出資法違反だけなら最高10年の実刑となるが、このままだと多分、受刑中にシステム、スタンス等を練り直して、出所したら再び彼女なりの事業(犯罪)を繰り返すと、彼女の絶頂期をよく知る関係者は見ている。
若い愛人と快楽の時間を過ごす間に多額の金が転がり込んでくるわけで、老いていく旦那(妻も同様)の横で食事の世話などして、早い朝を迎える賢夫人には想定外である彼女の人生だが、そうしたスリルを伴う魅力を知った彼女にとって、それは灰になるまで続く欲望だというのである。
米ユタ州に関係するマルチ商法が行動の切っ掛けと関係者は断定するが、後の県外に拡がった被害者はともかく、マルチ商法へアドバイス、導いた地元では著名の人物が居たのは確かである。友人、知人に限界のあった彼女が、やがて大阪以西の統括責任者まで昇格したとなると、それは否定の出来ない見解。
また東京銀座に宝石店をオープンするまで、システムの頂上で財を築いていく適職が、そうした魅力としてマルチ商法にはあった。
金の価値観がそこで大きく変化を見せたのも当然で、そして海外統括責任者としてフィリピンに赴任すると彼女の絶頂期となるのだが、それも直ぐ逆に坂を転げ落ちる運命に入ったのは、このカルトに導かれたギャンブル性の商法にあったことは明らかで、これがマルチ商法の天国と地獄という表裏である。事業意欲もカジノ客船の運営まで膨れ上がったが、現実的にそれを達成出来なかったのは快楽も同時に欲した女性、すなわち事業における資質の問題と、加えてそこまでのカルト的なマルチ商法であった。そして彼女が言い訳とする出資法違反の切っ掛けは事業失敗後ではなく、そうした過剰、過度な事業意欲に基づいて出資法違反は実行された。
この時、同じマルチ商法の仲間とそれに準ずる友人の二人に約3億円もの債務を発生させたが、国税対策で表に浮上しない被害を含めて総額七十億円以上と関係者に語られる被害額は、県外の友人二人に発生した債務額を挙げてもそれに近い金額の被害総額であったと推察される。
そして彼女はフィリピンからインドネシアに逃亡し、そして逮捕されるタイへと負を承知の快楽を求める逃亡生活は続くのだが、事件の焦点とされるのは明らかに先の絶好調期にあったフィリピン。
ところで、この事件を取り上げた途端、ブログ案内のツイッターにおけるフォローなしのフォロワーが、一夜にして50前後ほど消えた。合法とされても彼女の事件の背景にマルチ商法、組織のあったことは明らかであって、口コミからネットサービスに大きく拡大へと変貌を遂げているマルチ商法が、事件の発生源となり、その被害を拡大させたとことは当然と見ている。
マルチ商法が合法とされる以上、それを批判する考えなどないが、そこに新興宗教と同じくカルトが存在することだけは確かで、果たして捜査手法がそこまで踏み込めるかという疑問もある…となると、山邊の再犯説はともかく第二、第三の山邊出現は今後も十分に可能性はある。
ところで多数の者から搾取して、それを特定の者に供与するというのは、単に山邊の出資法違反だけでなく、それは政治の現実的な問題でもある。その背景に存在するのが忖度・・・。
毒饅頭と毒饅頭まがいとは何がどう違うのかといった禅問答のようだが、いずれも永遠に存続はし続けないという理論上にあって、しかしバックマージンは貰える仕組みのマルチ商法、マルチまがい商法とネズミ講とは何が違うのかとなると、マルチ商法は化粧品やサプリメントなど商品販売を行っているとして合法で、ネズミ講は金銭のやり取りに終始している違法と教える。しかし、それは蒟蒻問答のような締めである。
護送車に乗せられる時には、まだ快い風もあったが、ハイウェイに入るとアスファルトからの照り付けもあってか、汗が沸き出るようにして胸元を流れる。
山根節子はスワンナプーム国際空港へ移送される際、そこで立ち寄ったガソリンスタンドで「七億円も集めたのですか」、「タイの男に貢いだのですか」、「化粧は満足にできましたか」といった声を鉄格子越しに浴びせられた。小学校の新一年生らが揃って、下校中に見つけたたこ焼き屋の前で、窓越しに飛び跳ねて質問しているかのような内容だったが、節子もそれに「帰ってからね」と応えた。
被害総額七億円と言われれば、そういう気もするし、これが「三億円ですね」と声を掛けられると「ハイ」と応えるような感じに節子はあったが、実額は「桁違い」であった。それは口コミからネットビジネスに大きく変化したマルチ商法の組織を背景とした出資法違反で、また国税を恐れて出て来ることのない被害も極めて多額であった。
節子が『あのケント・ワトソンが宣伝しているバンダーズ』という紹介で、そのバンダーズ・ジャパンに参加したのは六年前である。ケント・ワトソンとは、日本でも三十代以上なら誰でも知っているタレントで、彼は国際法弁護士であった。
化粧品やサプリメントの通販会社であるバンダーズは、そうした商品を友人、知人と勧誘してピラミッドを拡大していくシステムである。ケント・ワトソンのセミナーにも会員を動員出来るようになった彼女は、それから僅か二年で関西から以西の統括責任者に就いたが、後で銀座に自ら宝石店もオープンさせた手腕、いや勧誘力を考えると、これがマルチ商法の表側で見せる魅力で、彼女の適職がそこにあった。
そして今から二年半程前、彼女はさらに昇格して、バンダーズ・ジャパンでは初めての海外開発担当責任者としてフィリピンに赴任したのである。それは国内でトラブルや苦情が多発し出したという事もあって、これからは法の緩い東南アジアへの進出という会社の方針にあった。
フィリピンでは警察や入国管理局の中まで、その勧誘組織を拡大していったが、それは彼女の営業力というより、後で実質的な統括者として送り込まれた小高良子の得意とする語学、外交力による貢献である。
小高は節子と同じく幹部会員のポストに居たが、彼女は宮崎県の出身で、夫は歯科医師であった。
節子は二億円の債権として、後にそれは福岡県の菊竹敦子に奪われるのだが、ここマニラでは一等地のマルテにビルを購入して居た。そこに若い愛人を抱えて、その彼にはフェラーリカー、それにハーレーダビットソンまで与えた。それは良子もまた同じで、二十代後半の愛人との生活に入ったが、そうした歓楽の間に多額の金が転がり込んで来るとなると、生活に何ら不自由はなくとも老いていく夫の横で食事の世話など、振り返りたくもないのは当然だと思っていた。
しかし、 人は生を受けた状態で差が有り過ぎると思いがちだが本来、神は喜怒哀楽を平等に与える。二人にとって、そんな天国が長く続くはずがないのである。良子の若い愛人はマフィアに殺され、節子は良子との間にも亀裂が入って、インドネシアへ逃亡する宿命に入った。そこには遠く離れた日本で浮上した多額の配当遅れ、そうした母国では明らかに想定外とされる客船でのカジノ運営計画の破談と、坂を転げ落ちる兆しが、そこにはあった。
それから二年近く過ぎて、横から繰り返される呼び声に気だるい目をゆっくり開けると、そこには手錠を手にした日本人が居た。日本領空に入った・・・。
(これは最近の事件を参考の創作です)
一年中で最も暑いのが、水掛祭りを中旬に迎える四月である。
ここタイでは西暦の新年、中国暦の春節、そしてタイ暦の旧正月と年に三回も正月を祝うが、日中は焼け付くような陽射しが照り付け、赤茶けた地面からも沸き出てくるような暑さの旧正月では、お互いに水を掛け合うソンクラーンというイベントまで催される。
真っ白なオフショルダーのトップス、膝上25センチのショートパンツという人目をひく格好は、そうした蒸し暑い気候からの身なりであったが、年齢を繕う意識も確かにそこにはあった。新たな同棲を始めたタイ人の男には承知された山根節子の62歳という実年齢にあったが、それでも女の性、見栄が彼女にそうしたファッション意識を持たせた。
マスコミも帯同したタイ警察が訪ねて来て、逮捕容疑が告げられると、予期していたかのように節子は手早くフード付きのジャージに着替えて拘束となった。
タイ東北部にエメラルドトライアングルという森林から流れ出てくるムーン川と、国境を跨ぐメコン川とが合流する地点がある。そこの川沿いに連なる形でコーチアムという郡都があって、その街の警察署に節子は勾留された。インターポールに基づく引き渡しは入国管理局の取り扱いになるが、それを前提にした上での警察の取り調べである。
「日本人の山根節子か、出資法違反容疑で国際手配されているが、これに間違いはないか・・・」
恒例の報道向けの撮影を終えると、節子は二人の捜査官と通訳に誘導されて取調室に入ったが、そこで唇の厚い、眼球の鋭い方の捜査官が再び逮捕の理由を語った。
「理解は出来るのか」
黙っていると、骨太い声で通訳に続けたが、この二年間に15回もタイに入国していることからして、それは通訳抜きでも節子には理解が出来た。
「私も被害者」
頭からフードは外したが、顎を引いて顔を落とし、膝の上の両手に視線を置いたままの節子は、通訳にも聞き取れにくいか細い声で、そう呟いた。第三者には理解の困難な本音ということになるが、それが彼女の生き方、人生から出される本心であった。
最初の取り調べは事務的に淡々と行われたが、それでも二時間を要した。
三畳ほどの独房に引率されて、そこに置かれた固いベッドの上に体を伸ばして眼を閉じると、節子は無意識に肩から力を抜いて「ふぅ~ッ」と息を漏らしたが、それは逮捕されたことへの安堵でもあった。そうした気持ちからか、瞼の裏に遠い故郷が思い出されて、熊本での生活が走馬灯のように浮かび上がってきた。
彼女は熊本市と隣接する町の山合の谷間に住まいを構えていたが、住民はその四年近くも留守にしている自宅を『〇〇御殿』と称した。億円以上の建築費を要したという見方もそうだが、姫御殿どころか、『〇〇』とは女性なら口にもできない隠語であって、それは「乗り替える度に増築される御殿」という意味合いからの風評であった。
この御殿と今回の事件とを絡めて話題にしている日本での報道など、節子には知るよしもなかったが、そもそも事件は第三の愛人関係、いや事実婚にあった赤本謙一町議会議員との仲が切れて、建築業を個人で営む家田清春との関係に入った後、隣村に建てた別荘からスタートしていた。この御殿と事件とは、全く無縁である。
節子は最初の離婚後、自宅に近い熊本市の場末でスナックを営んでいたが、同時にタクシー業者の愛人となった。その彼が経営破綻して、今度は後に町長となる富花草三郎と男女関係を築くのだが、町長選挙に出馬して当選すると、彼は関連会社のカーディラーから高級車を手切れだとして渡して、彼女を新たに赤本へ紹介したのである。これが、節子にも届いた種々の風評であった。
その赤本も妻から離婚を突き付けられ、四選も消え失せると、「金もなければ出稼ぎでも行って来なっせ」と節子は福岡へ送り出したわけで、これが彼女の人生、生き方である。
知恵を出して、汗を流して御殿を得たわけでもない彼女の生き方、人生からして、全国から70名余りの出資者らを募って、総額七億円近い大金を集めた出資法違反の主犯と決めつけられては、「私も被害者」というのが精一杯の言い訳であったが、これが彼女である。
隣村に赤い色調を特徴にした洋風造りの別荘も彼女は手にしたが、そこを営業本部にすることになった。節子にとって、新たな貢ぎ者の出現である。平成二十五年、それは周囲の山々が桜の満開を告げる春であった・・・。
(最近の事件をヒントにした創作です)