熊本レポート

文字の裏に事件あり

宇城、水俣市民どころか、県民が政治倫理を本気で強いると熊本政界は崩壊するという仮説の検証  第1回

2018-03-21 | ブログ

 政治家には聡明な人もいるが、小賢しい人物もまた多い。
 小賢しい政治家が「高い倫理的義務が課せられていることで議員の品位を保持し、道義的な批判を受けたときは真摯かつ誠実に真実を解明し、その責任を明確にしなければならない」とする政治倫理において、その大方が反するというのは言うまでもない。
「宇城市の土地の無償貸付の土地が市長の配偶者が経営する法人、もしくは団体であった場合、政治倫理上の問題は生じますか」
 宇城市議会において、中山弘幸議員が守田憲史市長に質問すると、
「生じません」
 同市長は回答。
 この話を遡って説明すると平成15年、旧松橋町及び旧三角町との合併(現宇城市)協議に入った旧小川町は、社会福祉法人日岳会が運営する介護支援センター日岳荘に無償提供していた土地について、旧同町議会が「公有地を無償で放置したままでは合併はできない」と決議し、旧同町議会議長と同総務課長が同日岳会に購入を求めた。
 ところが当時、同法人の理事長を兼任していた守田氏(当時県議会議員)は、それを拒否。
「平成10年、公共性及び公益性があるという位置付けで無償提供された経由にある」
 これが理事長職を夫人に譲って同24年、合併後の宇城市長に就任した守田氏の主張。
 一方、質問した中山議員の見解はとなると、配偶者が理事長というのは親等ではゼロの距離であって、「他人の利益を図るべき立場にありながら自己の利益を図っている」という行為で、これは利益相反行為として義務違反というのが背景。
 一定の利益相反行為は違法、規制対象となるが、その法令上で規制対象とならない場合でも当然ながら政治倫理上の問題とはなる。同法人には施設建設での発注にも疑惑の声も上がるが、それ以前の首長の政治倫理上の問題。
 すなわち、「開所(日岳荘)当時は町(旧)の政治的な背景もあって曖昧(無償)にしたのは事実」(旧同町議会議員談)という経由には関係なく、地方自治法での公有財産の管理及び処分(第237条)に基づき旧町議会で出された決議を拒否した時点で、改めて確認された問題。「罪を犯した時に発生するのではなく、容疑を掛けられた時に発動する」という政治倫理の趣旨において、この中山議員の問題視は当然である。
 しかし、そうした状況の続く中で守田市政が再選された結果を見せつけられると、執行者の政治倫理とその市政とは別物という市民観もまた想定される。
 超膨大な我が国の借金は、そのまま40歳代以前の国民には恐怖の年金福祉を想定させるが、その一方で特別老人ホームの余剰金は合計2兆円という異常的な矛盾した状況も我が国には存在。
 社会福祉法人角岳会(阿蘇市)の理事長を務める吉永和世県議会議員は、同理事長報酬額が70万円で、2月までの議長報酬97万円とを合わせると月に167万円の収入。これでは県議会議員なら誰でも福祉法人の理事長職を欲しくなるが事実、その実数も尋常ではなく、それより存在そのものが他県からは「熊本県は異常」と語られる。詳細は後述するが、その異常とは容認してきた熊本県、県民であるという見解。
 全国福祉協議会事務局に「政治家の兼業」(地方自治法での兼業禁止規定)という点で、この県議会議員における福祉法人の理事長兼業を尋ねると、それ以前の政治倫理上から「好ましくない」との一言。
 地元(水俣市選挙区)から130キロ以上も離れた地域で、その主な老人施設と、そこから60キロ、120キロも距離のある保育園施設の2つ(熊本市、天草市)を責任管理している県議会議員の実状を考えると、地元代表としての県議会議員の職務はどうなのかと、水俣市民に尋ねたくもなるが、5選という実績を考えると「将来の年金不安、政治倫理とは別物」という見解にも至る。
 福祉とは奉仕の精神であって、そうした篤志家は称賛され、そして敬われた。ところが変革する社会構造と同時に市民、県民によっては、その福祉も大変貌。
 ところで政治倫理条例において主たるのが、「2親等以内の親族が経営する会社と当該自治体による公共工事の契約制限」である。
 これについて、熊本県議会の該当議員が語る通り平成23年、広島高裁において「当該企業の経済活動の自由、また当該議員活動の自由を制限できる合理性、必要性に欠ける」として、政治倫理条例をもって契約破棄、または辞職を迫った広島県府中市に敗訴を言い渡した。
 だが同26年5月、最高裁は「議員の公正さや議会の信頼を保つための正当な規制で合憲」(裁判官四人の一致した結論)として、広島高裁の判決を破棄し、審理を差し戻した。
 確かに有能な人物が、この政治倫理条例を前に政界入りを固辞した実例も県内には多く、そうした例を背景にしてか「経済活動、政治活動の自由を萎縮効果させるような規制(4条)の前に資産公開等の改善で妥当」(県立大学某准教授説)という主張も出る。しかし、地方の野党議員が政治倫理に疎いのと同じく、小賢しい政治活動と、その経済活動における弊害は一般市民の性善説には限界があって、その市民が求める公正な社会上ではベターな最高裁の判決。
 この政治倫理条例を熊本県で正面から推進すると、それは「熊本政界の崩壊」に繋がるというのが、知り尽くした建設業界の中での定説。しかし、それは裏を返せば「公共工事を喰っている熊本政界」である。その市民が求めないとする政治社会を容認し、そして育んで来たのは、先述した宇城、水俣市の通り県民だとなると、それは実に皮肉な話。
 異なる四つの社会が、仲良く麻雀しているような熊本県とは県外からの評。そのパンドラの箱を開けるような行為が、何か外から迫って来ているような気配を感じてならない・・・。