熊本レポート

文字の裏に事件あり

まだ100人も知らない熊本県の第19回統一地方選挙 第2回

2019-03-25 | ブログ

 選挙での投票率が最も高いのは60、70代の高齢者で、逆に低いのは20代だと総務省は発表しているが、特に限界集落の多い過疎地(高齢者 )が熊本県の場合も投票率が高いということを考えると、これは10年、20年先の社会に向けて民意を反映させようとしているのではなく今日、明日の政治に意見を述べているといった実状。
 また戦前戦中、戦後の日本とは異なり、生きるか死ぬかの瀬戸際など緊迫した状況が全く想定されない中では、さらに地方選挙の場合、社会に向けて責任感の強い年代ながら投票はするが、その投票は甘く、厳しい判別、選択からの投票には欠けるというのは確か。それが候補者の資質、センスによって議席は得られるのではなく、有権者の政治認識、判断力でもある民意度によって当落は決定するという理由であって、表現は悪いが、選挙は「風任せ」の投票ともいえる。
 一方、これは裏を返せば、どの候補にも勝利は与えられているとも言えるが、結果が前予想通りになるという現実を考えると、この旧態依然とした有権者を前に候補者サイドも旧態依然とした戦術で、それは候補二番手、三番手が「必至さに欠ける」という結論に至る。
 今回の大阪市長選挙は大阪都構想(維新の会の存亡)を掛けた地方選挙激戦区の中の激戦区と見られているが、大阪府知事選挙はともかく、この市長選挙は都構想側の松井一郎候補が劣性にある。
 松井候補の勝利には、維新の会の創始者である「橋下徹氏の登場」しかないわけだが、それについて「盟友だからこそ彼( 橋下氏)の生活を邪魔したくはない」と松井氏は否定。ところが敗北し、都構想どころか維新の会も衰退化したらどうなるか、維新の会側で考えると戦術(必至さ)の見誤りである。
 政治家は現実的に落選すると、木から落ちた猿以下といわれるが、それだけに政務が第一ながら、少なくとも選挙の一年前から不服ながらも選挙対策は必要。全選挙区内に支持者を据え、それをグループ化し、それを以て選挙に突入するわけだが、それが地元に安住してそれらを省略し、守りの選挙を強いられるようでは「惨敗」の見方が正解。それでは秘策はとなると、打つ手なしでは前予想通りとなる。
 県議会議員選挙の某区で、産業団体をバックに持って抜きん出たトップ当選の予想される現職が居る。相手は代議士派閥の異なる新人だが、彼はそれなりに陣営の代議士派閥を堅実に確保し、それ以上に拡大を図れば二番手は堅い。それではトップ当選候補と代議士派閥を同じくする二人目の新人候補はどうかというと、二番手の異代議士派閥の候補と競う戦術で、これでは国政選挙の代理戦争で、寝返りを城の下で待っているような選挙。自らの選挙を考えると、敵の見誤りだが、同代議士派閥のトップ陣営に食い込む秘策など出て来ないというのは、陣営参謀の弱点だろうが、前予想通りの結果なら大阪市長選と同じく「必至さの度合い」という結論。
 地方議会選挙は、「有権者の風次第」とは表現も好ましいとは言えず、また理想の政治風土でもないが、それが現実であるのは確かで、政治家であるなら先ずはそれを認め、そこに秘策を生み出し「風向き」を変えて祝杯へ。しかし告示日まで何ら変わりようがないところを見ると「木から落ちた猿以下」も覚悟の上というか、それはそもそも政治家失格・・・。


ガムを噛みながらの議会発言など非民主政治を生んだ熊本市北区4千人の有権者民度

2019-03-21 | ブログ

 日本の政治家は、特に地方議員はその資質、センスで選ばれているわけではなく、有権者の判断力、政治認識レベルで議席が与えられている。
 ツイッターでの「年金暮らしのジジィ」という不適切な投稿に続いて、無断録音という非常識的な行為から青森市議会の山崎市議が2回目の辞職勧告(全会一致)を受けた。だが、この山崎議員は2000票もの有権者による支持を受けての市議会議員。こうした予測は不可能であったという支持者の声は本音と思われるが、2000人もの市民が送り出した代表というのは、ある意味でも極めて重要な問題。
 ところで熊本市議会でも「議会に育児施設」の希望から始まり、病欠を「休暇」に修正希望したり、またまたベビーシッターを出張に同行させて、それを政務活動費で認めろと議会事務局と交渉中の女性議員がいる。例の「ガムを噛みながらの議会発言」でも話題を提供した、ワイドショー的な女性議員である。
 そのワイドショーのMCが、「子連れ出席議員を大の大人議員らが『単なるガム』を寄ってたかって責めてイジメた」と彼女を擁護。これが仮に兼業禁止規定で問題となった別の女性議員であったら、そのワイドショーは「ガムを噛んでの登壇など失礼千万」と批判の的に変えただろう。一面だけで弱者と位置付け、弱者は全て正義という間違った既成概念からの似非的な世論代表、一億総芸人と言われる中で傲慢な芸人の見解であった
 この少子化時代、収入10万円の母親が育児施設での救済を訴えるのなら共感も呼ぶが、月の報酬65万円の女性市議会議員が、ベビーシッターのアルバイト代も税金から捻出せよとか、病欠を休暇にして報酬を支払えとかは誰が考えても市民には不納得な話。
 これをワイドショーのMCらが擁護するわけだから、有権者である一部市民の意識、判断力がいかに覚束無いものであるかが分かる。
 該当議員は約4000票の支持を得て議席を得ているが、この4000票は別の意味でも極めて重い民意。市民感情が更に多種多様化すると、こうした議員の登場が増えて来ることも想定されるが、それでは誰もが理想とする民主政治が逆に破壊される可能性も想定されることは確か。
 一方、議員報酬15万円以下の地方議会が36町村もあるとなると、「議員不足」も現実として理解されるが、それが住民決議で自治が図られるという明日も想定内ながら、議会に競争意識を生む議員の大幅削減も中央から地方まで希望される。この公約なら大きな支持を得られると思うのだが、そうした候補者が出にくいというのは、やはり決定権が市民側にあるわけではなく議員、議会側に存在しているという背景か。
 そうなると現実的には現在の選挙制度の中で、市民の政治感覚を高めるという民度の問題であって、区域を限定するというのは決して誉められた話ではないが、目前の問題として熊本市議会の場合、北区11万人という有権者の判断、選択、その民度に注目されているともいえる・・・。