北朝鮮が朝鮮半島を統一なんて想定している日本人が何割いるだろうか。また日米安保がその効力を喪失する場合を同じく想定している日本人が何割いるかだが、それ以前に衆院選候補者の政治を何割が理解しているかである。
真実を語れば眉をしかめる者も多く、心に逆らい有権者に相槌を打てば多くが納得の笑みを返す。政治と選挙の裏表である。
対立政党、候補者の批判を選挙戦だと履き違えている候補者は論外ながら政党、候補者の違いに拘わらず、その主張が連呼のように似た者同士に感じるのは我一人だろうか。18歳からの選挙権引き下げに伴って、浮動票3割作戦を試みるどころか、揃って手慣れた者同士と語る旧態依然の手法では、結果にどんでん返しなど現れないのは当然。
有権者の動向を読めない候補者が、政治など読めるはずがなく、裏を返せば候補者は有権者以下のレベル。それでも明日は投票日、今後を担う20歳前後の若者が、その権利を発揮する絶好の機会である・・・。
野党からは「抜き打ち解散」と批判されて正直、「予断を許さぬ北朝鮮情勢の中での解散」には危機管理能力を疑ってしまうが、それらを飲み込んでの「安定政権樹立のための解散」なら否定もしない。
また前原民進党代表の分党を想定しての「希望の党への合流」だって、同党の旧社会党化を考えると妥当であったといえる。そこで希望の党から袖にされた「立憲民主党」が飛躍するのも、またこれも想定内。すなわちストレートで共産党票には抵抗のある反与党票が、その絶対数を示す結果であって、裏を返せば共産党の現状維持、同以下の結果。
ここで一番、割を喰ったのは人気に衰えを見せた希望の党だが、論理的には妥当であれ、「排除の論理どころか排除の我が儘」と、日本人の感情に相容れられなかったのは読み違い。傲りの失策である。
トランプ大統領の誕生を考えると、日本人の特有でもないようだが、まだまだ世論の半分は感情型の政治。
さて二日前にして不謹慎ながら衆院選熊本はというと、一区は木原稔氏(自民)、二区は野田毅氏(自民)、三区は坂本哲志氏(自民)、四区は金子恭之氏(自民)の当確が明白。
国政は外交、防衛、教育の基本にあるとされるが、涙を呑んだ候補者陣営、また同支持者らは次に向けて基本政治を考え、それを実現するために勝つ戦術をスタートさせる必要がある。それが、目指す大人の国政、地方政治・・・。
秋刀魚を肴に選挙予想ほど旨い酒はないが、それもトロッコ記者でも断言出来る熊本3、4区では味わえるものではなく、ここは場合によっては接戦と想定される熊本2区に絞って、失敬ながら蒲島教授(知事)流に計量政治学で予想を下すことにした。
候補者は現職の野田毅氏(76)、そして総理官邸筋の黙認、自民党元幹事長が後見人ながら同党への公認申請で自民党県連とは揉めた新人の西野大亮氏(39)、それに幸福実現党から出馬の木下順子氏(58)と野党統一候補として社民党の和田要氏(68)という四人の顔触れである。
先ず野党統一候補であるが、自民党候補を上回った民主党候補の得票歴もある2区とはいえ、その政治背景とは大きく異なり、基本的には過去の共産党得票を参考にしての幸福実現党候補と合わせて最大が4万票前後と想定。残りが保守系2候補の争奪戦である。
新聞は「真実を正確に伝える」とはいっても売る者はどうあれ、作る者には感情があって、地域性が濃厚であれば忖度も存在する。
地元紙は「公認(自民党)申請を県連は無視」、「震災助成に野田氏は多大な貢献」と付け加えて「野田氏優勢」を報道。これに対して、西野陣営から「偏向報道」と反発の声も挙がったが、記事内容は真実で有り、また「偏向手法による誘導」という見解も屁理屈でないことは確か。
その分のカバーを西野陣営に与えると、ここは「貢献への謝恩か、それとも明日を託す一票なのか」の単純明解な選択。
話を戻して野田、西野両候補の争奪戦だが、投票率を55%として両候補の総得票は(300000×0.55-40000)125000票。この中で未だ未決定とされる票が、都市部の30%を下回ったとしても同票が20%として25000票と想定。
すなわち現在、地元紙の野田氏優勢は100000の中での予想であって、劣勢の候補でも野党統一候補を下回るという想定はされないわけで現在、両候補とも40000票以上での接戦。その差は10000票以内と考えると、未決定票25000票が当落を大きく左右すると予想される。
地元紙の優勢が75000票を見据えての予想なら3、4区と同様な事前当確だが、これが60000票から65000票での接戦となると、観覧者には実に旨い肴になると予想される・・・。
9月25日、安倍総理は今回の解散を「国難突破解散」とした。加速する少子高齢化、北朝鮮の脅威と山積した問題の中での安定政権の維持は理解されるが、その選択肢となる政党間の政策が「複雑に入り乱れて選択、優劣は着け難い」となれば、後は政党、候補者の好きか嫌いかというイメージで投票となるのは当然。
安倍総理は「お仲間政治」と批判されて支持率が低下すれば、民進党との合流で脚光を浴びた希望の党も手法に「排除の論理」が見られるとブームは一気に沈下。
リーダーシップに「強引」は必須なのだが、民主政治を軽く理解した世論はそこに条件付けなどの作業はすることなく、ただ「暗黒」と否定する。
そうした有権者に向けて与野党を問わず候補者が、「議員バッジ・ファースト(第一)」と所属政党を決め、または脱ぎ捨て選挙に走り出すわけで、「理屈は後の貨車」という言葉通りの政治家。裏を返せば、大逆転も大有りという理屈になるが、それが前予想通りとなると、そこには「議員バッジファースト」の意気込み(戦術)不在ということになる。
さて、明日の告示を前に熊本選挙区での当落予測となるが、夏に「10月解散」を取り上げた時の予想と代わり映えのしない予測となった。
自民党公認の木原稔氏(48)と希望の党からの出馬となった松野頼久氏(57)との戦いである熊本1区は、前回以上に木原氏の有利と見るが、その差を縮める策が果たして松野陣営にあるか否か。
自民党公認の野田毅氏(76)に対して、同じく財務省出身の西野大亮氏(39)が挑む熊本2区は、ここだけは旧中選挙区制度並の様相を見せる戦いで、観覧者には注目の選挙区。西野氏の後見人である自民党元幹事長の側近が、「後は熊本市西、南区を任せた村上氏(県議)次第」と語る通り、村上氏も建設業界を中心に積極的な運動を展開してきた。それが空回りに終わらなければ接戦、また逆転も有るかという予測。
ところで希望の党から東京7区で出馬の荒木章博氏だが、選挙にタラレバはないとはいえ、仮にこの2区からの出馬だと、述べた通りに野田、西野両氏の接戦で当選ラインも下がり、同氏の当選は可能性も高かったと予想され、また全国的な話題にもならなかったと思われる。
熊本3区は政治が無風の割りには、共産党候補には失礼ながら選挙も無風で、坂本哲志氏(66)は今回までは告示日に当確の予想。
矢上雅義氏(57)が希望の党公認を断り、無所属で自民党公認の金子恭之氏(56)に挑戦する熊本4区は、前々から実証の天草地方での意外な支持票を矢上氏がどれだけ伸ばすかだが、金子氏の優位は固い。
極めて不謹慎な表現ながら今回の衆院選は、与野党のどの政党が「国民を馬鹿にしているか」を競い合う選挙に思えて仕方がない・・・。
歴史を語るまでもなく天下人、天下を目指す者らの読み違いで時代は造られた。民はそれに嘆き、苦しめられるという繰り返しの歴史であった。
確かに天皇の退位、トランプ米大統領の訪日という日程もあるだろうが、安倍政治へ向けての安定政権となると、民進党の低落傾向、また小池新党(希望の党)の体勢が整う前というわけで、この時期の『抜き打ち解散』という読みは正しかったと思われた。
だが、それを読み違いにさせたのは、前原誠司民進党代表の小池新党(希望の党)との統合。国民の世論というものは、時に政策とは異なる政治力学で政局を動かす。どれほど政策第一と説かれ、理解したつもりでも嘆き、怒る民は判官贔屓、またまほろばを求めて感情、勘定で動く。
安倍総理に続いて読み違いとなったのは、希望の党と全議員が合流と信じていた大方の民進党議員。結果、希望の党公認候補、立憲民主党公認候補、そして無所属候補とに民進党議員は別れることになった。
針を少し戻すと、今回の選挙で民進党は壊滅に近い敗北を味わったはずであった。もちろん自公の一人勝ちというわけではなく、根強い反自公政権の国民も一定割合としているわけで、それは共産党の得票を押し上げると予測された。
こうした時、旧社会党化すると見られた民進党の前原代表は、どう決断するかであったが、壊滅から「政権奪還」へと大転回するには「分党しかない」という結論は正解。リベラル派という表現はどうかと思うが、「政権の受け皿」となると、同左派のように現政権と政策が180度も異なる事態が基本的には大きな問題。数の寄り合わせで短期政権となった厳しい遺物がこの点で有り、これが離党者を生み、旧社会党化行きと見解が出て、それが前原代表の脳裏にあったのは確かだ。すなわち前原代表の頭には希望の党への合流ではなく、それによる分党が目的であった。
自らは合流せず、次選挙は無所属候補となると、後は希望の党による荒療治にお任せである。すなわち今回、ここで読みが的中したのは前原民進党代表となるが、選挙後に希望の党への合流はあっても、政治力学的には歴史に名前を遺した前原誠司という政治家といえる。
それでは今回の衆院選だが、安倍総理の描いた単独で可能な改憲は潰れるにせよ、希望の党に政権を奪われるという予測はまずない。また分党化されての立憲民主党だが、議席数で第2に推定される希望の党に迫るという予測は想定出来ない。共産党と配分するという議席数ではなかろうか。
ところで政党間の争いは政策第一と教えられるが、日本維新の会と希望の党との選挙協力は明らかに政治力学による数会わせで、それも自公、野党連合という選挙協力とは異なり東京都、大阪府の両党支持者だけでなく、一部有権者を小馬鹿にした選挙協力で、両党にとってもプラスには働かないのではなかろうか。
また日本の政治に悪影響を与えている既得権を背景にした『しがらみ』であるが、それは野党支持の連合にも言えるわけで、「原発0を目指す候補は支持しない」との連合・電力労連の意向は、明らかに日本の民主政治を疎外する圧力。
下からの民衆の声を政治に、しがらみのない政治と選挙カーが走り出すが、その嘘を生み出させているのは、実のところ我々、市民だとはいえないか。それでも安定政権を目指す自公与党、一方の政権奪還が目的の新党が、いずれも民の癇に障る政治力学の衆院選では、再び後ろ向きの結果を生むことも当然ある。果たして歴史に読み違いを刻むのは、誰と誰か、それが今回の衆院選・・・。