橋からは距離にして約10km。江戸時代の人々にとっても少し足を伸ばして行楽するのに良い場所であったようで、広重の『名所江戸百景』にも取り上げられている。王子はここのほかに「王子不動之瀧」と「王子装束榎の木大晦日の狐火」が『名所江戸百景』に取り上げられている。不動之瀧は今は無いが、毎年大晦日には狐に扮した人々が行列を成して王子稲荷へ参る行事は今でもある。

今日はトレーディングポストのセールを覗きに行く。どうも靴との相性がよくない足のようで、快適に履くことのできる靴を入手するのに苦労してきた。この店のおかげで、ようやく靴で泣かされることがなくなった。特に買おうと思っているものがあるわけではなかったのだが、たまたま目が合った店員が、たまたま手にして勧めてくれたものが、冬の新潟市街あたりを歩くのに良さそうに見えたのでサイズを合わせてみた。これから新潟方面との往来ができるので、雪深いところは別途考えるとして、若干足場の良くないようなところを歩くのに適当な靴を用意しておかなければならないと思っていたのである。セールなので現品限りなのだが、サイズがぴったりだったので、その靴を買った。こういうモノとの出会いも縁のような気がする。

日没前に巣鴨に帰投するつもりでいたが、まだ時間に余裕があったので、絵画館に寄ってみた。有名な上に交通の便のよい立地の建物なのだが、いままで足を踏み入れたことがなかった。絵画そのものよりも、そこに並んでいる絵画が語っていることや、この建物の由来が興味深い。この先、何度も足を運ぶとも思えないのだが、いいものを見たという気になった。


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