仕事帰りに「The lure of the east - British Orientalist Painting」という美術展の内覧会を覗いてきた。ここでの「east」とは、地中海の東、中東と呼ばれる地域のことである。17世紀から20世紀初頭にかけて、英国人画家によって、この地域を題材にして描かれた作品の展覧会である。何故、英国人にとって中東が特別な地域であったかと言えば、それは、そこが聖地だからなのである。
聖地とは何だろう。この企画展でもエルサレムを題材にしたものだけでひとつの部屋が設けられている。尤も、そのイメージとは裏腹に、画家たちはエルサレムの現実を目の当たりにして失望したという。おそらく、それが何の変哲も無い中東の一都市であったからだろう。聖地には期待された姿というものがあるということだ。
それでも、19世紀になり、この町の人口構成においてユダヤ人の割合が大きくなると、英国人の間ではユダヤ文化への注目度が高くなったそうだ。そこにイエス・キリストが生きていた時代を想像させるものがあったのだという。一方で、イスラム文化への関心も高くなったという。エルサレムはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教それぞれの聖地である。しかも、これらはどれも一神教である。そうした多義的な空間に、神性を見たのかもしれない。
今回の企画展でも、多くの作品の題材になっているのはイスラム風の風景や文物である。自分の価値観の基盤を成す宗教の聖地は、自分の生活圏の風景とは異質の世界であったということである。つまり、それが異教のものであれ、聖なる場所というのは日常と乖離していなければならないということだろう。
となると、不思議に思うことがある。英国は島国だが、欧州大陸に渡れば、そこから地続きで中国や朝鮮半島にまで到達する。勿論、国境はあるにせよ、人々の生活は風土に結びついているはずなので、国境を越えたからといって急激に変化するものではないだろう。しかし、その僅かの変化を積み重ねることで、聖と俗という二元的な世界の違いを作り出すのである。
かつては、長い距離を移動するのは一大事だった。今は簡単に世界を回ることができる。となると、世界各地の文化の違いというのは、これからますます小さくなるのだろうか。それとも、習慣は容易に変わることはないのだろうか。変わるとしたら、我々の世界は、やがてひとつになるのだろうか。
聖地とは何だろう。この企画展でもエルサレムを題材にしたものだけでひとつの部屋が設けられている。尤も、そのイメージとは裏腹に、画家たちはエルサレムの現実を目の当たりにして失望したという。おそらく、それが何の変哲も無い中東の一都市であったからだろう。聖地には期待された姿というものがあるということだ。
それでも、19世紀になり、この町の人口構成においてユダヤ人の割合が大きくなると、英国人の間ではユダヤ文化への注目度が高くなったそうだ。そこにイエス・キリストが生きていた時代を想像させるものがあったのだという。一方で、イスラム文化への関心も高くなったという。エルサレムはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教それぞれの聖地である。しかも、これらはどれも一神教である。そうした多義的な空間に、神性を見たのかもしれない。
今回の企画展でも、多くの作品の題材になっているのはイスラム風の風景や文物である。自分の価値観の基盤を成す宗教の聖地は、自分の生活圏の風景とは異質の世界であったということである。つまり、それが異教のものであれ、聖なる場所というのは日常と乖離していなければならないということだろう。
となると、不思議に思うことがある。英国は島国だが、欧州大陸に渡れば、そこから地続きで中国や朝鮮半島にまで到達する。勿論、国境はあるにせよ、人々の生活は風土に結びついているはずなので、国境を越えたからといって急激に変化するものではないだろう。しかし、その僅かの変化を積み重ねることで、聖と俗という二元的な世界の違いを作り出すのである。
かつては、長い距離を移動するのは一大事だった。今は簡単に世界を回ることができる。となると、世界各地の文化の違いというのは、これからますます小さくなるのだろうか。それとも、習慣は容易に変わることはないのだろうか。変わるとしたら、我々の世界は、やがてひとつになるのだろうか。